01. side KAITO ― 彼女の第一印象 ―
第一印象は、……まあまあ、かな。
夕方、一人暮らしのアパートからまっすぐバイト先のレンタルビデオショップに向かう。
大学は今月いっぱいは春休みだけれど、昼のシフトは主婦のパートさんたちで決まってしまっているから、大学に行っているときとほとんど変わらないシフトで店に入っていた。
3月になったからって夕方になればまだ少し肌寒い。
パーカの襟元を上げるようにして自転車を漕いだ。
「おはようございまーっす」
昼でも夜でも、職場での挨拶は『おはよう』だ。
たぶんどこでもそうだと思う。
大学に入った頃からずっとこの店でバイトをしている。
いつの間にかこの店で一番長く働いているバイトになってしまって、店長補佐とか言われるようになっていた。
……言い方は偉そうに見えるが、実際は雑用係だ。
シフトを組んだりするのもいつの間にか僕がやるようになっていた。
ああ、来月のシフトもそろそろ決めないと。そんなことをぼんやりと考えながら、ロッカールームに入った。
「あ、来た来た。大野君おはよう」
ロッカールームに入ると、待ち構えていたように店長が手招きした。
「おはようございます。……あ」
店長の隣に、少し緊張したような表情をした女の子が立っていた。
「今日から新しいバイトの子入るから。……この前言ってたよね?」
「はい、……今日からでしたっけ?」
「うん、卒業式も終わったしって」
「あの、倉本月海と言います。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて顔を上げたときに目が合う。
……うん、まあまあ…かな。
わりと小さい顔に地味めの顔立ちではあるけど、イマドキの女子高生というよりはちょっと古風な雰囲気が漂ってるように思った。
店長の好きそうなタイプだな。
しかし最近女性のバイトといえば主婦の人たちばかりだった店に、ちょっとした華やかさが出ることは間違いなかった。
うん、華やかなのはいいことだ。
……いや、主婦のみなさんが華やかでないというわけでもないけれど、……やっぱり年が近いほうがなんとなくいい。
そんな気がする。
「で、俺今日はこれで上がりだから、仕事教えてやってくれる?」
「……俺がですか?」
僕はあからさまに嫌な顔をした。
「店長補佐だし。」
「それ勝手に店長が決めた呼称だし。実際そんな役職ないし」
高校卒業したばかりなんて、ほとんどバイトの経験なんてないだろうし、そんなのに一から教えるなんて面倒くさいことしたくない。
だいたい店長の仕事だろ。
「今日デートなんだよ」
そろそろ独身を卒業したいと常々言っている店長が、口を尖らせるような顔をして文句を言う。
「知りませんよそんなの」
根性悪いかもしれないが、心の底からそんなの知るかと思った。
彼女いない僕へのあてつけですか?
そんな僕らのやりとりをハラハラしたような表情で見守っている彼女に気がついた。
「……まあいいですよ、やりますよ」
「じゃあ頼むわ。倉本さん、この大野店長補佐にいろいろ教えてもらって」
「はい、よろしくお願いします」
また僕に向かってぺこりと頭を下げた。
顎までの黒髪がさらりと顔を覆って、顔を上げたときにまた元に戻った。
「倉本さん、バイトって何かしたことある?」
「いえ、初めてなんです」
やっぱり。箱入り娘かなーとか思った。
「じゃあ簡単なことからやろっか。……返却されたビデオ、棚に戻しに行こう。棚の位置、早く覚えてね」
カウンターの後ろに並べてある返却されたDVDやBlu-rayをワゴンに積みながら、彼女に話しかける。
「はいっ」
彼女はまだ緊張しているような硬い顔をして、返事をした。
「……緊張しなくてもいいから。カウンターに入ったらちょっと緊張するかもだけど」
「あ、はい…すみません……」
ワゴンを押しながら、店の奥のほうへふたりで並んで歩いていく。
こういうときは、なにか世間話をして和ませるべきだろうか。
「あー…倉本さん、ツグミだっけ? 名前」
さっき、店長の机の上にあった履歴書をチラっと見たけれど、名前の漢字は忘れてしまった。
「あ、はい。そうです」
「どんな字書くの?」
「えっと、月に海でツグミって読むんです」
「へえー。俺は海斗って言うんだ。海に北斗七星の斗」
「あ、海つながりですね」
と、そこで今日はじめて彼女の笑顔を見た。
……けっこうかわいいかも。
地味めの顔立ちではあるけど、笑うとふわっと柔らかそうな感じがした。
例えて言うなら、マシュマロとか?
そういう、ふわふわなお菓子を思い出させるような笑顔。
色白だし。…うん、マシュマロだな。
「そっか、文字だとちょっと似た名前なんだな」
「そうですねー」
「……あ、こっちから先に」
と、店の一番奥のカーテンで仕切られたスペースを指差す。
「……ここですか?」
「うん。 奥からやってたほうがなんとなく効率いいと思うんだ」
僕は躊躇うことなくカーテンの中に入っていく。
「えーっと……はい……」
反対に彼女は入り口で躊躇するように立ち止まった。
「あー…これも仕事だしさ。 気にするようなことでもないから」
そりゃあ、このスペースの中で女性に会うと一瞬ビックリするけれど、店員ならほとんどなんとも思わないのが普通だ。
「そ、そうですね。 仕事ですよね」
意を決したような表情をして、中に入ってくる。
「……こういうの見たことない? 兄弟とかいないの?」
「み、見たことないですっ。それに私一人っ子ですしっ」
「あーそうなんだ」
顔を真っ赤にしてうつむき加減で僕の後についてくる。
なんかちょっと面倒くさいな、こういうタイプ。
履歴書には共学の高校名が書いてあったはずだけど。
18にもなって、純情ってやつ?
