08. side TSUGUMI ― モヤモヤな気持ち。 ―
大野さんを見送ってから家の中に入り、お母さんが玄関の扉の鍵をかけた瞬間、鞄の中にあるせいで、少しくぐもった音で携帯電話の着信音が聞こえてきた。
慌ててバックから取り出してみると、着信画面には高木くんの名前が表示されてて、内心やっぱり、とか思いつつも自分の部屋へと向かう階段を上りながら、着信ボタンを押す。
視界の隅ではそんな私の様子に、ちょっぴり呆れてるようなお母さんの姿が見えたけど、そのお母さんも応接室に入っていった。
「はい、もしもし」
「あ、俺、高木。結構ゆっくりだったんだな、誕生日会って」
携帯電話に出た瞬間、有無をも言わさないその質問に、私は思わず苦笑してしまう。
そう、結局コンパに行くとは言わずに、友達の誕生日にかこつけて、皆でディナーを食べに行くって伝えたんだよね。
でもやっぱりちょっと後ろ暗い気持ちで伝えたせいか、そう言った直後の高木くんはちょっと変な表情になってた。
「別に普通だよー。友達と色々話して楽しかった」
……うう。なんか苦しいなぁ。
私やっぱ嘘つくの上手くない。
こんな事ならやっぱり、人数合わせのために無理矢理参加させられたって素直に言った方がよかったかも……。
そうだよ、だってコンパって言ったって何も悪い事してないもの。
浮気してやる、とかで参加した訳じゃないし、うん。
そんな事を思うとなぜか、自転車に乗ってた時の大野さんの背中を思い出したりしてしまった。
そう、あの煙草くさい背中。
「……月海、聞いてる?」
やば。
折角話逸れてたっぽいんだけど、内容全然頭に残ってないよ。
「あ、ご、ごめん。なんか疲れてぼーっとしちゃってた……」
高木くんは私の返事に、少し溜息交じりで笑ったのが携帯電話越しの気配でわかる。
「じゃあ、今日はこれで切った方がいいかな?」
「あ、うん、そうかも。ごめんね」
高木くんの提案に、ほっとしてそう返事してしまっていた。ちょっとあからさまだったかな、とか口に出してしまってから思ったけど今更どうにもならないし。
「いや、いいよ。じゃあ、おやすみ」
でも高木くんはさして深く受け止めてないみたいで、軽やかな声が携帯電話越しから聞こえてきた。
「おやすみなさい」
電話が終わると、私は無意識のうちに小さな溜息をついていた。
「うわ」
だけど、次の瞬間にはこんな声を漏らしてしまっていた。
だって、着信履歴が五件あって、見てみると五件とも高木くんなんだもん。
これくらいの時間じゃないと電話出れないって、あらかじめ伝えてあるのに……。
流石に留守番メッセージは入ってなくて、それには少しだけほっとした。
着信履歴マークを消してから、携帯電話は閉じて、私はそのままベッドの上に寝転んだ。
なんだろう……、こーゆーもやもやした気持ちって。
着信履歴みて、妙に疲れが出たというか……。
うう、いけない、なんでこうも後ろ向きにしか受け取れないの、私。
そうだなぁ、なんか恵美が言ってたなぁ、ああ、アレだ。
『いいじゃないの、愛されてるって感じー』とか言ってたんだけど。
こーゆーのって愛されてるって言うのかな? なんか全然ピンと来ないんだけど。
もういいや、深く考えるのやめよう、うん。今日はもうお風呂入って寝よう……。
結局コンパの次の日、高木くんから電話があってそれは次のデートの予定についてだった。
コンパの日の事自体は高木くんの中では、そんなに気にしてないみたいで、それ自体はすごくほっとした。
そしてデートの日、喫茶店でお茶を飲んでる時に、GWの予定を聞かれたから、それを素直に伝えた。
「GWもバイト入れてるの?」
そしたら、高木くんは少し驚いたような、呆れたような、微妙な表情を見せた。
その表情を見てから、ああそうか、高木くんと会う日とか用意してなかった事に気づく。
「えーと、GWはバイトに出る人少ないらしくて大変そうだし、ちょっとだけだけど手当ても出るみたいだから。うち結構学費は無理して貰ってるから、お小遣いくらいは自分でなんとかしたくてバイトしてるから……」
でもそれは本当の事なんだよね、うちには妹もいるし。
