1話 連宮奏太
夢。
僕には、夢がある。
叶えたくてしょうがない夢。
でも、すぐにはとても手の届かないところにある、夢。
と言っても、そんなに大それたものじゃない。
幼少期に『なりたいものはなんですか?』と聞かれて、大多数の子供が考えつくようなものよりも、もっと単純な、明確なもの。
それでいて、誰かに話したところで『はいそうですか』と一蹴されないような、少し複雑なもの。
単純で、複雑な夢。
矛盾なんか気にしない。これが本当なのだから。
僕は、なりたかったんだ。
──僕自身に、なりたかったんだ。
◆◆◆
「──以上で、入学式を終了いたします」
──春。
「何組になった~?」
「4組。そっちは?」
──高校。
「私が担任の杉橋だ、一年間よろしく」
──先生。
「番号順に自己紹介をしてもらおう」
────うわ。
◆
「~です、仲良くしてください」
前の人の自己紹介、とてつもなく早かった。
名前を言って、一言添えるだけ。ボロが出ることはないし、僕もしようかな、と思ったけれど。
「はい、よろしく。次は……」
そんなわけにもいかない。こういうのは、最初が肝心なのだ。
「20番の人、どうぞ」
僕の番。
さて、小学校と中学校で培った技術を駆使して、早く終わらせちゃおう。
「連宮奏太です。中学は……」
名前を言うたびに思う。
『奏太』──僕は、この名前が嫌いだ。
『太』ってついているから、なんて理由だけど。
僕からすると、色々と思うところがあるのだ。
「趣味は読書です。ジャンルは……」
普通を装い、僕を普通へと仕立て上げる。
こんな自分も、嫌い。
「よろしくお願いします」
やっと、終わった。
◆
自己紹介は、苦手。
本当の自分は、上手く紹介できないから、いつも嘘を吐く。
きちんと自己紹介したら、気持ち悪がられることくらい、分かっている。
──嫌というほど、この身で味わったから。
「~で、~です。1年間……」
今の人、釣りが趣味だって。面白そう。
「名前は~です。中学は……」
同じ中学の人、発見。
「~で、趣味は読書で~」
本のジャンル、かぶってる。
──話しに来ないことを祈ろう。
でもまあ、みんな楽しそうな人ばかり。
僕はもう、──誰とも本当の友達にはなれないけど。
上辺だけの付き合いで一生を過ごすことなら、もう覚悟している。
「根原悟です。趣味はランニングです、一年間よろしくお願いします」
それを望んでいたわけではないけど。
僕だって、みんなと友達になりたいと、心の底では思っている。
「三上愛香といいます! 一年間よろしくお願いします!」
でも、なれない。──こんなことばかり、考えている。
普通だったら、こんなことを考えることに労力をかけなくてもいいのにな、なんてことまで想像してしまう。
ホント、嫌になる。
自分も、他人も、──この世界も。
◆◆◆
「今日はこれで終わりだ。配った自己紹介カード、土日にするのを忘れないようにな。気を付けて帰るように」
短いホームルームが終わり、クラスメートが次々と教室から出ていく。
クラスのレクリエーションは、週明けの月曜日に行われる。
──だから、油断していた。
すでにクラス内には、ちょっとしたグループが、いくつか点在していたのだ。
すでにできている3~5人のグループで、『一緒に帰ろー!』なんてはしゃぎ合っている。
──これはマズイ。
学校生活を送るうえで、『孤立』という場所にだけは、絶対に住み着いてはいけないのだ。
これは、小学校で嫌というほど体験したから分かること。
孤立すると、デメリットの嵐が襲い掛かってくる。
遊びに誘われず、休み時間は一人で本を読んで過ごすことになる。
段々と、同級生の間で流行っている話題についていけなくなる。
給食の時間、誰とも喋ることなく、黙々と食べ続けることになる。
──まあ、仕方ない、のかな。
