運命の悪戯(亜耶視点)〜「一人は寂しいです……来てください」――スマホのロックを暴き、私は世界で一番悪い女の子になった。
優流さんが忘れていった、ずっしりと重いスマートフォン。
見てはいけないと分かっていても、指は彼の誕生日を打ち込んでいた。
そこで見つけたのは、恋人同士とは思えない、氷のように冷めきったやり取り。
「私の方が、彼を想ってる。私の方が、彼に近い」
芽生えた独占欲は、私を「悪い女の子」に変えていく。
23時。私は再び、禁断の着信を鳴らす。
優流さんが去った後、静まり返った部屋には彼の気配だけが濃く残っていた。
彼が昨夜眠っていたソファーに顔を埋めてみる。ほんのりと、彼の匂いがした。
(本当に、来てくれたんだ……)
昨夜の自分の大胆さを思い出し、顔が熱くなる。
優流さんは、私がいきなりパニックになったと思って駆けつけてくれた。けれど本当は、もう二度と彼と親しく話せないのかもしれない、またご飯を作ってほしい、もっと声を聞きたい……そんな抑えきれない「欲」が寂しさに化けて、涙になって溢れ出しただけなのだ。
そんな本当のことを伝えたら、きっと拒絶される。
私は溢れそうになる涙を、ソファーのクッションに吸い込ませた。
「……あ」
ふと見ると、ソファーの隅に彼のスマホが落ちていた。
手に取ると、ずっしりとした重みがある。見ちゃダメだ。そう思えば思うほど、画面の向こう側にある「柳優流」という人間の私生活が気になって仕方がなかった。
指が勝手に動き、画面をスワイプする。――パスコードロック。
当然だ。でも、どこかでホッとしている自分がいた。
けれど、大学の講義中も、その四桁の数字のことばかり考えていた。
ふと、以前バイト中に下原さんが話していたことを思い出す。
『優流の誕生日を祝ってやった時、あいつ、柄にもなくすげえ喜んでさ。……〇月〇日、あいつの誕生日は……』
バイトへ行く一時間前。家に帰り、テーブルの上のスマホを見つめる。
これを返せば、また「店員と客」に戻ってしまうかもしれない。そんな恐怖が、私の理性を焼き切った。
(……一回だけ。一回だけ、ごめんなさい)
震える指で、彼の誕生日を打ち込んだ。
――カチリ、と。
拒絶されることなく、画面が開いた。
罪悪感に胸を締め付けられながら、メッセージの履歴を開く。一番上にあったのは「由美」という名前。
けれど、そこに並んでいたやり取りは、私の想像とは全く違っていた。
そこにあったのは、愛の言葉でも何でもない、ただの事務的な生存確認だった。
『ゆーくんがいない間に掃除しておいたよ』
『ありがとう、助かったよ』
……それだけ?
あの信号機の角で交わしていた、あんなに熱いキスの熱量はどこに消えたの?私と過ごした、あの密度の濃い二日間に比べたら、あまりにも、あまりにも冷えきっている。
(……私の方が、優流さんのことを想ってる。私の方が、あの人の孤独を埋められる)
芽生えたのは、どす黒い独占欲と、一筋の、けれど毒を含んだ希望だった。
バイト先に向かい、休憩室で下原さんに会った。引越しの報告をすると、彼は本気で驚いたように声を上げた。
「マジか……! あいつが女の子にご飯作ってあげるなんて聞いたことねーわ。あの優流がなあ……」
その「彼がそこまでするのは特別」という事実が、私の心にさらに火をつけた。
アルバイトの時間。
案の定、優流さんがいつもの時間に現れた。私はレジの方へ直行してくる彼を、いつも通りの笑顔で迎える。けれど、以前よりも少しだけ、深く彼の手と目を見つめて。
「ごめん、携帯忘れてたよね?」
「はい、ちゃんとありますよ。……私の部屋に置いていくなんて、わざとですか?」
悪戯っぽく、けれど本心を混ぜて言ってみる。わざとだったら、どんなに嬉しいか。
「いや、ちょっと慌てすぎて……ごめん!」
優流さんは前髪を触りながらそう言った。
これは、彼が照れている時に無意識にしてしまう癖だ。彼が私を意識している。その確信が、私を突き動かす。
カウンター越しにスマホを両手で差し出す。
横から、下原さんがニヤニヤと茶々を入れてきた。
「随分仲良くなったみたいじゃないか。下の名前で呼び合って、手なんて握っちゃってさ」
「……あ、すいません。他のお客さんの邪魔になるから、また」
彼は逃げるようにレジを離れたが、下原さんがしつこくついていく。
接客をしながら、遠くでうっすらと二人の会話が聞こえてきた。
『彼女のこと、もういいのか? 松坂さん、いい子だぞ。松坂さんにしとけよ』
(下原さん、ナイス!)
『……そもそも亜耶ちゃんが僕を好きだなんて、わからないだろ』
また髪を触っている。嬉しい。彼は確実に揺れている。
『それに……由美を裏切ることなんて、できない』
けれど、彼はあんな冷めた関係の彼女を「裏切れない」と言う。
だったら、もっと私の色で彼を染めてしまえばいい。
急いで帰宅し、シャワーを浴びて、私はスマホを握りしめた。
谷口先輩の失敗から学んで手に入れた連絡先を見つめる。
23時、数分前。
私は、彼のプライバシーを覗き見た後ろめたさを、甘い「寂しさ」の香辛料で塗り潰して携帯を握った。
『やっぱり、一人は寂しいです。……来てください』
精一杯の寂しさを込めて電話をかけた私は、きっと世界で一番悪い女の子だ。
けれど、どうしても彼が好きなの。
こうして、私たちの「歪な日常」が始まろうとしていた。




