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五話

 “下等な妖怪と変わらない”。慧音は確かにそう言った。私は、慧音から見れば下等な妖怪である、と。

 私は、人間だ。少しだけ特殊で死ぬことがないだけで、歴とした人間なんだ。その思いが、今までを生きる糧になってきた。だが、慧音はそれを否定した。私のことを妖怪だと言った。酷く冷めた声色で、まるで吐き捨てるように、そう言った。

 “さっきの答えがわからないようなら”。慧音は初めにそう言っている。その元々の質問は、“自分のしたことが、理解出来たか”だったはず。

 私のしたことは……輝夜を殺したこと。ただそれだけ。

 死ぬなんて、思っていなかったから。初めから輝夜が死ぬことを知っていたら、絶対にこんなことはしなかった。人は殺さない。それが人間の、掟。私の、信条。

 私が輝夜を殺したから。……果たして、輝夜を殺したから、慧音はあんなに怒っているのだろうか。輝夜を殺したことを理解しろと、言っているのだろうか。

 私のしたことは。人を殺してはならないという、人の禁忌を破ったこと。だが、輝夜は蓬莱人だった。死ぬことがなかった。だからこそ、私たちは殺し合いをしていた。殺したいと思っていた。永い間、輝夜を殺して、亡き者にしたいと思っていた。……人間なのに。

 …………自らの信条で“殺さない”と言っている割に、気付けばすぐそばに、殺したいという欲求があった。気付いていなかっただけで。……否。気付こうとしていなかっただけだった。私は輝夜を、殺したかったのだ。つまり、人の禁忌を犯した思想を持ち、それを実現してしまったことを理解しろ、ということなのだろうか。

 ……何かが引っかかる。輝夜を殺すのは、憂さ晴らしではなかったか。明確な殺意があったのは思い出すのも困難なほど昔の話である。私は蓬莱人になったばかりの頃、父の仇討ちと言って輝夜を襲ったいた。あの頃は本当に、輝夜を殺したかった。

 いつの頃からだろう。父のことを忘れた訳ではないのだが、さして輝夜を殺したいとも思わなくなった。どれだけ殺しても死なないのだ。殺すという行為を繰り返す度に、飽きにも似た感覚に襲われていた。殺しても死なないのだから、いくら刀を突き立てようとも意味がない。燃やしても何をしても、意味がない。何千年と殺し続けようとも、仇討ちなど不可能なのだ。思考がそのように切り替われば、最早殺す意味はない。機械的に繰り返す殺傷に嫌気が差して、いつかは殺すことを止めていた。

 しかし、輝夜との縁は切れなかった。いや、輝夜が縁を切らせてはくれなかった。……輝夜に襲われたのだ。今まで殺されてきた恨みとやら何やら、会う度に適当な理由を付けては襲ってくる輝夜に、私は応戦した。断る理由が見つからなかった。話し相手などおらず、一人で竹林に隠る生活は、ただただ気が滅入る。その中では殺し合いという行為ですら、楽しいと感じることもあった。

 …………あぁ。そうか。

 殺すことは人の禁忌。だが、私はそれを楽しんでいたのだ。

 確かに、輝夜は死なない。私も死なない。何も変わらない。だから、殺し合うことに、問題はない。

 問題なのは、私の頭の中。殺すことを戯れとし、楽しんでいるなんて異常者である。本来なら、考えたり実行するだけでもはばかられる行為。それが、楽しみになっていたなんて。


 『自分のしたことが、理解出来たか』。


 この言葉だけだと、少し足りないだろう。


 『自分の“してきた”ことが、理解出来たか』。


 これで、通じる。


 欲望のままに殺すことなんて、妖怪のすることだ。それも、後先を考えないような、碌な思考を持たない下等な妖怪。そいつらは大概、巫女に退治されて、終わり。

 ……そうだ。私は自分から、人間であることを捨てたのだ。蓬莱の薬を飲んだからとはいえ、誰も寄り付かぬ竹林に引き籠り、死なないことを良いことに好き勝手に暴れ、そして。…………殺すことを、楽しんでいた。

 だから慧音は、満月の日に私が竹林に行くことに反対していたんだ。

 私が慧音と知り合ってから今までの間、彼女は嫌悪の表情を浮かべながら『和解することは出来ないのか』と私に言い続けてきた。

 慧音は私を“人”として見ていてくれたんだ。……いや、能力故に、人間とは思っていないのかもしれない。それでも、私が人になれるように、導いてくれていた。

 里の人と交流が出来たのも、慧音のおかげ。自警団に入り、僅かながらでも働くようになったのも、永遠亭までの道案内を頼まれるようになったのも全部、慧音のおかげ。

 今だからわかる。私の生活は、慧音と会ってから変わった。生活だけではない。価値観から何から、全てが変わった。たぶんそれは、私が人間らしさを取り戻し始めたから。

 嬉しい時。楽しい時。悲しい時。悔しい時。一人なら、言葉はいらなかった。心の中の冷めた自分が、感情を表に出すことすら拒んだ。特に興味を抱くこともなく、欲望がある訳でもなく。ただひたすらに時間が過ぎていくだけだった。

