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その名、口にすることなかれ(サシャ)

作者: ななみさき
掲載日:2026/06/19

【AI使用】文内の言い回しの変換にAIを使用しています。



 王宮の最奥、静かに光が差し込むその場所には、代々私の一族だけが立ち入ることを許された庭園と、白亜の神殿があった。

 外宮の華やかさとは一線を画し、静謐を極めた、ここはまさしく『聖域』である。

 その庭園の花を摘み、花瓶に生けること。花冠を作って石碑に飾ること。その二つは幼い時からずっと私の役目だった。



 一族は、この奥宮に宿るとされる「あるもの」に仕えるためだけに存在している。

 私たちの果たすべき役目は、たった一つ。主の不在の間も、この聖域を清浄な状態に保ち続けること。

 毎日白磁の床を磨き、清らかな香を焚き、清廉な水を満たし、静かに主の訪れを待つ。主がいつ来られるのか、それは誰にも分からない。けれど、来られたその瞬間から、その方の唯一の世話人となる。

 それが、一族に課せられた使命であり誇りだった。


 その「あるもの」の正体について、私たちは決して口にしてはならなかった。それは絶対の禁忌だった。


 周囲の人間は皆、私の一族が王宮の奥で「特別な何か」に仕えていることを知っている。しかし、それが何か、あるいは誰か知る者は、王族・神殿の上層部と私の一族の長しかおらず、世間はおろか、王宮で働く者たちでさえ実際にそれを見た者は一人もいない。


 私も見たことがなかった。


 だからこそ、信じない者が現れるのも、仕方のないことだったのかもしれない。特に、私と同じ若い世代にとっては。


 姿なき存在に祈りを捧げ、ただ部屋を掃き清めるだけの私の一族は、いつしか奇妙な目で見られるようになっていた。



「サシャ、今日もあの奥宮に籠もるのかい?」

「ええ。ここは常に清浄でなくてはならないから」

「どうせ誰も来ないのに、毎日飽きもせずによくやるよ。そこに何があるっていうんだ」


 花冠を手に、神殿に向かう途中に会った婚約者 エーデルは、呆れたように私になげかける。


「……話してはいけない決まりなの。でも、とても大切なものよ」

「はいはい、分かったよ。じゃあ、僕は友人たちと約束があるから」


 彼は興味を失ったように背を向け、去っていった。私はその背中を見送りながら、胸の奥に溜まる小さな淀みを感じていた。


 エーデルは有力な神官家の次男だ。父親は大神官、兄もまた若くして神官の要職に就いている。王家が定めた私たち二人の婚約について、エーデルの父や兄は「これほどの名誉はない。家系の格が一段上がった」と、狂喜乱舞したという。

 しかし、エーデル自身や、その周囲の若い世代にとって、私たちの役割は「ただの迷信に縛られた、古臭い家柄」に過ぎなかった。彼らには、神殿の権力や魔力といった目に見えるものこそが全てであり、実体のない「あるもの」に仕える私の一族の価値が、どうしても理解できないようだった。



 ある日の午後、王宮の回廊を通りかかった私は、庭園の木陰でエーデルが友人たちと談笑しているのを見かけた。


「結局のところ、ただの古い迷信なんだよ。何が王命だか」


 生け垣の向こうから聞こえる声に足を止める。


「全くだ。誰も知らない、よく分からないもののために、一生を捧げるような一族だろう? そんなところに嫁がされるなんて、お前 完全に『外れ』引かされたんだな」

「もっと有力な侯爵家や、魔力の高い聖女の血筋を娶れば、お前の将来も安泰だったのに」


 エーデルの友人たちが、小馬鹿にしたように笑う。

 彼は否定しなかった。それどころか、溜息をつく気配が伝わってきた。


「父も兄も、あの家がどれほど特別かを熱弁するけど、僕にはさっぱり分からない。ただ掃除するだけの家が、なぜそれほど尊ばれる? 神殿の小間使いのしてることと何が違うというんだ」


