第八幕
「それはな……単にテミちゃんのことを心配しているだけなんだぜ? いくら腹違いとはいえ、クロウはテミちゃんのおにーちゃんなんだ。ちょっとは神経質にもなるさ。かわいい妹のことだからな」
「でも……」
「でも、じゃあない。そりゃあ確かにクロウの野郎は、神経質になりすぎているかもしんねぇ。シスコンだって……ああいや、なんでもない。だがクロウのそんな行動は、テミちゃんにとっては鬱陶しくて辛いことであっても、全部きみのためにやってることなんだぜ? テミちゃん」
広間のベンチでふたりは会話していた。地上十メートルから落ちても怪我ひとつしなかったジルバと、自分の兄と顔を合わせたくなくて広間で時間を潰しているテミのふたりである。
「でも羨ましいよ。そうやって悩める余裕があるってさ。俺なんか、毎日働きづめて、やっとどうにか生活できるだけの金をもらって、ただそれだけだもんな」
「ジルバさんには……悩みはないんですか?」
「あるよ。ただ、それをどうにかする時間がないんだ。……いや、時間そのものはあるのかな。ただ俺が目を背けているだけで」
ジルバは上を見上げる。両腕を肘のあたりで、ベンチの背もたれに置いて。
テミはジルバと会話しているうちに、だんだんと小さくなっていった。両手を膝に置く。
「このビルには……自然がありません。この芝生も、あの木も、この広間が綺麗な円形になっていることだって、ぜんぶ人間が作ったものです」
「テミちゃんは……それが嫌なのか?」
「ええ、イヤです。首が絞められます。息苦しくなります」
ふーん、とジルバは無責任な相槌を打つ。この状況を楽しんでいるという風でも、面倒臭がっているという風でもなかった。ただジルバは、後輩の相談に乗ってあげているだけのようだ。深く関わったりしない、そう自分に言い聞かせてでもいるように。
「だったら……テミちゃん、上を見上げてごらんよ」
「上?」
テミは斜め上を見上げた。彼女の視界に映るのは、規則的なビルと、カーテンで閉められた窓だけだった。
「違う違う。真上を見るんだ。首が痛くなるくらい、真っ直ぐ上をね」
テミは言われるがまま、顔を真上に向けてみた。いつも下ばっかり向いていたからか、少し筋肉が強張ったようで、膝に置いていた左手を首に送る。その途中、その手がジルバの右腕に当たった。
会話の間、ジルバがずっと眺めていた世界。
「うわあ」
テミはつい感嘆を上げた。
「これが、空だよ。ビルがどんなに高くたって、まだまだ届いてねぇ空だ」
広間の形と同じ、円形の空。ビルに囲まれたせいで、広間から真っ直ぐ上を見ないと見ることができない。だがそこには風の動きがあった。雲が、動いていた。
「ジルバさん!」
「……なんだ」
テミの瞳は、磨かれた宝石のように煌びやかに輝きだしていた。
「屋上に行きましょう。わたし――空が見たいです」