第九幕
コール音が鳴った。
「……どなたですか」
気だるそうな声が部屋から聞こえた。ブロントは「俺、俺俺」と一昔前の詐欺師を装う。
「ブロントか。入りなよ」
ドアノブに付いているランプが、赤色から緑色に変わった。それと同時に、重たいドアが開く。開いたドアから、青い髪をした男、ブルースが顔を覗かせた。
質素な家だった。たったの一部屋と、シャワールームとトイレしかない家だ。その一部屋には、ベッドとクローゼットと、本棚しかない。本棚には数冊の本しかなく、下から二段目はまるで机代わりに使われてでもいるように、ノートパソコンが置かれている。おそらく、ブルースはこのパソコンで仕事をしているのだろう。
「リンになにか、変わったことはないか」
入ってきて早々、ブロントはブルースにそう訊いた。
ブルースは「まあ座りなよ」とブロントを促す。
「なんにもないところだな。食事とか、どうしてるんだ?」
「質問はひとつずつだ」
ブルースはベッドに腰掛ける。ブロントもどこかに座ろうと思ったが、ベッドを除けば座るところは床しかなかったので、そのまま立って話をすることにした。
「リンに変わったところ……常に常人離れしていることを除けば、特にないのだが」
「そうか。じゃあ、今日どういった理由で道場を休んでるんだ?」
「……。今日もいつものように、リンは道場へ向かったはずだぞ」
ブルースは少し驚いたようにそう言う。その表情に偽りはなかった。
「そうか。なるほどな」
「……まあ、いい。それで、用件はそれだけなのか?」
「『いい』ってなんだよ」
「疑っても意味がない。今日帰ってきたら、自分から訊くさ」
ブルースはベッドに深く腰を落ち着かせて言う。
「リンのことを、力量の面でも性格の面でも、心から信頼しているからね」
ブロントは旧友の変わった姿に、口を開けて驚く。
「まさか……人間不信だったお前が、ここまで変わるとはな」
ブロントの言葉を聞いて、ブルースは冷静な笑みを見せた。少し照れている風でもある。今のブルースの青い髪には、寝癖がない。魔王討伐隊として冒険に出ていたころは、毎日のように、チャームポイントのように癖毛を作っていたというのに。
「ブロント。まだ、魔王を信じているか?」
ふいにブルースがそう訊いた。手を組んでいた。
「魔王……。ブルース、その話は終わったはずだ」
「俺たちはあの城を燃やした夜、奇妙な白い光に包まれた。覚えているよな」
ブロントが戸惑いつつもこくりと頷くと、ブルースは気だるそうに、されど恍惚と語り始めた。
「あの光に包まれてから、俺たち十人は魔法が使えるようになった。これまでの科学が頑なに否定してきた、魔法だ。クロウは他の生物に変化できるようになり、マゼンダは何もないところから火を起こすことができるようになり、ミドリは人の心を読めるようになった。
今朝、あの城の夢を見たんだ。俺が銅の剣を握っていて、弓の弦に首を絞められていて、毛虫に埋もれていって、過去の自分に殺される夢だ。とてもリアルな夢だった。まるで誰かが、魔王のような架空の誰かが、俺に何かを伝えてきているようだった。
なぁ……なんで俺たちは魔法が使えるというのに、社会はそれを否定し続けるんだ? どうして俺たちを、精神障害者として扱ったんだ? なあ」
坂を滑り降りたようにそう一気に言うと、一旦言葉を瞑ってブルースは下を向いた。
沈黙が続いた。ベッドの隅のほうで横たえている目覚まし時計は、朝の九時を知らせていた。
ブロントは部屋を見回していた。カーテンは閉めきっている。ここに限らず、最近はどこの家もそうだ。
「あの城へ行け、ブロント」
ふいに、ブルースが低い声でそう言った。突然の沈黙破りに、ブロントは驚いてベッドのほうを向きなおす。ブルースは顔を上げていた。ブロントと目が合うと、もっと顔を上げる。
「そして待て。何時間も」
ブルースは天井を見つめていた。光の届かない部屋の天井を。
「たぶん……魔王に会えると思う」