 エーデルの言葉に、胸の奥が抉られたように痛んだ。

 私が傷ついたからではない。一族が、そして私たちが何世代にもわたって守り続けてきた誇りが、何も知らない彼らに踏みにじられたことが耐え難かった。

 怒りよりも、彼への深い失望が私を動かす。わざと足音を荒げて、彼らの前に出て行った。


「……サシャ」

 気まずそうに目を見開くエーデルと、慌てて口を閉ざす友人たち。

 私はエーデルを真っ直ぐに見つめ、声を絞り出した。


「外れを引かされた、ですか。エーデル、あなたには我が一族の役目が、その程度のものに見えるのですね」

「……聞いていたのか。だが、事実だろう? 誰も見たことがない、何も起きない部屋を毎日掃除して、何が名誉だ。いったい何がそこにあるというんだ。具体的に言ってみろよ!」


 エーデルは苛立ちを隠そうともせず、私に詰め寄ってきた。その瞳には、侮蔑と、理解できないものへの苛立ちが混ざり合っていた。


「それは――」

 喉元まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。

 言えない。言ってはいけない。それを口に出すことは絶対に許されない。


「……それは、口にしてはならないものです」


「ほら見ろ、いつもそれだ!」

 エーデルは吐き捨てるように笑った。

「そうやって煙に巻いて、自分たちを特別に見せかけているだけじゃないか。そんな実体のない幻影に縛られた女と、一生を共にするなんて御免だ」


 その言葉に、私の中で彼とのつながりが千切れるのを感じた。

 信じてもらえない悲しみよりも、この男に我が一族の聖域をこれ以上汚されたくないという拒絶が勝る。


「そんなに私との婚約が不満なのであれば……この婚約は解消しても構いません」


 私の態度に、エーデルの顔が怒りで赤く染まった。彼にしてみれば格下の女から別れを切り出されたことにプライドを傷つけられたのだろう。拳を握り締め、睨みつけられる。


「いいだろう! ならば僕から父に言って、すぐにでも解消してもらう!」


 彼は友人たちを連れて、足早に去っていった。

 一人残された私は、震える手で胸元を押さえ、深く息を吐き出した。




 貴族の、それも王命が絡む婚約を解消するなど、本来簡単にできることではない。

 しかし、エーデルの意思は固く、帰宅後父親である大神官に「どうしてもサシャとの婚約を解消したい」と直訴した。

 当然、父親は大激怒し、エーデルを説得しようとした。

「お前は何という愚かなことを言うのだ! あの一族と縁を繋ぐことが、どれほど我が家にとって名誉なことか、分かっていないのか!」

 しかし、エーデルは「中身のない迷信に付き合うのはもう限界だ。もっと実利のある家との婚姻を結ぶべきだ」と頑として聞かなかった。


「……お前というやつは、自分がどれほどの幸福をドブに捨てたか、本当に分かっていないのだな」

 息子がこれほどまでにかたくなで、サシャの一族を侮蔑していると知り、父親はついに諦めた。これ以上強制すれば、婚姻後にサシャの一族に対して不敬を働くかもしれないと恐れたのだろう。


 すぐに、同年代の息子を持つ他の大神官の元へ、婚約の交代を打診しに行った。

 打診された側は、まるで天の恵みでも受けたかのように大喜びし、二つ返事で承諾したという。


 こうして、私とエーデルの婚約は正式に白紙に戻された。



 婚約が白紙に戻った夜、私は一人、静まり返った神殿の礼拝堂にいた。

 月明かりだけが差し込む誰もいない空間で、私は祭壇の前に膝を突き、神に祈りを捧げていた。いや、それは祈りというよりも、私の心の奥底にある泥々としたものの告白だった。