いまどきそんなのアリなんですかね。
僕は真っ赤な顔をした彼女を横目で見ながら、ちょっと意地悪な気分になっていった。
「……大野、先輩は…こういうの見るんですか」
「さん付けでいいよ」
「……大野さん」
「たまに観るかなあ。 俺も男だし。 このくらいの年でAVくらい観たことないってやつのほうが少ないんじゃないかな」
たまにどころか、男子バイトプラス店長で月に1回か2回は『新作試写会』をやっているけど、そのことは黙っていたほうがいいと即座に判断した。
「お、男の人って…やっぱりやらしいですっ」
かあっと顔を赤くして、叫ぶように言い放った。
……おいおい、客もいるんだけど。
見える範囲をさっと見渡すと、やっぱりぎょっとした顔をした客と一瞬目が合った。
「別に普通だってば。 倉本さんの同級生も絶対観てるって」
そう言いながらもとりあえずは彼女の背中を軽く押してAVコーナーから離れた。
「そ、そんなことありませんっ。 だって高木くんはそんなこと……!」
と言って急に口をつぐんで、赤くなった顔をより一層赤くした。
「……あ、彼氏?」
今、君付けで名前言ってたよな?
彼氏いるのか……ってなんで僕はがっかりしてるんだろう。
「だ、誰にも言わないでくださいねっ」
彼女は慌てた様子で小声になって言った。
「いや、そもそも高木君って知らないし。 彼氏いるくらいは知られても別に変なことでもないでしょ」
「そうですけど……」
でもこういう純情娘だし、いろいろと詮索されるのが苦手なのかもしれない。
「……まあいいや。 仕事しよっか。あっちのコーナーはだいたい女優さんの名前順に並んでるから、あいうえお順ね。……またあとで行こう」
と、とりあえずカーテンの向こうの客とは顔を合わさないようにするために、少し離れた場所にワゴンを押して移動する。
「こっちのお笑いコーナーは芸人の名前と番組名の順番。そのコーナーによって違うけど、ざっと見ればだいたいわかると思うから」
そうだ、変に世間話をしようとするから面倒な感じになってきたのであって、さくさくと仕事をすればいいんだった。
そう思いなおして、仕事の説明を始めた。
「……はい……」
さっきよりも小さな声で返事をしながら、それでも僕の言うとおりに仕事についてきていた。
あれから彼女は、僕の言ったことに対して『はい』とか『わかりました』とかの返事はするものの、ほとんど口を聞くことなくその日のバイト時間は終了した。
……なんか、感じ悪くないか?
「えー彼氏いるのかよー。 がっかり」
その日から3日後、彼女のいない時間に同僚の村中がため息をついた。
昨日、彼女は村中と同じ時間帯のシフトで、村中はかなり気に入っていたらしい。
「あー黙っててくれって言われたから、倉本さんには言うなよ」
「えーその子かわいいんすか? いいなー俺まだ一緒のシフトになってないんすよ。 いつ一緒だろ?」
と、1学年下の鈴木がロッカールームに貼ってあるシフト表を確認する。
「あ、明後日同じ時間だ。 楽しみ~」
「別に普通だよ。 そしてAV観るような男は嫌いらしいからお前はダメだな」
浮かれる鈴木に釘を刺すように言った。
「なんですかそれー」
「おおー、純情っぽいな! 俺そういう子好みなんだけどなー」
「でも彼氏持ち」
「つまんねー」
彼女いない3人組の僕らは意味もなく同時にため息をつく。
そもそも、職場で出会いを求めるのが間違いなのだけど、理系の学部の僕はもともと出会いのチャンスが少ない。
彼女がいたことがないわけでもなかったが、そんなに経験豊富でもなく……ぶっちゃけ、今まで2人としかつきあったことがない。
いや、2人とつきあったことがあるというだけでも、とりあえず村中よりは経験豊富だ。
それでも世間一般的にはたいしたことない部類に入ってしまうだろう。
人数の多さなんかは問題じゃないかもしれないけど、なんというか、……やっぱり経験は少ない。
彼女のこと言えるようなもんじゃないな……と思った。
いや、彼女には今は彼氏がいるんだし。
彼氏がいたからって別に関係ないし。
なんで僕はあのときがっかりとか思ったんだろう。
別に関係ないじゃないか。
……いや、AV観るって時点で彼女的にはアウトだったか。
いや、アウトだとかセーフだとかないし。
全然、関係ないから。
「飢えてるな、俺……ありえない……」
誰にも聞こえないようにぼそりと呟いて、ロッカーを開けて職場の制服になっているチェックのシャツから私服に着替えた。