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法律初心者の異世界奮闘記  作者: T.N
第1章 魔科学世界と法
17/21

第16話~第1回法典編纂会議 その5~

遅れました。

この物語の主役が遂に動き出します。ここまで長かったですね・・・。

「ご紹介に与りました、債譲権といいます。これから皆さんとジャポネーゼ王国における法典編纂に関わっていくことになりましたので、よろしくお願いします。」


 掴みとしては無難な挨拶。だが、公の場で奇をてらった挨拶をするよりも、このような王道の挨拶にした方が、初見では間違いないと判断した債譲である。何より、このような場に慣れてない以上、邪道より王道、失敗する危険性が高い方法より安全な方法を取ることは無理なからぬ選択だろう。


「私が今この場にいることは、既に議会にて承認されていることと理解しておりますので、私の存在意義については皆さんご理解頂いているものと思います。ですので、この場では、私の軽い自己紹介の後そのまま今後の法典編纂に関する概要の説明に移りたいと思います。」


 軽く前置きの説明。議会で承認されたのは、おおまかに言えば「法の知識のある者」の召喚である。ゆえに、自分自身がこれまでどのような形で法律に携わってきたのかを説明する必要があると、債譲は結論づけていた。何せ、他の人から見たら債譲は20代前半の若造にしか見えないだろう。

 以前説明があった通り、この国で現在精力的に国に従事している者の年齢層は、黒血死団事件の影響で60代前後が中心のはずである。そのような三周り近くも歳の離れた人達の中、彼らにとってはヒヨッコにすぎない20代前半の若造に何ができるというのか、疑問に思う者も少なく無いだろう。そういう意味でも、説明が必要であると債譲は考えていた。


「まず、私の世界では、学校教育が初等教育、中等教育、高等教育の三段階に分かれていまして、初等教育6年、中等教育3年が義務化されています。更に、中等教育3年を経まして、高等教育に進むというのが、基本的に私の世界では法律を学ぶ上で必要とされています。と言うのも、法律という教育を受けることができるのが、基本的に高等教育の段階以降となっているからです。」


 小学校での教育が初等教育、中学校での教育が前期中等教育、高校での教育が後期中等教育、高等専門学校や大学が高等教育にあたる。「ニッポン」では、大学から基本的に法律に関する講義が受けられる。ゆえに、通常、法律を勉強することになるのは大学からということになる。


「そして、私は、中等教育を経て、高等教育機関である大学4年及び大学院1年の過程を済ませており、当然、右高等教育5年は法律に時間を当てていることになります。また、大学院は、一定の試験を受けねば入学できず、法律を学ぶ上で必要な素養を持ち合わせた者でなければなりません。そして、現在、大学院一年目を終え、専門的に法律を学ぶ上で網羅的に基本的な法的知識を備えた状態にあると言えます。」


 それっぽいことを言っているが、要は大学4年間で法律について勉強して、更に法科大学院で基本5科目+商法(会社法含む)+行政法という、司法試験で必須となる7科目を一通り勉強した、という意味である。


「以上が、私の自己紹介になります。それでは・・・」


 無言で、会議場内に天高く腕が上がる。それが挙手であることに気付いた債譲は、その手を挙げた先にある人物を見る・・・。そこには、筋肉ムキムキのマッチョマンが座っていた。


「グスタフ君」


「一つよろしいか。」


 ジョーウンの指名によって発言権を得るグスタフ。その質問の先は、当然、債譲権に向けられたものである。


「なんでしょう。」


「お主が5年間法律を勉強してきたであろうことは理解したのである。しかし、それがどんなものか我々には理解できん。我々にとって必要なモノは、単に法典編纂を終わらせることではなく、帝国に対抗しうる法的状況を作ることにあるのだ。そのような状況を作り出せるかどうかは、お主にかかっていると言っていい。だが、そのような状況を打開出来るだけの能力を、お主が持っているかどうかを確かめたわけではない。ゆえに、それ相応の能力を持っているか疑問に思っている者もいるだろう。よって、ここでそのような能力があるといえるかどうか判断したいと考える。」


 何やらめんどくさい状況になってきた、と思う債譲。そもそもそっちが勝手に召喚しといてくせに何言ってんだ、と思うくらいには冷静になっていた債譲であるが、そう言われてもどう判断するつもりなのだろうか。そのようなことを思っていると、グスタフは話を続けてきた。


