06. side TSUGUMI ― 自転車に揺られて ―
「なんでここに居るの?」
大野さんは私の顔を見た瞬間、そんな風に尋ねてきた。
……相変わらず表情がイマイチ読めないし、口調だっていつもとさして変わらないんだけど、多分この人的には驚いてるんじゃないだろうか、そんな気がする。
「えーとですね……」
「あれ、月海ちゃん。来ないって聞いてたのにどうしたの?」
私が大野さんに返事をしようとした途端、村中さんの声が大野さんの後ろから聞こえてきた。
あ、会話を遮られたせいか、ほんの一瞬だけ大野さんは嫌そうな表情。
……話を遮られたのは私なんだけどな。なんて思うとちょっと笑ってしまいそうになり、私はさっきの話の続きを口にした。
「来る予定はなかったんですけど、友達が大野さん達と面識がなくて不安だからってかりだされちゃったんです、スミマセン」
「謝る事じゃないよ、こちらこそよろしくね」
村中さんは、いつもみたく屈託ない笑顔を見せてくれて、大野さんもなんとなく納得したような表情になった。
それにしてもそうなんだよね、なんか恵美ってば最初から私も参加するものと思ってたらしい……。
彼氏が居るのにどうなのって聞いたら別に構わないとか言われちゃったけど、そういう物なのかな? よくわからないんだけど。
運がいいのか悪いのか、今日はバイトも他の予定もなくて、なんだか断り切れなかった……こういうのって流されてるっていうのかな?
でも実はコンパとか参加するのは初めてだったりするので、ちょっぴり楽しみな気持ちもあったりする。
その日の会場は居酒屋さんで、座席は掘りごたつになっていた。
形式程度の自己紹介の後、幹事の人が乾杯の音頭をとる。
「カンパーイ」
そんな掛け声に続いてカツン、カツンとコップのぶつかりあう音が響いた。
私の隣の席には恵美が居て、もう隣はやっぱり学校の友達で、少しだけほっとしてる。
そして、乾杯を終えて自分の手に持っているコップに視線を落とすと、ビールが並々と注がれているのが見える。
よくわからなくて、飲めもしないのに恵美がぐいぐい注いでくれるままにしちゃったんだよね……。
後から周りを見てみると、コップの半分も入ってない段階でストップかけてる子もいて、それでもいいんだ、なんて思ったりした。
お酒なんてひな祭りの甘酒くらいしか飲んだ事ないんだけど、そんな事言ったらまた馬鹿にされちゃいそうで口にはださなかった。
でも恵美のつてで上の学年の人達も来てて、皆グビグビお酒飲んでる。
うん、上級生の人はわかるけど、恵美ってば私と同じ年なのになんか飲みなれてるのってどうなの……。
そんな事を思いつつ私はもう一度コップのビールを眺める。
せっかくだから一口くらい飲むかな、なんて私は恐る恐るコップを口に運んだ。
…………。
苦い……。
これっておいしい物なの?