「……あなたを信じる気持ちに、一つの嘘もありません」


 ぽつりと、静寂の中に声が落ちる。


「でも、自信がないのです。

 見えなくなったのではなく、……自分を信じられなくなったのです。

 見えないから、信じられなくなったのです…… 」


 幼い頃から、ここを守れと言われてきた。ここには尊い方がおられると信じてきた。けれど、エーデルに言われた言葉が、毒のように私の心を蝕んでいた。


 本当はここには何もないのではないか。


 誰も見たことがない主。何世代もただ部屋を綺麗にするだけで、一度も姿を現さない存在。私の一族がやっていることは、本当に意味があるのだろうか。私は、我が一族は、ただの幻影を守っているだけなのではないか。


 エーデルの言葉は、私が心の奥底に深く隠していた疑念という名の傷口を、正確に抉り出した。

 見えないものを、ただ盲目的に信じ続けることの限界が、私の心を打ちのめしていた。


 応える者はなく、ただ冷たい風が私の頬を撫でる。

 涙が、静かに頬を伝って、冷たい石床に小さな染みを作った。



 その沈黙は、あまりにも長すぎた。




 その後、王命によって、私には新たな婚約者が定められた。

 新しく私の婚約者となったのは、別の大神官の息子、ザインだった。


 初めての顔合わせの席で、ザインは緊張した面持ちながらも、私を真っ直ぐに見つめて深く頭を下げた。


「サシャ様。この度、あなたとの婚約という、この上ない名誉を与えられましたこと、心より光栄に思っております。我が家系にとって、また私個人にとっても、あなたの一族を支える一助となれることは最大の誇りです。不肖の身ではありますが、生涯をかけてあなたと、あなたの果たすべき役目を支え抜くことを誓います」


