第三幕
魔王なんていなかった。魔王は、人々が創りだした幻だった。低迷していく社会の責任転嫁だった。ただの充て付けだった。
十人の子供たちが冒険で得た成果は、たったのこれだけだった。罪のない獣たちを見境なく殺していただけだった。実際には存在しない魔王を討伐しようと、幻惑の罠に自分からかかっていっただけだった。
誰から始まったわけでもなく、幻の悪者は生まれていた。口で言い伝わっていった童話のように、それは一斉に広まっていった。「悪いのは魔王だ」、「みんな魔王のせいだ」……自分たちの不平を、ありもしない幻想に押し付けた。
次第にみんな、魔王の存在を信じきってしまっていた。自己暗示のように、集団暗示のように。憎悪の矛先が魔王に向けられた。高校を卒業したばかりの十人が、魔王討伐軍として選ばれた。彼らは多くの人から栄光と激励の拍手をもらい、治安の悪い町から旅立っていった。
あまりに多くの獣を殺し、あまりに多くの命を奪った。彼らが最終的にたどり着いた城は、ただの寂れた廃墟だった。獣がねぐらに借りているだけの、無人の城だった。魔王はいなかった。だが彼らは魔王の存在を信じ続けた。城にいる獣をまた殺し、城を炎で包んだ。
魔王なんていなかった。流行はあくまで流行であるように、魔王の存在はだんだん人々の頭から消えていった。忘れ去られていった。そこに残ったのは、皮肉にも社会の発展だった。十人の子供は「ありもしないものを追い続けた頭のおかしな子供たち」として、哀れな眼差しを向けられた。それでも彼らは魔王の存在を信じ続けていた。魔王がいないということは、すなわち彼らは無駄に時間を浪費し、無駄に命を奪い、無駄に命の危険に首を突っ込んでいたということになる。彼らは精神的な治療を受けさせられた。
それから七年が経った。十人の子供は、もう子供ではなくなっていた。
町にはAからFの番号のついた高層ビルが建てられた。住民の九割以上がそこに住み着いた。十人もそこに住んでいた。だが彼らは職にありつけなかった。履歴書の空白と、精神病を患っていたという事実は、剣よりも痛々しく彼らを切り刻んでいた。
ジルバは渡り廊下の窓を拭いていた。外側から、である。廊下の窓は完全に隙間のないように設計させているので、内側から外側を拭くということができないのだ。地上十メートルで、命綱を頼りに窓を拭く。
朝の七時だ。ジルバは六時からこの仕事をしている。彼の役割はA棟とB棟間の渡り廊下。ちなみに、清掃員は渡り廊下しか掃除しない。プライバシーを優先しているのだ。自分の部屋周辺は自分で。
ジルバはもともと、保育士を目指していた。正座をして、まだなにも知らない幼児に未来を教えてあげるのが、ジルバの夢だった。だが百を越える命を奪った男には、低賃金の清掃員しか職は残されていなかった。
ぼりぼりと、ジルバがぼさぼさした茶髪を搔いていた。右手でモップを支えながらの行為である。それと、大きな欠伸もひとつ。
彼の髪が茶色いのは、生まれたときから、つまり、地毛である。今彼には、髪を染めるような金はない。
仕事を終えた彼は、のっそりとロープを伝い、屋上へと戻っていく。実はこのとき、命綱とロープは、彼を支える二本の綱は、屋上のコンクリートに擦られて、今にもちぎれそうな状況だった。ジルバはロープを登る。強い風が吹いた。
そして安い綱はちぎれた。