思わず眉間にしわを寄せて硬直してしまっていたら、ぽんと背中を押された。
「月海、ほら、何か飲みたい物ある?」
恵美はドリンク類が載っているメニューを見せてくれて、お酒以外の物もソフトドリンクという事で少ないながらにいくつかメニューにあってほっとした。
「じゃあ、烏龍茶」
私がそう言うと、恵美は小さく笑った。
「予想通り」
……被害妄想だとは思うんだけど『お子様』って言われた気がする。
なんでかな、この場の陽気な雰囲気に馴染めないからかもしれない。
恵美はメニューを持って他のメンバーにも注文聞いたりして、店員さんに注文したりして、なんか慣れてる感じ。
面識ないから不安とか言ってたけど、私なんて役立ったと思われるのは最初の待ち合わせの時くらいで、後は恵美のがよっぽど馴染んでる。
こればっかりは社交性の問題も大きいと思うし、仕方ないかな。
まあ、いいや。美味しそうなお料理が来てるし、食べる方に専念しちゃおうっと。
そんな感じで出てきたお刺身を食べていたら、隣に誰か座る気配がしたんだけど、私は恵美が戻ってきたんだと思って、あまり気にしてなかった。
「君、ビール呑ないの?」
だから、隣から聞きなれない男の人の声がした時は、ちょっとびっくりしてしまった。
ああ、そうだ、大野さん側でバイト先以外の大学生の人にも声かけてるんだったっけ。
「えーと、お酒苦手なんです……」
まだ未成年なんで。
という言葉は、なんとなく胸の中に飲み込んでしまった。
「へー、そうなんだ、残念。ビールつぎたかったんだけど。
でもイメージ通りだよね」
いきなり馴れ馴れしい雰囲気で話しかけられ、どちらかというと人見知りするタイプの私はちょっと腰がひけてしまう。
「そ、そうですか?」
なんと返していいのかわからなくて、そんな言葉しか思い浮かばない。
「綺麗な髪の毛だね、全く染めてない黒髪って最近珍しいよね」
「そ、そうですか、あまり意識して比べたりしないから……」
「そうそう。そういえば黒髪の女性タレントっていえばさ……」
……この人、私の返事とかあまり必要としていないみたい。
適当に相槌打ってたらどんどん話が進んでいく。
なんか苦手だなぁ、この人。せっかくの美味しい料理も、じっくり味わえないよ……。
「すみません、ちょっとお手洗いに行きますので……」
私は話の切れ目に会話を中断させてから、手元に置いていたバックを手にして、そそくさと席を後にした。
トイレは私達の座席からはちょっと離れた所にあって、ちゃんと女子と男子とで別れていた。
「ふう」
用を済ませて、洗面台の所で手を洗いながら、思わずため息を漏らしてしまっていた。
なんだかどこの席も騒がしくて、お酒が入ってるせいだろう、独特の陽気さが慣れなくて、私は来た早々だというのに少し疲れてしまった。
でも確か120分飲み放題コースとかなんとか言ってたから、我慢するしかないか。
そんな事を考えつつ、トイレから出て、少し歩くと正面から大野さんが来るのが見えた。
「あ、トイレですか?」
声をかけて初めて私の存在に気づいたみたいで、大野さんは俯き加減でゆっくり歩いていたその歩みを止めた。
「倉本さんか、うん、そう。その奥だよね?」
「そうですよ」
私は軽く会釈してから大野さんの横を通りすぎようとしたら、背中越しに大野さんの声が続いた。
「あ、倉本さん」
「はい?」
「別にずっと同じ席に居なくても、空いてるとこ適当に座っても大丈夫だから」
「……あ……、はい……?」
大野さんは自分の言いたい事だけ言って、そのままトイレに入っていってしまった。
私はイマイチ大野さんの真意がわからなかったんだけど、席が近づいてきたときに、もしかしてさっきの男の人に話しかけれてたの見られてたんだろうか、と思い当たる。
もしそうだとしたら、私よっぽどあの男の人と嫌そうに話してたって事?
ちょっと複雑な思いになりながら元の座席に戻ってみると、確かに皆、適度に移動しているみたい。
でも幸い私が元々座っていた席の隣は、ちゃんと恵美が戻ってきてくれてたので、とりあえず元の席に着くことにした。
「月海おかえりー。ハイこれ。月海のために注文しといた分だよー」
恵美はほんのり頬を赤らめて私にピンク色の液体を勧めてきた。
もちろん、照れて赤くなってる訳ではなく、ほろ酔い気分で赤くなっているのは、いくら私でもわかった。
「なにこれ……」
透明のグラスに入っててジュースに見えるんだけど、ここ居酒屋だよねぇ……さっきのドリンク表にジュースってあったっけかな?
