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百合園編集部

 まさか竜子様に直談判する事になるなんて……でももしかしたら、本当に表紙を描けるかもしれない。微かな期待が沸いてくる。


「だめよ……こんな所で、家に帰ってからにしようよ……」

「良いじゃない、駄目も見てないもん」

「誰かに見つかっちゃう」

「ほら……大きな声出さないの、キスするだけなんだからさ」


 編集部へと向かう途中。物陰で二人の女性がキスしていた。まさか社内恋愛をしているだなんて……

 ていうか丸聞こえなんだけど。あれで隠れているつもりなのだろうか。あの二人をモデルに絵を描く事にしよう。タイトルは『職場での百合事情』


「全く、あの二人は……もうちょっと人目のつかない場所ですればいいのに」

「紡岐……ああいう事は珍しくないの?」

「別に普通の事でしょ、竜子と私だって、社内恋愛の末の結婚だったんだから」


 竜子様と紡岐は同性の夫婦関係にある。つまり上司と部下の百合だ。

 このジャンルで重要になってくるのがプライベートでの立場逆転! 職場だと厳しい上司も家だと部下の尻に敷かれている……普段怒られっぱなしの部下はここぞとばかりに主導権を握る。上司と部下に限った事ではないが、私は立場逆転ものが好きなのだ。


「ちなみに……紡岐は家だと竜子様になんて呼ばれてるの?」

「私? つむつむって呼ばれてる」


 つむつむ……あの厳格な竜子様が紡岐をそう呼ぶなんて……意外だ。


「ちなみに私は竜子ちゃんと呼んでるよ」

「上司をそう呼べるなんて……夫婦だから出来る事だよね」

「一応職場だと、上下関係は守っているつもりなんだけど……ついつい竜子ちゃんって呼ぶ時があるわね。竜子もつむつむって呼んでる時があるし」


 竜子ちゃんとつむつむ……二人のプライベートが垣間見える。私もみなもをあだ名で呼んでみようかな……みなもちゃん……みなみな……やっぱりやめた。

 



 ここが百合園の編集部、私の憧れの雑誌がここで作られているんだ。私なんかが足を踏み入れていいのだろうか……


「彩果はさ、好きな作品とかある?」

「『君と奏でるメロディーに愛を乗せて』かな、バンドを題材にした作品で、百合園の看板作品なんだよね。」

「それを立ち上げたのも私なんだけどね……」

「紡岐の貢献度は計り知れないね」 

「だけど今は担当から外されて、窓際にいるんだよね……もうここに戻る事もないだろうし、もう戻りたくないからね」


 あんな事があっては、いくら実績があろうと編集部に戻るというのは、中々許される事ではないらしい。


 ちなみに他の作品だと、ヤンキー百合漫画『拳で語る恋心』も好きだ。みなもの『どつおつ』が打ち切られた原因でもある。やっぱり面白さが全然違う。作者さんが元ヤンキーという事もあり。リアリティを感じるし、話の構成を上手い。私のハマっている作品の一つだ。


「赤崎……何をしに来たんだ? 君の部署はここではないだろう」


 この人こそが立浪竜子(たつなみりゅうこ)。こみっく百合園の編集長で、私をプロの世界へ導いてくれたお方だ。

 三十代でこの貫禄を出せるのは凄い。でも紡岐曰く、普段はオシャレをしたりする、可愛らしい女の子なのだとか。確かに美人だし、スタイルも良いし、何を着ても様になりそうだ。一度プライベートの竜子様を見てみたい。


「竜子ちゃん……竜子、彩果が話があるんだってさ」

「ちょっと紡岐! いきなり過ぎるよ……」


 ていうか、普通に竜子ちゃんって呼んでるし……職場なのに気が緩みすぎでしょ。


「他に用なんてないでしょ?」

「そうだけど……」

「久しぶりだな、ぷらむ君」

「おっお久しぶりです! 竜子様もお変わりないようで!」


 駄目だ、緊張で声が裏返ってしまっている。竜子様の眼力が凄すぎて萎縮してしまう。


「そう言えば、『オーバーキル』の連載おめでとう」

「え? あ、はい……ありがとうございます」

「君とりぷとん先生がダッグを組めば、必ずヒットするだろう。期待しているよ」

「あ……ありがとうございます!」

 

 まさか竜子様から励ましのお言葉を頂けるなんて……これ以上ない光栄だ。みなもにも聞かせてあげたい。


「竜子様があの時、私を見出してくれたから、今の私があるのですよ」

「別に大した事はしていない。私は編集者として当然の事をしたまでだ。眠っている人材にスポットライトを当てるというね」

「なんて素敵な志なのでしょう……」

「大袈裟ね、ネットサーフィンしてたら偶然、彩果の絵に目が止まっただけなのにね。しかも私に彩果のイラスト集の担当をしろだなんて、急に言ってくるんだもん」


 それがあの時の紡岐の態度だった訳か。家だと紡岐の尻に敷かれているらしい。つまり立場逆転という私が大好きなシチュエーションだ。


「あの時はすまないな……だがぷらむ君をどうしてもプロの世界で活躍させたくてな、ちと強引な方法を取ることにしたのだよ」

「私はあの時、睡蓮のお守りをしていたの! なのにいきなり彩果と打ち合わせをしろだとか、勝手な事言い出すんだもん」


 睡蓮? もしかして二人の子供だろうか。この世界では同性間で子供が作れるので、いても何ら珍しい事ではない。


「あの……睡蓮って?」

「あぁ……つむつむ……紡岐と私の娘だ。今年で六歳になる」

「そう言えば彩果には言って無かったわね。ふふふ、どんな子か見たい?」


 見たい、滅茶苦茶見たい。美人の両親に似て、きっと可愛いんだろうな……あとつむつむって言ってしまっている。竜子様も気が緩みすぎだ。仕事とプライベートは別じゃないのか。


