運命の悪戯〜(亜耶視点)親を捨て、彼女に人生を預けた僕を、女子大生が略奪にかかる。「私がもっと心地いい鎖に、付け替えてあげるね?」
彼は、彼女のためにすべてを捨ててここに来た」
バイト先の店長から聞いた、彼の過去。
それは、優流さんが今の彼女と別れられない、あまりに重い「理由」だった。
――でも、それって「愛」じゃなくて「義務」じゃないの?
恩義に縛られて、不自由に生きる彼。
そんなの、私が終わらせてあげる。
彼女が作った古臭い鎖なんて引きちぎって、
私が用意した「最高に幸せな檻」に閉じ込めてあげるから。
21時。
私は「彼を救う」という名目のもと、世界で一番甘い声で電話をかけた。
「行ってきます」
優流さんがそう言って扉を閉めた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
私に向けて放たれたその響きが、あまりに自然で、温かくて。
気づけば、自分でも驚くほど頬が緩んでいた。
「……ふふ」
彼がいなくなったばかりの部屋で、私は彼が眠っていたソファーに倒れ込む。
毛布に顔を埋めると、ほのかに彼の匂いがした。清潔な石鹸と、少しだけ冷えた夜の空気……優流さんの匂い。
「……ごめんなさい、こんなところで寝かせちゃって」
少し硬いソファーの感触に、胸がちくりと痛む。
今日も呼んだら、来てくれるかな。……きっと、来てくれる。
彼には彼女がいる。人の幸せを奪おうとしている私は、きっと悪い女の子だ。
でも、どうしても止められない。だって、好きなんだもん。
もし。
もし今夜、「ソファーは寝づらいから、上で一緒に寝ますか?」なんて冗談めかして誘ってみたら、彼はどんな顔をするだろう。
あの整った顔を真っ赤にして、困ったように前髪を触るのかな。それとも……。
「きゃー! もう、私、何を考えてるの!」
一人で布団を蹴り、もがいてみる。朝から何をはしゃいでいるんだろう。
ふとテーブルを見ると、優流さんが飲み残したコーヒーのカップが置いてあった。
「……もったいない、だけなんだから」
自分に言い訳をして、カップを手に取る。
彼が口をつけた場所に、そっと自分の唇を重ねてみた。
冷めたコーヒーはひどく苦いのに、胸の奥は溶けてしまいそうなくらい甘かった。
アルバイト中。
「松坂さーん。引越し、どうだった?」
オーナーの奥さんである店長が、ニヤニヤしながら近寄ってきた。
「えっ、あ……。一日中手伝ってくれて、次の日もまた来てくれて……。本当に、すごく優しかったです!」
「ふふ、私は『引越し』のことしか聞いてないんだけどな。真っ先に『彼が優しかった』なんて。もう頭の中は柳くんでいっぱいみたいね」
店長の言葉に、私は咄嗟に俯いた。顔が火照り、心臓の音が耳元まで届きそうだ。
店長は、優流さんのことが大好きだ。日曜朝の特撮ヒーローに彼がそっくりらしく、会うたびに「真似して私を撃って!」とはしゃいでいたらしい。
(店長、ずるい。私だって、彼に撃ち抜かれたいのに……)
そんな妄想を噛み締めていると、店長が少しだけ真剣な顔をして声を潜めた。
「松坂さん……柳くんのこと、本当に好きになっちゃったのね。でも、彼にはずっと付き合っている彼女がいるし、難しい恋かもしれないわよ」
「……それでも、好きなんです」
絞り出すように答えると、店長は少しだけ寂しげに目を細めた
「彼、わざわざ遠くの地元から、こっちの調理師学校に来たでしょ? なんでわざわざ……って思って以前聞いてみたことがあるんだけど。彼、あの彼女とは高校三年生の時から付き合っているんですって。……何か事情があって親と縁を切って、もう地元には戻らない覚悟で、彼女がいるこの街に引っ越してきたのよ」
――鼓動が、一瞬止まったような気がした。
親と縁を切ってまで、彼女のいる場所へ来た。
それは、優流さんの口から語られた「事実」なのだろう。けれど、私の頭の中ではその事実が、もっと暗く、重い物語へと姿を変えていく。
(……そんなに長く付き合って、親まで捨ててついてきたなら。もう、別れるなんて選択肢、彼には残ってないんじゃないかな)
優しくて、責任感の強い優流さんのことだ。
自由を奪われるほどの大きな恩義を、彼女から受けてしまったんだ。
だから彼は、あんなに冷え切ったやり取りしかできなくても、義務を果たすように彼女のそばに居続けている。
それは、愛じゃない。……ただの「罰」だ。
そう思うと、胸が鋭く突き刺された。
彼女に縛られた過去のせいで、彼は今、息もできないほど不自由をしているんじゃないか。
(だったら……私が、その重すぎる鎖を壊してあげなきゃ)
私の勝手な思い込みかもしれない。でも、そう信じることで、私は自分の「略奪」を、彼を救い出すための聖戦だと自分に言い聞かせた。