「オレンジサ……ジュースよっ」
「オレンジ……サジュース?」
「オレンジジュースよっ、いい間違えただけよ、月海のイケズー」
「痛っ」
笑みはケラケラ陽気に笑って私の背中を思いっきりバンっと叩いた。
イケズって、キャラ変わってないですか、恵美さん……。
背中を叩かれながらもドリンク表を見ると、ソフトドリンクの項目の中には、確かにオレンジジュースはあった。
……あるんだけど……。
「……居酒屋のオレンジジュースって、結構色薄いんだね……」
「居酒屋だからねっ。でも結構おいしいわよ、飲んじゃいなよ」
私が躊躇してると、恵美はすかさずそう話しかけてきた。
ゆっくりと口に運んでみると飲んだ事ない味だけど、確かにオレンジジュースみたい。
「なんか不思議な味……」
うん、妙な甘さがあるし、でも普通のオレンジジュースの甘さとは違うし。
「でもおいしいでしょ? ほら、飲んで飲んで」
「う、うん」
おいしいって言えばおいしいかもしれない。
私もなんだかメンドくさくなってきて、コクコクとあまり間をおかずに飲んでみたりした。
あれー、なんか急にほっぺたがあったかい感じ……頭もぼーっとするし……なんだろう……。
「おおー。月海、ピーチもいっとく?」
今度はピーチジュースかぁ。
「うーん、いいよー」
そんな事をぼんやりと考えつつ、私は新しく来たお料理に箸を伸ばした。
ふと気づいたら、夜風が頬に冷たくて、でもそれはなんだか心地よくもあり、不思議な気分。
顔を横にすると歩いているより早くに目の前の風景は流れていき、横座りしてる右側はほんのりと体温を感じたりして、それは自転車を漕いでくれている大野さんの背中だったりするんだけども。
そして、鼻に掠めるのはパーカーにも染み付いてしまっいる煙草の匂い。
大野さんは、煙草の匂いを指摘した時不思議そうな顔をしてたけど、部屋の中にきっとその匂いは染み付いてるんだと思う。何かの機会があれば指摘してあげよう、そんな事が頭を掠める。
ただ、コンパの事は後半はなんだかよく覚えてない。全く記憶にない、なんて事もないんだけど、そうだなぁ、いつもよりなんだかよく喋ったような気はするんだけども。
いつもなら飲み込んでしまうような事も、口にしてしまった気がする。
そして、どうしてかわからないけど、帰る頃には上手く歩けなくて、よろついてしまってた。
それで自転車で来ていた大野さんが見かねて、家も近いからって事で送ってくれる事になったんだった。
なのに外で自転車を見た瞬間に思った事は、簡単に口から零れ落ちてしまっていた。
「確か、自転車でも飲酒運転になるんですよね……」
「……別に無理して後ろ乗らなくてもいいんだけどね」
ボソっと無表情で返されたその言葉は、最初の頃ならびくついていただろう物なんだけど、今は本気で言ってる訳じゃないってわかる。
「言ってみただけです。お手数ですが、よろしくお願いします」
私がぺこりと頭を下げて見せると、気のせいだろうか、大野さんが笑ったような気がした。
コンパのお店から、私達の街までは自転車だと30分くらいかかる場所だった。
自転車の後ろに揺られていると、ぼんやりとしていた私の意識もクリアな物になってきて、なぜだか続いたいた頬の熱も引いてきた。
「大野さんて、なんで自転車なんですか? 車とか、バイクとか使わないですよね」
もしかしなくても大学も自転車で通ってるのかも。
「だってほら、この辺て一方通行多いし、逆に大きい道路も多いし。ガソリン使わないといけない奴は小回りきかないだろ」
そして「最近ガソリン代高いしな」という聞き取れるかどうかくらいの小さな付け足しの呟きに、私は思わず小さく笑ってしまった。
なんとか家の前まで送り届けてもらった頃には実はお尻がちょっと痛くなってた。
でも、送ってもらったのにそんな事は言えないので、私は自転車の荷台から降りてから先にお辞儀をしつつ御礼を言葉を口にした。
「わざわざありがとうございました」
「いや、いいよ。あんなにふらついてたら事故られても後味悪いしな」
大野さんの言葉に、思わず私は首を傾げしてしまう。確かにお店を出る頃はなんだかふらついてたけど、そんなにひどかったかな……。
「そういえば、大野さんは誰か女の人と仲良くなれたりしたんですか?」
不意に思いついた事をそのまま聞いてみたら、大野さんは途端に変な顔になった。
あれ? だってコンパってそういう物じゃないのかな……?