 彼の言葉には、エーデルのような侮蔑や疑念は少しもなかった。ただ純粋な敬意と、我が一族が背負うものの重さを理解しようとする覚悟が感じられた。

 私は少しだけ救われたような気がしながら、「よろしくお願いいたします」と静かに微笑んだ。




 それから二年の月日が流れた。


 雪が消え、柔らかな緑が見え始めた春、私とザインの結婚式が、王宮の最奥、あの奥宮の直前にある大広間で執り行われることとなった。

 列席したのは国王陛下をはじめ、神殿の大神官たち、そして限られた王族。ずっと奥の方に、どこか不満げな顔をしたエーデルもいた。



 結婚の儀式が厳かに進み、私とザインが誓いの言葉を交わした、その時だった。


 突如、部屋の空気が一変した。

 神殿全体が、やさしくまばゆい黄金の光に包まれる。

 大気が震え、圧倒的な神気と、絶対的な威圧感が空間を満たす。


「――っ」

 誰もが息を呑み、その場に硬直した。


 奥宮の重厚な扉が、ひとりでにゆっくりと左右に開かれた。


 そこから溢れ出てきたのは、まばゆいばかりの光と、清らかな花の香り。

 あの「空白だった主座」に、光が集束していく。

 やがて光は人を象った。その頭には、私が作った花冠がのっている。


 放たれる神気は、居合わせた者すべての魂を圧倒した。


 それはまさしく、神だった。


「お……おおっ、神よ……! 」

 王が、真っ先にその場に崩れ落ちるように跪いた。

 続いて大神官たち、神官たち、その場の全員が、恐怖と歓喜が混ざり合った震える体で、一斉に石の床に跪いた。誰もが頭を上げることすらできない。


 私はただ一人、呆然と立ち尽くし、その光から目をそらせずにいた。


 神が、静かに歩みを進め、私の少し前で立ち止まった。



『サシャ』


 その声は、頭に直接響くような、清らかな鈴の音のようだった。


『信じられるようになりましたか』



 その問いかけに、私の胸の奥から、堰を切ったように感情が溢れ出した。

 二年前のあの夜、誰もいない神殿で呟いた私の独白を、主はすべて聞いておられたのだ。

 見捨てられたわけではなかった。姿は見えずとも、主は常に私たちの献身を、私の祈りを見ていてくださった。


「……っ、ああ……!」


 激しい感情が胸を突き上げ、視界が涙で歪んだ。

 信じられなかった己の弱さへの悔恨、それすらも包み込んで顕現してくださったことへの感謝、そして言葉にできない歓喜で、涙が止めどなくあふれて止まらない。


「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」


 私は崩れ落ちるように跪き、泣きじゃくった。

 しゃくり上げる私の頭に、神の優美な手がそっと触れた。


『一族の、長きにわたる献身に応えよう。この地に、大いなる豊穣と祝福を』


 神がそう宣言された瞬間、王宮の周囲から、地鳴りのような歓声が遠く聞こえてきた。

 窓の外で、まだつぼみだったはずの花が咲き乱れている。枯れていた木々が芽吹き、神殿を中心に、未曾有の豊穣の波が国を満たしていく。


『健やかにあれ、我が忠実な世話人よ』


 その言葉を残し、ひときわ輝く光と共に、神の姿はかき消えるように消えていった。

 あとに残されたのは、奇跡の余韻と、あまりの神々しさに震え続ける人々の静寂だけだった。




 神が去られた後も、大広間はしばらく静まり返っていた。

 やがて、我に返った神官たちが、私の夫となったザインとその父親のもとへ、羨望の眼差しを向けながら群がっていった。神に直接言葉をかけられ、豊穣を約束された娘を娶ったのだ。ザインの家系は、今後数世代にわたり、国内で不動の地位を築くことになるだろう。


 その狂乱から離れた壁際で、エーデルの父親と兄は、真っ白な顔をして立ち尽くしていた。

 彼らは激しい絶望に震えていた。神そのものに直接仕え、その声を賜ることができる、文字通り「神に最も近い名誉ある一族」。その一族と結ばれ、最高の栄誉を手に入れるはずだったのだ。それを、自らの息子の愚行によって手放してしまった。


「そんな……まさか、本当に……」

 エーデルは、魂が抜けたような顔でこちらを見ていた。その目には、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔が、ありありと浮かんでいる。


「……何故、何故言ってくれなかったのですか!」

 彼は父親の元へ駆け寄り、縋り付くように言った。

「あそこまで凄い一族だと、神に仕えていると、最初から言ってくれれば、婚約解消なんてしなかったのに!」


 エーデルが狂ったように叫んだ。

 その言葉に、兄が冷徹な、そして酷く哀れみの混ざった視線をエーデルに向けた。

「愚か者が……。サシャ様は最初からお前に言っていただろう。『それは口にしてはならないものだ』と」

 兄の言葉に、エーデルはその場に崩れ落ちた。


「あの一族が何に仕えているか、それを口にしてはならないこと自体が誓約であり、信仰の証明だった。父上も私も、言葉を濁して『大変な名誉だ』としか言えなかったのはそのためだ。あの一族は、言葉ではなく、ただ純粋な信仰と献身だけでひた向きに神を繋ぎ止めていた。目に見える利益や言葉を求めたお前には、最初からその資格がなかったのだ……」


 涙を流して悔しがるエーデルに、父親は深い絶望の籠もった視線を向け、首を振った。

「もう遅い。どうせお前は今この場に神が現れなかったら信じなかっただろう。神の不興を買わなかったことだけが救いだ……」


 エーデルはへたり込み、自分の両手を見つめた。

 古い迷信だと笑い飛ばしていたものの正体。それは、彼のような人間の想像を遥かに超えた、至高の栄誉だったのだ。だが、それを手放したのは自分自身だった。どれほど悔やんでも、こぼれた水が器に戻ることはない。



 ザインが私に寄り添い、しっかりと私の手を握りしめてくれる。

 私はもう二度と疑うことはないだろう。目に見えずとも、主はそこにいる。

 私たちはこれからも、この神聖な場所を守り続けていくのだ。







補足です。

神は信仰されています。ただ、顕現するとは誰も思ってもいない。

「目に見えないけどいると思っている」のと、そこに「実在する」のは別ということです。


神様はちゃんと狙って一番効果的なこのタイミングで顕現しました。故のタグ。

サシャの結婚式が行われている日、そこを起点に起きた奇跡により、サシャの一族は改めてその存在を見直されることとなります。

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