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深夜の婚姻届─僕が料理人を辞めた理由─プロポーズしたのに!—守り抜いたはずの僕は実は略奪されていた  作者: 一斗


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19/27

運命の悪戯(亜耶視点)〜バスタオル越しの鼓動と、捏造された抱擁。彼の本音と「親友」という嘘に縛られた私が、一通のメールに絶望する朝

「どうして手を出さないの……?」


彼が守り抜こうとする『誠実さ』という壁を、壊したくて仕方がなかった。

バスタオル一枚の勝負も、お酒の力を借りた問いかけも、すべては彼を奪うための罠。


彼の腕の中で目覚めた「捏造された幸せ」のあと、突きつけられたのは残酷な現実。

私が彼を『親友』として繋ぎ止めた代償は、あまりに重く私を縛り付ける――。

「親友だもんね!」と笑うたびに、喉の奥が焼けるように熱かった。本当は、今すぐその胸に飛び込んで「大好き」って叫びたい。でも、そんなことをしたら、優しくて真面目な彼は、罪悪感に押しつぶされて私の前から消えてしまう。


 カラオケで、あんなに貴方を見つめて歌っても、貴方に見つめられながら歌ってもらっても、一つのマイクで一緒に歌っても……「親友」で片付けられてしまう。


 先週だって、わざと着替えを忘れて、バスタオル一枚で彼の前に出た。

 バスタオルの端を留めたりなんてしない。

 左手で、ただ緩く布を握りしめているだけ。

 心臓が口から飛び出しそうなほど震えていた私に、彼は驚いた顔をしながらも、私の手元を、そして震える肩を少しだけ見て、紳士の仮面を被ったまま目を逸らし決して視線を合わせようとはしなかった。


『その……親友でも困るよ。今度から言ってくれたら、バスルームの前に置くから、ね?』

 早く剥がれてよ。その、忌々しいほどに優しい仮面なんて。


 前髪をくしゃりと触りながら、困惑したように笑った彼。情欲ではなく、気遣いを選んだあの背中を思い出して、私は「これくらいじゃダメか……」としゅんと胸を痛めたのを思い出す。


 だから私は、お酒の力を借りることにした。「優流の作ったお酒、飲んでみたいな……」あざといって思われてもいい。少しでも、この『親友』という硬い殻を溶かしたかった。

 カクテルを作る彼の横顔は、見惚れるほどに綺麗で、残酷だった。お酒に弱い私は、すぐに視界がふわふわとしてくる。けれど、心は今までで一番冴え渡っていた。

 理想の人は居場所になってくれる人と言った彼につまり私のこと?って聞いたら、うん。って言った彼に、「もし、彼女がいなかったら……私を恋人にしてくれた……?」勢いに任せて言っちゃった。心臓の音が、部屋中に響いているんじゃないかと思うほど激しく打つ。

 彼は少し黙って、それから――。

「うん、きっと僕からお願いする」

 その言葉を聞いた瞬間、視界が涙で滲んだ。(……ずるいよ、優流。そんなこと言われたら、もう諦められないじゃない)

 私は、溢れそうになる涙を隠すために、慌てて目を閉じて「寝たふり」をした。

 彼が私を抱えて、彼の寝床へと寝かせてくれた。

 やがて、私のすぐ隣に彼が横たわる気配がした。

 聞こえてくる、彼の静かな寝息。触れたい。でも、触れたらこの魔法が解けてしまう。私は暗闇の中で、隣にいる彼のぬくもりを全身で感じながら、心の中で何度も繰り返した。

(……大好き。ごめんね、嘘つきな親友で)



 瞼を透かして、柔らかな朝の光が差し込む。

 ゆっくりと目を開けると――そこに、いた。


 すぐ、目の前。

 伸ばした指がかすめるよりも近い距離に、優流の寝顔があった。


「……っ」


 止まりかけた心臓をなだめるように、自分の口を両手で押さえる。

 吐息がかかるほどの距離。いつも優しく微笑みかけてくれる彼の、あまりにも無防備な寝顔。

 私は、盗むように、けれど貪るように彼の顔を観察した。


 慌てて毛布の下の自分を確認する。服は昨夜のまま。乱れなんて、どこにもない。


(……本当に、バカなんだから)


