04. side TSUGUMI ― ヘビースモーカー? ―
すごいびっくりした。
だっていきなり、大野さんてば自転車で送ってくれるとか言い出すんだもの。
でもそんなに仲がいい訳でもないのに、申し訳なくて遠慮したら『別に何もしないってか、実家でしょ?』なんて言うもんだから、べ、別に送って貰ったからどうのなんて考える程、自意識過剰じゃないんだから。……なんて、そんな思いでつい送ってもらう事にしちゃったんだけど。
「あ、そう。……じゃあ行こうか」
大野さんはそう言いながら、私がOKした事を少し驚いているみたいな表情。
やだ、失敗したかな、私が断るって思ってたから、からかってただけなのかもしれない。
「……はい」
でも今更断るのもおかしな流れのような気がして、一応返事してみたりして。
大野さんは無造作に飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れた。
あれは多分、私が買ってきたコーヒーだよね、なんて頭の隅でぼんやりと思った。
「……なにやってるの?」
自転車のサドルに腰かけ、左足はペダルに、右足はアスファルトに置いたままで首を私の方に向けながら、大野さんはどこか怪訝そうな表情でそう聞いてきた。
「えーと。お言葉に甘えて自転車の後ろに座らせて貰いました、けど?」
そう、誰かの自転車の後ろに座ったのなんて子供の時以来でちょっと緊張しつつも、私はまたがるのが気が引けて、横座りなんてしている。
そして、両手をサドルの真下の辺りにある荷台の金属に置いて体制を整えていたりする。
あ、今日は肩にかけられるバッグだったから、幸いにも前カゴのない大野さんの自転車でも大丈夫だった。
……それにしても、なんでこんな怪訝そうな表情をされるのかな……?
私が本気でちょっと考え込んでいたら、大野さんがわざとらしく大きな溜息をついた。
「あのさ、そんなんじゃ危ないから」
大野さんは荷台の金属を握りしめている私の両手に視線を落す。
それでやっと彼の指摘している意味がわかった。
……そうか、そうだよね、これじゃちょっと確かに心もとないかもしれない。
でも、なんか、抱きついたりとかするのもどーなの……。
うん、わかってる。
大野さんはあくまでも、中途半端な事じゃ危ないから言ってくれてるだけなんだよね。
ちょっと考え込んだ私は、大野さんの脇腹辺りを両手で掴み、体自体は抱きつかない方向にしてみた。
「……しっかり捕まってて。ゆっくりめに漕ぐつもりだけど」
なんとか大野さんはこの体制で納得してくれたようで。
「はい、安全運転でお願いします」
ちょっとほっとして、そんな風に返してみたらなぜだか大野さんは小さく笑った。
……あれ? 今は別に受けは狙ってなかったんだけど……?
そんな風に大野さんの見えないとこで私が小首を傾げていると、ゆっくりと自転車は動きはじめた。
すっかり日も落ちている街を、自転車に揺られて通り過ぎていくのはいつもと違ってちょっと不思議な気分。
頬を撫でてくれる春の風も心地いい。
きっと気をつかってくれてるんだろう、ゆっくりとしたスピードで漕いでくれてるのがわかる。
それでも歩いている時より、少し早く移り変わるいつもと同じ風景は、視線が少し低いせいもあいまっていつもより少し新鮮に映る。
キキーッ。
「きゃっ」
ぼんやりとしていた所での、突然の自転車の急ブレーキに、思わず私は小さく悲鳴をあげ、大野さんの背中に抱きついた。
そしたら目の前をもの凄い勢いで車が横切っていった。
ちょっと、こんな一方通行の交わる道でそんなスピードはないでしょう……ホント車って時々怖い運転してる人いるなぁ……。
「ごめん、急ブレーキかけちゃって」
大野さんも少し心配そうな表情で振り向いてそう声をかけてくれた。
「いえ、大丈夫です、ちょっとびっくりしたけど。それに今のは車の方が悪いし」
私が見上げながらそう言うと、大野さんはちょっとほっとしたような表情になった。
大野さんて、言葉少ない方だし、一見すると無表情なんだけど、よくよく見ると今みたいに感情を読み取る事ができる事に最近気づいた。
愛想がないって事なんだろうけど、よく言えば押し付けがましくなくていいのかもしれない、なんてナマイキにも思ったりする。
私がぼんやりとそんな事を考えている間にも、大野さんは右、左を確認してから、小さな路地を横切るために自転車を再び漕ぎ始める。
あ、やだ、私ってばまだ大野さんに抱きついたままだ。
でももう自転車は進み始めてるし、急に体離してバランス崩したら大野さんにも迷惑だし。
今更こんな事くらい、意識するような年でもないよね、そう思うのに妙にドキドキしてしまう、仕方ないかな、自分で言うのもなんだけど私、男の人に慣れてないし。
そんな感じで勝手に頭の中で混乱していたんだけど、不意に鼻を掠める煙草の匂いに思考が停止する。
ああ、そうか、大野さんのシャツに染み付いてるんだ。
……にしても、こんなにはっきり匂いが残ってるなんて、大野さん意外とヘビースモーカー?