「まあ、出会いのきっかけくらいの物だし、合コンなんて。必ずしも誰かと仲良くなれる物じゃないだろう。しかも後半は倉本さんに捕まって新たな出会いなんてある訳ないじゃん」
そ、そうだった……かも……?
そういえば、トイレから戻ってきたらしき大野さんを、隣が空いてたからドウゾとかなんとか言ったかも……。
思い出してくると冷や汗が流れる気分。
「ス、スミマセン……」
なんだか申し訳ない気分になって、そう言うと、大野さんは少しおかしそうに笑った。
「いや、別にいいよ。俺はどっちかというと合コンは人数合わせで参加してる口だから。知り合いと時間つぶすくらいのが実は楽なんだ」
「ホントですか?」
なんか私に気をつかってくれてるのかなぁ、なんて思ったりして、つい続けて聞いてみたりする。
「こんな事嘘ついても得しないし」
「そうですか、よかった」
大野さんの表情を見てると、嘘ではない気がして、私はやっと安心できた。
そしたら、玄関の扉が開く音がして、振り向くとそこにはお母さんがいた。
「あら、外で話し声がすると思ったら帰ってきたのね」
お母さんはそう言いながらちらりと大野さんを見た。
「あの、バイト先の先輩の大野さん。今日ここまで送ってくれたの」
「大野です、倉本さんにはお世話になってます」
大野さんはお辞儀をしてそう言ってくれたけど、お世話になってるのはどう考えても私なんだけどね……。
「こちらこそ、月海がお世話になってます。この子ちょっと抜けてるとこがあるから心配なのよねぇ、ご迷惑かけてなければいいんだけど」
……何も否定できないんだけど、抜けてるとかそんな事わざわざ言わなくてもいいのに、お母さんの馬鹿。
「そんな事ないです、丁寧に仕事してくれるのでとても助かってます」
だけど、続けて聞こえてきた大野さんの言葉にはちょっとびっくりした。
もちろんお母さんの手前、大げさに褒めてくれてるんだとは思うんだけど、『丁寧』なんて単語は多分ちょっとは思ってくれてないと出てこない単語のような気がしたから。
「そうだといいんですけどねぇ。……ところで、あの、もしかして月海の彼氏とか?」
……………。
「「違いますっ」」
母の思いつきのそんな言葉に、私と大野さんの声は冗談みたいに重なって、思わずお互い顔を見合わせてしまった。
「もうー、お母さんってば何言ってるのっ。大野さんに迷惑でしょ」
ホントにもう、恥ずかしくて、私は母の元まで駆け寄ってしまった。
「あら、違うの? 残念ねぇ」
私の慌てた気持ちなんて知らないお母さんは、まだのんびりとした口調でそんな事を言っている。
「大野さん、ごめんなさい、母が馬鹿な事言ってっ」
ああ、もう恥ずかしいっ。なんなのこの人は。夜風のおかげで冷めた筈の頬が、また熱くなってしまった。
「いや、まあ、気にしないよ。じゃあ俺そろそろ帰ります」
大野さんは少し困ったように笑ってそう言った。
「あ、はい。おやすみなさい、ありがとうございましたっ」
私の言葉に、自転車に乗りかけてた大野さんは、自転車に跨ったり、背を向けたままで右手を小さく振ってから、夜の街へと漕ぎ出していった。
「そうなの、彼氏じゃないの」
私の隣で母が本当に残念にそうに、そう漏らした。
……なんなの、この人は……。
私は小さくため息をついた。