 でも慧音がいたら。私の横で笑い、泣き、時には怒ってくれる慧音がいたら。どんな瞬間でも楽しかった。不満なんてなかった。明日が、楽しみだった。

 ……私は少し前まで、妖怪だったのだ。それが僅かずつ人間に近付いてきて。その変化に戸惑うこともあったけれど、それ以上に慧音と過ごす日々は輝いていた。慧音も、私のことを人間だと思ってくれていたのだろう。

 ……それなのに、私は禁忌を犯していた。質が悪いことに、それが禁忌であることすら気付いてなかった。それを慧音は止めてくれていたんだ。知り合って長くなるけれど、諦めることもなくずっと、ずっと。

 妖怪から人間に戻りかけていた。そのことに満足していた。……それならば、輝夜を殺す理由は、どこにもなかった。父の仇でもなく、己の為でもなく。殺すという行為も、好きな訳では無かった。血を見ることですら、苦手だったはず。

 …………何で、気付けなかったんだろう。殺す必要がないことに。殺すことが、禁忌であることに。それを知る切っ掛けはどこにでもあった。すぐ近くで慧音が教えてくれていたのだから。人の死が如何に苦しく、辛いものであるかを。

 結局、自分は人間であると大言しながらも妖怪であることに落ち着いていたのは、紛れもない自身だった。だから慧音の言葉にも、気付くことがなかった。

 …………慧音だけじゃない。あの輝夜だって、『仲直り、しましょう?』と、声をかけてくれたじゃないか。思い出してみれば、とても必死な様子だった。……それもそうだろう。あの時に輝夜は“人間”だったのだから。妖怪の私に、人間である輝夜は太刀打ちは出来ないだろう。私が何かをすれば脆くも崩れてしまう、柔な人間。たった一発の弾で死んでしまう、ひ弱な人間。

 ……全部、私の所為だった。私だけが置いて行かれた訳ではなかった。私が、ついて行こうとしなかっただけなのだ。

 それでも、私の前で待ってくれていた彼女らに、私は気付くことが出来なかった。拗ねて、いじけて、八つ当たりまでして。それが原因なのに、それを擦り付けることに躍起になって。そして落ち着いてみれば、己が悪かったと後悔をしている。


…………何と愚かな。






 人間の言う、“死して詫びる”という意味が、わかる。

 もしも私が死ぬことが出来たなら。間違いなく、私は今すぐにここで死ぬ。それが謝罪になるのかなんて、わからない。それでも、私が犯した罪を償う為には、それしか手段がないのだ。代償に金や時間を当てたとしても、死んでしまっている者はもう、それを使うことが出来ないのだから。


 無駄だと知りつつ、自分の手首に爪を立てる。

 ぼりぼりと皮膚を掻き毟り、僅かに見えた血管を切り開けば、溢れ出す血が指を伝って滴り、畳に染みを作る。……地味ではあるが、道具もなく、家の中では炎も使えない。これくらいしか、自らを傷める方法が思いつかなかった。


 …………掻く内に、すぐに服まで血塗れとなって、いつの間にやら畳の上には血溜まりが出来ていた。それでも掻き続けると、左手首からは夥しい量の血が途切れることなく流れ続けている。


 死ぬ、とは。一体どのような気持ちなのだろう。……もしも私が普通の人間であらば、血液の不足により、既に死んでいるのだろうか。

 寒くなるのだろうか。意識が朦朧とするのだろうか。痙攣でも起こすのだろうか。私には何一つ、起こらない。


 ……だが、考えれば、怖くなる。

 あの永琳が。何があっても、澄まし顔を崩すことのなかった永琳が。死ぬ間際には、怖いと言ったのだ。自ら望んだ死であるにも関わらず、死を恐れたのだ。

 もしも私が人間なら、これだけでもう死んでしまうのだと。生きることが出来なくなるのだと。……考えてみればそれは、紛れもない恐怖だった。



 再度、手首に目をやった。ひたすら掻き続けている為に、再生は間に合っていない。鮮血は止まることもなく、流れ続けている。

 それを見る内に、私は泣いていた。嗚咽する訳ではないが、流れる涙が血に混ざり、鮮やかな血痕を滲ませる。




「…………妹紅っ!」


 唐突に襖が開いて多少の空白の時間が過ぎた後、慧音は素っ頓狂な声を上げる。そして襖を閉めることもなく、大股で私に近付くと……躊躇なく、私の頬を平手で張った。



「慧音……。一体、死ぬって、どういうことなの。どうやったら、死ねるの」


 叩かれたことにたじろぐこともなく、私は涙で霞む慧音をただ見上げている。


「……お前みたいな馬鹿をする奴が、死ぬんだよ」


 慧音はぎゅっと、私を強く抱き締めた。腕ごと抱きしめられている為、手首を掻くことはもう出来ない。……それにもう、掻きたくはない。



「私を、殺してくれ」


「……何で、私が慧音を」


「私は妹紅が死ぬ様を見たくないんだ。今までの輝夜との関係もそうだが……。それを見るくらいなら、いっそのこと、その手で私を殺してくれ」


 私が謝っても、慧音は言葉を返してはくれなかった。しかし、私を突き放すこともせずに、包み込んでくれている。



「慧音……。私、死ぬの、怖い。それに、死にたくも、ない。…………それでも。私は、人間なの?」


 慧音の腕が、一層強く私を抱いた。それに倣うように、私も恐る恐る慧音の背に腕を回す。


「……あぁ。人間だ」


 その言葉に、涙が止まらなかった。


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