第一二幕
「うん」
数回目の「うん」を、朝凪は口にした。律儀に頷くのも、これまでの二時間となんら変わりのないアクションである。
異質な雰囲気である。朝の酒屋で、バーテンダーと客がふたりだけで、バーテンダーが話しかけても「うん」としか客は言わない。
この、沈黙とも言い難い静寂を押し破ったのは、新たな客だった。
からんからんと、鈴が鳴る。
店に入ってきたのは黒猫だった。赤と青のオッドアイ、堂々と尻尾を掲げている。
「いらっしゃい」
「ミルク」
「はいはい」
黒猫はもちまえの跳躍力でカウンターに乗る。この店のドアも、ドアノブにジャンプして捻ったということがうかがえる。それとほぼ同時に、ミルクの入った底の深い皿がカウンターに置かれる。
「……早いな」
「クロウの気持ちが、ぶんぶんと届いていたからね。先に用意してたのさ」
ぺろぺろ、ミルクを舐める。人間でいるときよりも黒猫でいるときのほうが長いと、食生活にも変化が表れてくるようだ。
「猫が喋っても、キミは驚かないんだね」
「うん」
朝凪は規則正しく頷く。すると、彼女の目の前のグラスが、黒猫によって倒れた。グラスには何も入っていないので、何かが零れるということはなかったが。
「こいつ……二週間前から行方不明になっていた朝凪じゃないか」
そのとき、ドアが破れた。
透明の槍で突かれでもしたのか、店のドアが、中心から放射状に割れる。そして崩れる。
崩れたドアの先には、足元にまで伸びる白い髪が特徴的な、男が立っていた。右手を大きく開いて、木片と化したドアに向けている。ぎろりとした目つきで、朝凪を視界にとらえる。
「見つけた……!」
男はそう言い放つと、即座に朝凪の前方にいた黒猫に右手を向ける。その右手の平から、見えないものが飛び出てきた。見えない速度で、それは黒猫に襲い掛かる。
「うわっ」
黒猫は吹き飛ばされた。後ろにいたミドリが辛うじて受け止める。
「ルファ!」
ミドリが男の名前を叫ぶ。だが既に男はいなかった。そして朝凪という女も、消えていた。