中学校では、小学校の経験を活かして、それなりに『友達のような存在』がいたから、孤立は避けられたけど。
高校での孤立なら、そこまでひどいことにはならないだろう。
だけど、やっぱり寂しいかな。
昼休みに一人でお弁当を食べる自分の姿を想像して、早速泣きそうになってしまった。
そんな高校生活初日。
──で、終わるはずだった。
◆◆◆
僕の家は高校から近いから、歩きなのだけど。
やっぱり自転車通学の方が楽そうだ。
僕も自転車で通おうかな、なんて考えながらの帰り道。
「あれ、連宮君……だよね」
後ろから、声をかけられた。
「はい、そうですけど……あ、確か同じクラスの」
少しだけ、黒髪を伸ばしている人。見覚えがある。
「うん、根原悟だよ。よろしくね!」
「あ、はい……」
凄く元気な人だ。
何か用でもあるのだろうか。
「連宮君、歩きでしょ? 俺も歩きなんだけど、よかったら一緒に帰らない?」
「えっと……分かりました、一緒に帰りましょう」
精一杯の作り笑顔で対応。
『友達』を増やすため。嫌だけど、仕方ない。
◆
「君の家はどのへんなの?」
「駅から少し歩いたところです」
高校から駅までが、徒歩5分ほど。
駅から僕の家までは、徒歩10分くらい。そこまで遠くはない。むしろ近い方。
「ふぅん、そうなんだ。……ねえ、タメ口で話さない?」
──あ、この口調に慣れちゃってたから、自然とそう話してしまっていたみたいだ。
同年代の人とはタメ口で話さなくちゃ。
「そう……だね、そうするよ。根原君の家はどのあたりにあるの?」
軽い気持ちで訊いてみたのだけど。
「駅から歩いて30分くらいのところだよ」
「さ、30分!?」
思っていた以上に遠かった。
「なんで自転車じゃないの?」
「健康のためだよ。俺は体が弱いからね、少しでも体力をつけるために、歩いて通うことにしたんだ」
「そ、そうなんだ……」
なんか、聞いちゃいけないことを聞いちゃったような。
「ごめん、変なこと訊いちゃったね」
「ん? ……もしかして、気にしちゃってる?」
「それは……まあ、多少は」
身体が弱いってのは、きっと、言いたくないことだと思うし。
僕の勝手な想像だけど。
「大丈夫。気にしてないから、君も気にしないで。この身体のおかげでできた、貴重な体験だってあるんだ。俺はこの身体を疎ましく思ってはいないんだよ」
堂々とした口調で話す、多分、本心からの言葉。
──少しだけ、胸が痛んだ。
「……すごいね。根原君は」
「すごくはないよ。ただ単純に、深く考えずに、正直に行動しているだけだよ」
そう言って、カラッとした笑顔で僕を見てくる。
そんな行動にも、胸が──心が痛んだ。
──それにしても。
なんで初対面の人間に、ここまで自分の内面を話せるのだろう。
なんて不思議に思っていると、根原君が口を開いた。
「連宮君、君は正直に──『自分に正直に』生きているかい?」
「へ?」
藪から棒に、どうしたのだろう。
「まあ、それなりには」
「嘘だね」
若干食い気味に。ホント、何が言いたいのだろう。
「自己紹介の時も、嘘を吐いていたね」
──……え?
「いや、ずっと嘘を吐いていた──そう、ずっと」
な、なにをいって……。
「なんとなくだけど、分かるんだよね。理由までは分からないけど、ね」
「べ、別に嘘なんて……」
「隠したいことなの?」
やめて。
「ねえ、連宮君」
やめてよ。
「何を隠しているの?」
やめてってば。
「ねえ、連宮君」
僕の顔を、さっきのカラッとした笑顔ではなく、真剣みの含まれた笑顔で覗き込み、彼は続ける。
お願い、もうやめて。
「ずっと嘘を吐いていた、ってことは……」
言わないで。
「君、もしかして……」
◆◆◆
次はどんな試練?
もう、たくさん。
次も、次も、その次も。
もう、十分。
その次だって、大きな壁。
もう、いいや。
そう言って、僕は、殻にこもる。
殻を、まとう。