第一四幕
ルファが右腕を振り上げた。マゼンダの頭上に振り下ろす。ブロントが間一髪でマゼンダを突き飛ばす。右腕が瓦礫を砕く。その隙にマゼンダが呪文を唱える。ルファの白い髪に火がつく。火が大きくなる前に、ルファは自分で髪を切った。
とたんにブロントが後ろからタックルをきめる。ルファは姿勢を崩しながらも体の向きを変え、右腕をタックルの威力に乗せる。指先がブロントの頬を切った。顔に血の波模様ができる。痛みに判断を任せて、ブロントが咄嗟にルファの右腕を掴む。だがそれは、剣の刃を握るということと同じことだ。ブロントの手が椿の花のように紅く潰れる。地に落ちた小指。紅く染まった腕。
そのまま、ブロントがルファの上に乗る形でふたりは倒れる。ふたりの間にルファの右腕が挟まっている形になり、ふたりの腹が圧力に負けて抉れた。その痛みに気付いて、ルファは腕をただの腕に戻す。ルファとブロントの腹が紅く染みる。ふたりは抱き合うように地面に横たえていた。
「これでいい。データは揃った」
氷よりも冷たい声が、ふいに響いた。それは朝凪の声だった。
いつの間にか、マゼンダの、呪文を発動するための本は、朝凪の手に渡っていた。マゼンダは金縛りにあったように、見えない糸で地面に縫い付けられでもしたように、目を閉じて動かない。
朝凪が高くその本を掲げる。惜しげもなく太陽の光に晒され、そして、燃えた。まるでマゼンダの魔法のように、何もないところから火が生まれ、本は灰になった。
てくてくと、真っ白の肌を持つ女性がルファとブロントのところへ来る。ブロントはどうにかルファの上から起き上がった。ルファも続けて起き上がる。
「これは……。これが……ついに、魔王の力が」
ルファが腹を手で押さえながら、途切れ途切れに言う。
「残念だが、私は魔王ではない」
そう言うと朝凪は自分の右手を刀の形にし、勢いよくそれをルファの右肩に沿わせた。ぼろりと、右腕は落ちた。数秒遅れて、空のように大きな叫び声が響く。
「お前たちは思ったはずだ。『なぜ社会が魔法の存在を否定するのか、自分たちの能力を肯定しないのか』と」
朝凪は雄弁な哲学者のように、口を動かさずにそう言う。脳に直接語りかけているのだ。ミドリが脳から直接聞いてくるのと似ている。
「それは、そもそもそれが魔法ではないからだ。魔法ではなく、現代科学の産物であるからだ」
饒舌。それに反して、朝凪の顔は何も語っていない。
生生しい匂いがブロントの鼻を曲げる。ルファは立ったまま気絶していた。つん、と、朝凪がルファの胸をつつく。案山子のようにルファは倒れる。数分前のルファの攻撃で出来た、地面から突き出た石が、ちょうど倒れてきたルファの背中を貫く。
「お前たちは、最新科学の実験体だったのだ」
朝凪は、呆然と立ち尽くしているブロントの首に人差し指と中指を添える。
「心拍数142」
そして、やっと朝凪は笑った。不気味な笑い。鎌を持った死神のようだ。
だが、その微笑はすぐに消えた。消えただけではない。だんだん朝凪の顔は蒼白になっていった。いつもの白さではなく、恐怖を目の当たりにしたときの蒼白さだ。
気付けば朝凪は、銅の剣を握っていた。柄のほうではなく、刃のほうを。顔を挟むように弓の弦に絞めつけられていた。そして足元から、大量の毛虫が湧き上がってきていた。
「私も――実験体?」
「そう。理解が早いじゃないか。これは十体の実験体に仕組まれた、いわゆる削除機能さ」
ぽんぽんと、ブロントが朝凪の頭を撫でる。頭を挟む弓が振動して、もっと深く弦がめり込む。
「おかしいと思わなかったのか? 俺が魔法を使わなかったこと」
にたにたとブロントは笑う。
「誰も気付かないんだよな。俺が魔法を使えないことに――俺が役所の遣いだってことに」
朝凪の首が弦の圧力に負けた。あっけなく首のない胴体は倒れ、ボールのような首は転がっていく。ボールにしては、長い髪がいささか邪魔だが。群がる毛虫が、その死肉を平らげていった。
ブロントは気絶しているマゼンダとルファを抱えて、町へ戻る。