 昨夜、あんなに近くで、あんなに甘えて。カクテルの熱に浮かされたフリをして「どうして手を出さないの?」とまで聞いたのに。


 紳士すぎる彼は、私が一番欲しい「裏切り」を、頑なにくれようとしない。

 けれど、昨夜の彼の言葉が、耳の奥で熱く、熱く蘇る。


『――うん、きっと僕からお願いする』


 その言葉は、もう「私が好き」だと言っているのと一緒じゃない。

 寝顔を見つめながら、私は確信する。

 彼の「誠実さ」という高い壁が、私との間に立ちはだかっているだけなのだと。


(本当に、手を出してくれないのかな……)


 男の人は、女の子の「初めて」に弱いって聞いたことがある。

 もし、事故を起こしてでも「それ」を彼に捧げてしまったら、責任感の塊のようなこの人なら、きっと一生私を背負おうとするはず。そうすれば、由美さんとの間に、二度と修復できないヒビを入れられるのに。


 そんな汚い計算をしながら、私は今、自分にできる最良の「罠」を思いついてしまう。

 彼を起こさないように細心の注意を払いながら、布団の中で彼の大きな手をそっと持ち上げた。


 大丈夫、起きてない。

 私は、彼の熱を逃さないように、ゆっくりと、けれど確実に彼の間合いへと踏み込んだ。

 彼の大きな手を持ち上げ、自分の背中へと導く。

 指先に伝わる彼の肌の質感、そして背中に回された腕の重み。

 それは、私が世界で一番欲しかった『重圧』。

 彼の大きな手のひらが背中に触れた瞬間、ゾクッとした熱が全身を駆け巡る。彼の腕の中に収まることに成功した私は、心臓が壊れそうなほど高鳴るのを感じながら、最高に幸せな嘘の中に身を沈めた。


 彼が目覚めた時、彼は自分を責めるだろう。

 私はその罪悪感さえも糧にして、彼の中に私の消えない爪痕を残したかった。

 目を閉じて、彼が起きるまで、この「捏造された幸せ」を噛みしめていよう……。


 しばらくして、「……っ」と優流の体がビクっと跳ねた。

 私は彼の胸の中から、あどけなさを装って彼を見上げる。


「おはよう、優流……その……」


 頬を赤らめ、恥ずかしそうに呟いてみる。

 対する彼は、ものすごく慌てて「ご、ご、ごめん……!」と私を突き放すように離した。


「私の抱き心地どうだった……? 抱き枕にしたかったら、いつでもしていいよ……?」


 追い打ちをかけるようにからかってみると、優流は顔を真っ赤にしながらうなだれた。

「か、からかわないで……その……抱きしめちゃってたことは、謝るから……」


(ああ……なんて可愛いんだろう)


 良心の呵責に震える彼が愛おしくてたまらない。

「別にいいよ♪」と上機嫌で返してあげたけれど、私の心は、彼を「加害者」に仕立て上げた勝利の余韻で満たされていた。


 それから一緒に起きて、並んで歯を磨く。

 けれど、部屋に流れる少し気まずい沈黙の中に、別の違和感が混じっていることに気づいた。その正体不明の不安は、朝食を食べている時も消えなかった。


 お互いにあまり箸が進まない中、優流が意を決したように口を開いた。

「亜耶、あのさ……来週の水曜日のことなんだけど」


 心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

「……うん?」


「由美からメールが来て……有給取ったから会いたいって……」


 その瞬間、視界の端がぐにゃりと歪んだ気がした。

 わかっていた。いつかはこの日が来るって。


 でも、私と一緒に「青春」を取り戻していたはずの優流が、たった一通のメールで「彼氏」の顔に戻ってしまうのが、たまらなく怖かった。


(行かないで、なんて……言えるわけないよね)


 私は箸を置いて、無理やり口角を吊り上げた。

「そっか! 久しぶりだもんね。由美さんもきっと楽しみにしてるよ」


 心の中では、喉が張り裂けるくらい叫び出したいのに。

 私が自分を守るために使った「親友」という嘘が、今の私を、世界で一番残酷に縛り付けていた。

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