そう考えてみると、大野さんは休憩時間必ず裏に出てるよね、あれって煙草吸ってるからで。
家とかでは実はかなり吸ってるのかもなぁ、なんて事を考えていたら、自転車が止まった。
「ローソンの裏ってこの辺りだと思うんだけど、どの辺?」
大野さんに聞かれ、思わずキョロキョロと辺りを見回す。
「あ、はい、ここまででいいですよ、あの家なんで」
私はそう返事をしながら自転車から降りて、自分の家を指差す。
「そっか、じゃあまた明日」
大野さんも、私の指差した先を確認しながら、そんな風に声をかけてくれた。
「はい、また明日もお願いします。あ、大野さん」
「え?」
自転車を漕ぎ出す体制に入ってた大野さんは、挨拶の後に呼び止められるとは思ってなかったみたいで、少しきょとんとした表情でこちらに振り返る。
普段あまり見ない表情で少し面白いかも。
「大野さんて、もしかして煙草たくさん吸います?」
「え? 別に普通。一日二箱くらい?」
大野さんは、少し考え込んでからそんな返事をした。
「えええっ。二箱って絶対多いですよっ。少し減らした方がいいと思いますっ」
びっくりしちゃって思わず私はそんな風に力説してしまってた。
「そ、そうかな? うーん?」
大野さんはと言うと、私の様子にやっぱり驚いてるみたいなんだけど、『煙草を吸う量が多い』と言われた事自体はピンと来ないみたいで、少し不思議そうな表情のままで意味をなさない言葉を紡いでいる。
「そういえばなんで俺がヘビースモーカーだって思ったの?」
引き続き不思議そうな表情の大野さん。
そっか、確かに急に話飛んでるって言えば飛んじゃったもんね……。
「だって、大野さん、シャツに煙草の匂い染みこんでますよ? 沢山吸ってるのかなぁって思ったんです」
「え。そうなんだ……」
言われて大野さんは自分の二の腕の辺りを鼻先まで運んで、くんくんとシャツの袖の匂いを嗅いでる。
なんかちょっとかわいいかも。
「んー? わかんないけどなぁ……」
本当にわからないんだろう、ピンと来ない、そう言いたげな表情。
「多分吸ってる人にはわからないんじゃないですか?」
思わず苦笑いしながら、私はそんな風に答えた。
「そうかもなぁ。まあ、煙草の値段上がっちゃって財布もきついし、少し減らすようにしてみるよ、じゃあ、そろそろ本当にこのへんで」
「あ、はい、スミマセン引き止めちゃって」
「いや、別にいいよ、じゃあ」
「ありがとうございました」
私がそう言うと、大野さんは小さく頷き、今度は本当に自転車を漕ぎ始めた。
大野さんの後姿が、大通りへと出る曲がり角へと消えた頃、私もゆっくりと自分の家へと向かい歩き始める。
そして玄関のドアに手をかけた頃、携帯の着信メロディが鳴り響く。
このタイミングでの着信は多分あの人。
バックから携帯を取り出し、ディスプレイを見ると、そこに表示されている名前はやっぱり高木くんだった。
私は電話に出ながら玄関のドアを開けた。
「……うん、じゃあ、またね」
ピッ。
一通り話が終って、携帯の切断ボタンを押す。
電話しながらゆっくりと移動して自分の部屋へと戻ってきていて、ベッドの端に腰をかけて話をしていた。
最近、高木君はバイトが終る頃にいつも電話をくれる。
なんかマメだよねぇ、と友達に言ったらつきあってるんなら当然でしょ、とか言われてしまった。
そういう物なのかなぁ……。
いくら学校違うからって、毎日のように電話って本当はちょっと面倒……なんて誰にも言えないけども。
かと言ってメールもあまりこまめに返事できないしな、私。
もしかして『つきあう』行為自体に向いてない? とか馬鹿な事を考えてしまう今日この頃だったりする。
イケナイ、イケナイ。
まだデートだって一度しかしてないのに。
映画を見て、食事をして、ぶらりと街を見て回って。
そう、きっと本当にさしさわりのない初デートなんだと思う。
そして、別れ際に触れるだけのキスをした。
不意に高木君の顔が近づいてきて、自分の唇に高木君の唇の感触がして、頭まっしろ。
でも顔が離れた時の、高木君の少し照れた表情とは対象的に、あ、今のキスだったんだ、なんて妙に冷静になっていく自分が少し滑稽だった。
なんだかよくわからないまま終ってしまったけど、実はファーストキスだったのに。
もっとドキドキするかと思ったんだけどな。
高木くんは優しいし、話しやすいし、いい人だからいいかなぁとか思ってたんだけど、キスに限らずドキドキするような感じって特にない。
皆意外と実はこんな感じなのかな? つきあうって。
きっとない物ねだりなのかもしれない。
友達なんかは優しそうな彼でいいなって言ってくれるし、うん。
そう思い込もうとしてても、高木くんの事を考えると何故だか溜息ついてる自分がいる。
チャララン。
ん? 今度はメール受信を知らせる短い着信音が携帯電話から聞こえてきた。
携帯を開いてみると、友達の恵美からだった。
『合コンしたいんだけど、男側のメンバーとか心当たりないかな? ちょっと困ってるんだ(>_<)』
「ちょっとお、私にそんなツテある訳ないじゃないの」
メールを見た瞬間、私は思わず誰もいないの自分ちの部屋のベッドの上で、携帯に向かってそう言葉にしてしまっていた。
いっつも男慣れしてないとか、イマドキうぶすぎとか言って人の事散々馬鹿にしてる癖にー。
そうだよ、そんな私に合コンの男性側メンバーのツテなんてあるはず……。
『同級生で合コンしたいとかって人いるかなあ? 村中が合コンしたいって言ってて』
ああ、なんか大野さんがそんな事言ってたなぁ……。
あれって本気だったのかなぁ……?
ええと、何をどうすればいいのかな……よくわからない。
とりあえず、恵美に念のために確認のメールだけしておくかな。
私はメールの返信ボタンを押した。