「具体的には、・・・そうだな、お主が学んだ法律の条文を全部諳んじてみよ。」


「・・・できません。」


「なんと!できぬと申すか。5年間という年月を費やしながらそんなこともできぬのか。なんともお笑い沙汰である。そのような者に国の未来など任せることなどできようか!」


 好き勝手言いやがって、と心の中で吐き捨てる債譲。今まで言われたい放題だった鬱憤を最早内包していられるほど、債譲はおおらかな性格の持ち主ではなかった。その結果に・・・。


「・・・先程から好き勝手仰られているようですが、そもそも、条文は法を利用する上での道具に過ぎません。確かに、覚えていたほうが、法的問題に素早く対処できるでしょう。しかし、それは法的問題解決の決定的な要因にはなりません。法的能力があるかどうかは、その時々の事案に応じた法的手段によって解決することにあるのです。」


 「法律の勉強」と言って大抵の人が頭に思い浮かべるのが、「条文を覚えること」ではないだろうか。ある意味で間違いではないが、条文自体は、六法があればなんとでもなるだろう。事実、裁判ドラマなどで、六法全書が傍らに置かれている図というのを見たことがないだろうか。つまり、条文自体を単に覚えているかどうかは、実務では重要視されていない。

 例えば、「この条文には○と書いてある。しかし、但書があり、△と書いてある。更に、例外規定の要件を満たすと、✕と書いてある。よって、例外要件を満たすので✕となる。」等というのは、単なる条文操作の問題であり、条文さえあれば解決する問題である。


「まあ、そのように言ったところで、私の法的な能力を試すということの解決にはならないので、・・・ここでどうでしょう。一つ問題を出しますので、私がその法的思考及び解決能力を披露することで、私に能力があるかどうか見極めるというのは。」


「・・・ふむ。我々も法的知識というのは持ち合わせていないゆえ、その判断如何で決めることとしよう。皆の者、異議のある者は挙手願いたい。・・・いないようだな。では、サイジョー=ケンよ、申してみよ。」


「・・・それでは。私の持っている資料については、既に皆さんに行き渡っていると思いますので、まず、私の国の民法95条を見てください。」


 「ニッポン」における民法95条は以下のとおりである。


「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。」


「この条文に関する問題を出します。まず、手始めに、Aさんが『この絵を買いたい』と言って、Bさんの店に置いてあった絵を指さして、Bさんからその絵を買いました。しかし、Aさんが買った絵は偽物でした。この時、Aさんは民法95条によって右絵の売買を無効とすることはできません。なぜなら、Bさんは、Aさんの注文通り指差された絵を売ったのであり、錯誤にはならないからです。」


 典型的な、錯誤の問題である。法学部生程度でも知っている問題であるが、ここには法律の知識を持たない者しかいないため、前提条件を提示する。つまり、「アレ」をくださいと言われたので、「アレ」を売ったのだから錯誤など存在しない、というわけである。


「今のが、錯誤に関する前提となります。次に、問題に入ります。

 Aさんは、車大好き倶楽部に所属しており、月に一度倶楽部内で自分の持っている車を見せ合うこと(展覧会のようなもの)にしていた。丁度、その見せ合う車を何にしようか考えていたところ、車の販売を業とするBさんの店に世界に50台しかない車の一つが売られていた。それに目をつけたAさんは、Bさんからその車を買うことにした。その際に、AさんはBさんにこう伝えた。

『倶楽部の仲間たちに見せ合うために車を探している。しかし、如何に希少であろうと傷などがついていれば、倶楽部の仲間たちに馬鹿にされる。だから、傷のない車であれば、この車を買おう。』

 その後、Aさんは、Bさんから買った車を倶楽部の仲間たちに見せることにして、無事、事なきを得た。しかし、車を動かそうとしたら、本来最高速度350km/hでるはずが、250km/hしかでなかった。このような故障を理由に、AさんはBさんに、『傷のない』ことに錯誤があるとして、無効を主張できるか。

 私が答えを出す前に、皆さんも考えてみてください。」


 債譲から問題が提示され、会議場内は静寂に包まれた。

なかなかに難しい問題だと思います。定義等は、次話で示す予定ですが、考えてみようと思われる方のために、ここに載せておきます。


法律行為の要素とは、法律行為の主要部分であって、主要部分とは、表意者が意思表示の内容部分となし、この点につき錯誤がなかったなら意思表示しなかったであろうと考えられ、かつ、意思表示しないことが一般取引の通念に照らし妥当と認められるものをいう。

錯誤とは、内心的効果意思(心の中で思ったこと)と表示行為(相手に示したこと)から推断される効果意思の不一致である。

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