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過去


 町の外は、すでに薄闇に包まれ始めていた。


 西の空にわずかに残る夕焼けが、地平線の向こうへと沈みかけている。


 風が冷たい。


 ライアンはその場に立ち尽くしていた。


(……助かったのか)


 そう思った瞬間、全身から力が抜ける。


 膝に手をつき、荒く息を吐いた。


 心臓はまだ早鐘のように鳴っている。


(なんだったんだ、今のは……)


 町での出来事が頭の中で反芻される。


 見えないはずの“意図”が分かった。


 触れてもいない石が動いた。


 相手の行動が先に分かった。


(ありえない……)


 だが、現実だ。


 否定しようとしても、できない。


(僕は……何をした?)


 分からない。


 分からないまま、ただ一つだけ確かなことがあった。


 ――もう、以前の自分ではない。


 その事実だけが、妙に重く胸に残った。


 夜が迫っている。


 このまま外にいれば、魔物に襲われる可能性が高い。


 だが町に戻れば、あの男たちがいる。


(どうする……)


 選択を迫られる中で、ふと。


 意識が、別の方向へと沈んでいった。


 思考が、過去へと引き戻される。


 ――成人の儀の日。


 あの日も、妙に静かだった。


 広間に集まった者たちの視線。


 期待と、計算と、そしてどこか冷めた興味。


 水晶に手を置いた瞬間の冷たさ。


 そして。


 何も起きなかった、あの沈黙。


『魔力……ゼロ』


 神官の声が、やけに遠く聞こえた。


『スキル……確認できず』


 ざわめき。


 押し殺した笑い。


 失望。


 それらすべてが、あの空間に満ちていた。


 父は、何も言わなかった。


 ただ、少しだけ目を伏せてから――決断を下した。


『後継から外す』


 その一言で、すべてが終わった。


 弟の名が呼ばれたとき、周囲の空気は一変した。


 祝福。


 期待。


 未来。


 それらはすべて、弟のものになった。


(……当然だ)


 ライアンは、その時そう思った。


 この世界では、魔力とスキルがすべてだ。


 それがない自分に価値はない。


 だから。


 追放も、当然だった。


『辺境の地を与える。領主として赴け』


 父の声は、いつも通りだった。


 冷静で、揺るがない。


 だがその裏にあるものに、ライアンは気づかなかった。


 あの時は、まだ。


 回想は、そこで途切れる。


 風が吹いた。


 現実に引き戻される。


 だが同時に。


(……違う)


 何かが、引っかかる。


(本当に、それだけか?)


 あの時の父の表情。


 あの一瞬の“間”。


 あれは――


(……何だったんだ?)


 考えようとした、その時。


 頭の奥で、何かが“軋んだ”。


 ひび割れるような感覚。


 封じられていた扉が、こじ開けられるような――


「……っ!」


 頭を押さえる。


 痛い。


 だが、それ以上に。


 流れ込んでくる。


 知らないはずの記憶。


 違う人生。


 別の名前。


(……頼安(らいあん)?)


 その名が浮かぶ。


 聞いたことがあるような、ないような。


 だが同時に、それが“自分”だと理解してしまう。


 映像が、浮かぶ。


 木造の社。


 古びた鳥居。


 静かな境内。


 ――神社だ。


 自分は、そこにいた。


 白衣と袴。


 手には箒。


 落ち葉を掃いている。


(……神主?)


 そうだ。


 自分は神主だった。


 名は――頼安。


 代々続く小さな神社を守る、ただの一人の人間。


 だが。


 参拝者は少なかった。


 賽銭箱には、ほとんど金は入らない。


 氏子も減り続けていた。


 時代は変わり、人々の信仰は薄れていた。


 それでも。


(それでも……)


 毎日、祈った。


 掃除をし、神に仕えた。


 誰も見ていなくても。


 意味があるのか分からなくても。


 それが、自分の務めだと信じていた。


 そして。


 あの日。


 すべてが燃えた。


 夜。


 煙の匂いで目を覚ました。


 外に出ると、神殿が炎に包まれていた。


 誰かが叫んでいる。


 高校生の影。


 タバコ。


 火。


(火事だ……!)


 考えるより先に、身体が動いた。


 水をかけても、間に合わない。


 炎は激しく、屋根を舐めていた。


 そのとき。


(……御神体)


 脳裏に浮かぶ。


 社の奥。


 祀られているそれ。


 勾玉。


 あれだけは。


 あれだけは、失ってはいけない。


 なぜそう思ったのか、分からない。


 だが、迷いはなかった。


 炎の中へ、飛び込む。


 熱い。


 息ができない。


 だが進む。


 奥へ。


 さらに奥へ。


 崩れかけた社の中で、それを見つける。


 小さな、勾玉。


 手に取る。


(これで――)


 その瞬間。


 天井が崩れた。


 光が消える。


 熱と、衝撃と。


 そして――


 終わり。


 気がつくと。


 そこは、白い空間だった。


 何もない。


 ただ、静かだった。


「よく来たな」


 声が響く。


 振り向く。


 そこに、“何か”がいた。


 人の形をしているようで、していない。


 光のようで、影のような存在。


「……あなたは?」


「神、と呼ばれるものの一つだ」


 穏やかな声だった。


「お前は、よく仕えた」


 言葉が、静かに染み込んでくる。


「信仰が薄れた世でも、務めを果たした。誰に見られずともな」


 頼安は、言葉を失った。


「ゆえに、報いを与えよう」


 神は続ける。


「新たな生を用意する。望むなら、力も与える」


 その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。


(……転生?)


「そうだ」


 神は肯く。


「お前は再び生きる。その際――」


 わずかに間を置く。


「特別な力を持ってな」


 そこで、記憶は途切れた。


「……はあ、はあ……」


 ライアン――いや、頼安は、荒く息を吐いた。


 夜の風が頬を打つ。


(……思い出した)


 自分が誰だったのか。


 そして。


(あの力は……)


 町で発現した力。


 あれは、偶然ではない。


 与えられたものだ。


(そうか……)


 ゆっくりと、顔を上げる。


 夜の空には、星が瞬き始めていた。


(ここからが、本当の始まりか)


 そう呟いたとき。


 胸の奥で、もう一度“何か”が動いた。


 今度は、はっきりと。


 意識すれば、感じられる。


 周囲の気配。


 遠くの生命。


 そして――


 自分の内側にある、もう一つの力。


 それは、静かに。


 だが確実に。


 目を覚まし始めていた。




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