「あー、うん、そういや前もそんな話聞いたな、そっか、しょうがないよな……。本当は近場で泊りがけで遊びに行きたかったんだけど」
「……泊りがけ……」
「できれば旅行とか。まあ、GWは今からじゃ日程も厳しいからどっちにしてもアレだったけど」
高木くんの言葉に一瞬思考が停止する。旅行って、やっぱアレだよね、二人でとかで、グループでとかじゃないよね。
な、なんかいきなりすぎない? まだキスしかしてないのに。
……なんて言ったらまた恵美に馬鹿にされそうだけど……。
「うん、夏休みはどっか行こうよ。国内でいいからさ」
私が固まってる事なんておかまないなしに、高木くんは楽しそうな表情になる。
「えーと、あの……」
「なんかいい奴探すよ。予算どれくらいならいけそう?」
パタン。
着替えも終わったので、女子更衣室から出て扉を閉める。でもその音と一緒に溜息が出てしまう。
だって、あれから何日か経ってるのに、この間の高木くんとのデートでの旅行の話を思い出すとなんだか気が重くなってしまうんだもの。
私ってばなんか結局流されて、高木くんに予算とか言っちゃうし……。
「随分大きな溜息ついてんな」
扉の前で立ち止まったままで居たら、たまたま通りかかった大野さんの声が、横から聞こえてきた。
「あ、おはようございます」
私は反射的に挨拶をして、小さくお辞儀した。
「おはよう。何、やっぱGWにバイトって憂鬱な訳?」
大野さんは少しからかうような口調でそう聞いてきたから、私もちょっとひきつった笑顔になってしまう。
「いえ、別にバイト自体は憂鬱な訳じゃないです。最近慣れてきて楽しい所も見つけられましたし」
「へえ。ちょっとは前向きになってきたんだな」
「……なんですか、それ。私が後ろ向きみたいじゃないですか」
「まあ、後ろ向きというよりは、最初の頃はテンパってた? 感じかな」
私が『前向き』に関して少し抗議すると、大野さんはそう言葉を濁してきた。
……どっちにしても、あまりいいイメージじゃなかったんですね……。
でも思い出してみると最初は大野さんの事、冷たいように感じてびくびくしちゃってたかも。ああ、今思うと情けない気がしちゃう。
それに元々バイトも初めてだし、どっちにしも硬かったのかもしれないな、なんて思うけど。
「まあ、今日はそんなに忙しくないと思うし、のんびり行こう」
大野さんが、そう言いながらお店へと向かう扉を開けた。
「ありがとうございましたー」
レジの前からお客様が立ち去るのを見送りながら、私はそう声をかけた。
そして、レジの後ろの壁にかかっている時計を見上げると、11時40分を過ぎた頃だった。
うん、後少しでお昼休憩だなぁとぼんやりと考えてたら、商品整理をしていた大野さんがレジに戻ってきた。
「お疲れさまです」
「ああ、うん、お疲れ。結構暇だろ、GWって」
大野さんの言葉に、私は思わず大きく頷いてしまった。
「そうですね、意外です。手当てとか出るくらいだからてっきり忙しいのかと思ってました」
私の言い方が大げさだったのか、大野さんはちょっとおかしそうに笑った。
「うちみたいにバイトばっかだとね、人員確保のが難しいからそっちの意味で手当てが出るんだよ。平日での午前中奥様部隊もGWは家族優先だしな」
そんな話をしながらも店内を見回してみると、本当にお客様もまばら。でも確かに私もGWの初日にレンタルショップに来るかと問われれば来ないかもしれないと思ったりした。
そんな風にぼんやりと店内を見てると、ドアからお客様が入ってきた。
「え。嘘……」
そのお客様の姿に、私は無意識のうちにそう呟いて固まってしまった。
「倉本さん?」
私の様子が変だから、大野さんも声をかけてくるんだけど、それに返事をする余裕もない。そんな私の様子は予想通りなのか、当の目の前の人物は楽しそうな笑顔を見せながらまっすぐとレジに向かってきた。
「ごめん、驚かせたくて内緒にしてた。よかったら昼飯一緒に食べよう、奢るよ」
そう、目の前にいるのは高木くんだった。
でも突然の事に、私はなんて返事していいのかわからない。でもそれならそれで、連絡くれてればいいのに、とか、そっちの思いの方が先に来たりして、実際にそれを言葉にしかけた瞬間、大野さんの声がした。
