第一幕
この町は、人口は多いが人通りの少ないところだ。六つの高層ビルが円く立ち並び、それらは地上十メートルのあたりから渡り廊下でつながれている。渡り廊下でつながれた六つのビルが、人工的な円を描いている。
「あの、ちょっとだけよろしいですか?」
ふわふわとした金髪が背中まで伸びていて、宝石を埋め込めたような瞳をした少女が、ちょうど渡り廊下ですれ違った男に、そう声をかけた。
「……はい」
少女の美貌に酔いしれた、のかどうかは定かではないが、男は立ち止まった。少女よりもずっと背の高い男である。小動物のような少女は胸ポケットから、リスのような動作で白い紙を取り出す。
「わたくし、こういう者です」
少女が男に渡したのは名刺だった。この閉鎖的な時代にしては、なかなか珍しい代物である。顔に煌く宝石をちらつかせ、少女は軽くお辞儀をする。
「テンミリ探偵事務所、のテミさん?」
男が紙の文字を読み上げる。
「はい。それで、あの、少しお伺いしたいことがあるのですが……」
「なんでしょう」
強い風が吹いた。渡り廊下の窓ガラスが、がたがたと揺れながらも風を受け止める。風が廊下内に入ってくることはない。テミの髪は靡いていた。
「A棟八〇二号室の、朝凪さんをご存知ですか」
「ええ。あ」
ふと思い出したように、男は若干腕を持ち上げる。本当にそれはごくわずかなもので、テミはその腕の動きに気付かなかった。
「その人、先月から行方不明になっている人ですよね」
「はい」
どうやら、男は朝凪という人を知っているらしい。男はテミの可憐な顔を見ながら言う。
「僕は、その人の隣に住んでいる者です。八〇一号室の者です」
「あら、そうでしたか。今月の十四日、彼女に……」
テミは、男にあれこれと質問をした。答えを聞きながら、ペンをメモ帳に走らせる。焦げ茶色のカバーを着たメモ帳だ。テミの探偵服と同じ色だ。
「では、こんな朝早くに、お時間をおとりして申し訳ありません。ご協力に感謝します」
そうテミはやわらかくお辞儀をする。惜しげもなく晒される艶やかな金髪が、肩からふわりと垂れた。
頭を上げ、最後ににこやかな表情を見せ、テミは廊下を渡りきるためか男に背を向ける。そうしてゆっくりと歩こうとした。
が、「待て」という背中に刺さる声に、テミは足を捕らえられでもしたように止まる。
おそるおそるもう一度振り返ってみると、それはさきほどの男ではなかった。
「お、お兄様」
黒と白の混ざった色、つまり灰色の髪をしている。右はルビー、左はサファイア。そう喩えられそうな瞳が、同調して冷酷にテミを見る。
「また騙されたな。そんなので探偵が務まると思うのか」
「……」
テミが頭をすくっと下ろし、目を伏せる。まるで親に叱られている子供だ。
「ここは無風の空間なのに、髪が靡いたりして、おかしいとは思わなかったのか? ヒントのつもりだったのだが」
「…………すいません」
消え入るような声だ。それでも芯の通った声だ。またミスをした、そう自分を恥じているというよりも、今のこの状況を鬱陶しく思ってでもいるような声だ。
「さあ、帰るぞ」
「はい」
自分たちの住むところへと、自分の仕事場へと、ふたりは向かう。
ふいに、忘れ物でもしたように彼は立ち止まった。彼の赤と青のオッドアイは、宝石といえど光を失った、埃を被ったような感じを受ける。
「それと」
「……はい?」
「八〇一号室、今は空き部屋だ」
それだけ言って、彼はいつものように黒猫に変化して、先にテンミリ探偵事務所へ行ってしまった。猫のように、無責任に妹を置いて。
廊下の窓を風が叩いた。風が漏れ込んでくることはない。テミの金髪は、銅像のように固まっていた。