「倉本さん、ちょっと早いけどお昼休憩行ってくれていいよ。戻りは予定通りでいいから」
「え? でも……」
「気にしなくていいよ。ご覧の通り暇だし。もうすぐ川村さんも来てくれるし」
特に紹介もしてないのに、私の知人だってわかったんだろう、大野さんはすかさずそんな風に言ってくれた。
でも今はなんだかそれもちょっぴり恨めしい気分。
なんだろう、どこからこのイライラは来るのかな、よくわからない。
でもなりゆき的に、ここは大人しく、お言葉に甘えるしかないよね……。
「じゃあ、お言葉に甘えてお先にお昼いかせて貰いますね」
私はそう告げるとレジから出て、一旦荷物を取りに控え室に向かった。
「奢るって言ったのに、ちょっと拍子抜けだなぁ」
高木くんがそう言うのも無理はないかもしれない。
今私の手元にあるのは、期間限定のハンバーガーのセットだったりする。そう、バイト先の丁度向かい側にあるハンバーガーショップに、私達は来たから。
「うん。バイト先から一番近いから気分的に安心だし」
でもね、やっぱり事前に連絡は欲しいと思うの。
だって、私がお弁当持参してたりだとか、そうじゃなくても来る前にコンビニでお弁当買ってたりだとか、そういう可能性だってあるんだし……。
まあ、今日は休憩になったらコンビニでお弁当買って控え室で食べるつもりだったんだけど……。
もっとも、高木くんに悪気はないのはわかるから、あからさまにこんな事言えないけども。
うーん、なんだろう、このなんだかわからなモヤモヤ感は。
お腹がすいてるせいもあるのかもしれない。うん、とりあえずハンバーガーを食べよう。
「GWに一緒に遊べないからさ。せめてランチでも一緒に食べたくて。後、突然来たら驚くかなぁってのもあって」
私がひとくち、ハンバーガーをかじった頃に、高木くんはそう言って軽やかに笑ってみせた。
「ああ、うん、びっくりしたよ」
私はそう言って笑ったけど、ちょっとひきつってたかもしれない。
それと同時にさっきまで、高木くんが突然来た事にちょっと憤りみたいなのを感じてた自分が、ひどく心が狭いような気がしてなんかどっと落ち込んできたりしてた。
そうだよね、普通GWならデートなんだよね、つきあってたら。
彼氏がわざわざお昼のためだけに来てくれるなんて、むしろ喜ぶべきなのかも……。
「なんか結構、板についてる感じだったね、バイト」
「え? そう?」
ちょっと落ち込みぎみの時に聞こえてきた高木くんの言葉は素直に嬉しかった。
「うん。もっとなんというか、ぎこちないようなの想像してたよ」
「だってもう2カ月近いもの」
なんかこんな単純な事で気分が持ち直したりして、やっぱりさっきのモヤモヤはお腹が空いてからなんだわ、うん。
私はそう思う事にした。
とりあえず、本当にお昼だけ一緒に食べて、後は他愛のない話をして高木くんとはハンバーガーショップの前で別れた。
でもお弁当作る事もあるから、今度からは事前に連絡してもらうように頼んだら、高木くんはそう言われればそっか、なんて言って笑った。
「お疲れさまです、あの、ありがとうございました」
私はお店に戻るとすぐにレジに居た大野さんにそう声をかけた。
「いや、いいよ、彼氏でしょ。楽しかった?」
すると大野さんはお店の書類を見ながらそっけなくそう聞いてきた。
「はあ、それなりに……」
でも少し浮上しかけた気分は途端にしぼんでしまった。
「じゃ俺も昼飯言ってくる。あ、川村さん来てくれてるから。今奥の方で商品整理してくれてる」
「あ、はい。行ってらっしゃい」
大野さんは書類を引き出しにしまってから、そのままお店の外に出ていった。多分コンビニでお弁当買って、裏口から控え室に戻るんだろうな、いつもそうだから。
はあ。
それにしても、なんでこんなに急にこんな暗い気分になるのかな……。
なんか、すごいつまんなさそうに『彼氏でしょ』とか言われたせいかも……。
でも、でもさ。大野さんがニコニコしながらそんな事言っても気持ち悪いと思うのよ。なのに何に落ち込んでるんだか自分でもよくわからない。
なんだろう、またモヤモヤした気持ちまで戻ってきてしまってるし。
もう、わからない事だらけだよ。