「ほら、特別に見せてあげる」


 そう言って、スマートフォンの写真を見せてくれた。睡蓮ちゃんは、髪型は竜子様、顔つきは紡岐に似ていた。物凄く美少女だった。


「か……可愛いー」

「そうでしょー竜子と私の子供だもん! とても活発な子で、幼稚園でモテモテみたい」

「それに、紡岐に似て、創作の才能がある様でな、普段は小説を描いているんだ」

「え? まだ六歳なのに? 凄い……」

「しかも女の子同士の恋愛がテーマのものばかり描いてるのよ! それを幼稚園で発表したら、クラスメイト達が尊さで悶えてたみたい」


 まるで作家版の私の様な子だ。将来が楽しみすぎる。にしても、六歳にして百合小説を描くとは……私も読んでみたい。睡蓮先生の小説を。


「いいなぁ、子供、私も欲しいなぁ……みなもにお願いしようかな……」

「りぷとん先生の様子はどう? 元気にしてる?」

「えぇ、勿論。一時期新作が思いつかなくて、悩んでいる事もありましたけど、『オーバーキル』を発案してからは、毎日元気ですよ。元気すぎるくらい」


 みなもにとって紡岐は、デビュー作を立ち上げてくれた編集者だ。恩人と言ってもいい。少し口出しが多かった事意外は、とても優秀な編集だったらしい。


 ……紡岐って、今何歳なんだろう……みなもが高校生だった頃には、編集者として働いていたから、三十代くらいだろうか。竜子様とそんなに年が離れていない事になる。その若さで編集長に上り詰めた、竜子様はやっぱり凄い。


「じゃあそろそろ、子供を作るタイミングじゃない?」

「な……何言い始めてるの!」

「だって、子供が欲しいでしょ? 連載が決まって、不安要素も消えただろうし、作るなら今だよね」

「そ、そんなの、みなもと私が決める事だもん! 他人にとやかく言われる筋合いはないもん!」


 そろそろ子供を作れとか言われたら、逆にプレッシャーになってしまう、夫婦の気持ちが分かった気がする。一体紡岐は何を言い出すのだろうか。


「私が名付け親になってあげようか?」

「もう決めてあるもん! だから必要ないもん!」


 水彩。みなもと私の名前から一文字ずつ取ったこの名前にするつもりでいる。雪菜が考えてくれたので、彼女が名付け親という事になる。それはそれでどうなのだろう……口の悪い子供になりそう。


「ふーん、じゃあ余計なお世話だったかな?」

「もう……茶化さないでよ……紡岐」

「あはは、ごめんごめん、つい口出しする癖が……」

「あっ! 赤崎さんだ!」

「本当だ、来てたんだ」


 他の編集さん達が紡岐をみるやいなや、駆け寄ってきた。


「ひぃぃ! 私、もう帰るね!」


 急にパニックになる紡岐。どうしたのだろうか。


「待って、赤崎さん」

「どうせ私なんて要らない子なの! 必要とされてないの! ここに居てはいけないの!」


 急に自分を貶し初める。もしかして異動になった事が彼女の中でトラウマになっているのだろうか。


 部屋から出る途中、椅子につまづいて、編集部員の机の上の資料を床にばら撒いてしまった。


 ドンガラガッシャーン。

 

「ひぃぃ! ごめんなさい……」

「何やってるんだ! つむつむ!」


 竜子様がパニックになる紡岐に駆け寄る。そして顎を持ち上げキスをした。


「おお……これが上司と部下の百合……職場恋愛から夫婦になった二人のキスか。後で描く事にしよう」

「全く……急に取り乱すな」

「ごめん、元同僚の皆と話したくなくて……」

「何かあったの?」

「だって……私はお荷物だもん、皆から嫌われているんだもん……いじめられてるんだもん!」

「え……そうだったの?」


 紡岐が編集部でいじめられていた? そんなの聞いた事ない。エース編集者だった筈だけど……もしかして、嫉妬? それで職場いじめをしていた?


「だからここに居たくない!」

「別に私達、赤崎さんの事いじめてなんかないよ、むしろ尊敬してた」


 どういう事なのだろう。これは話を良く聞く必要がありそうだ。


 


 床に正座させられる紡岐。先程のキスで、少しは落ち着いたらしい。

 

 私は床に散らばった資料を拾うのを手伝っていた。読者アンケートとかあったけど、見ていませんよ。気にはなったけど、見ていませんよ。さすが看板作品だ、アンケート取れてるなとしか思っていませんから。


「あの……赤崎さん、私達がいじめをしていたっていう根拠は何処にあるの?」

「皆、私を遠ざけてたじゃん!」

「別に遠ざけてなんかないよ……近寄り難かったんだ。赤崎さんはエースだったから、私達みたいなのが迂闊に話しかけちゃいけないのかなって」

「そんな事ないよ……むしろ皆と仲良くしたかったよ……」


 どうやらいじめがあった訳ではないらしい。ただ紡岐が孤立していたのは事実の様だ。

 孤高のエース……かっこいいけど紡岐には似合わないな。


「赤崎さんはさ、凄く優秀な編集者だったから、私達の憧れだったんだよ? 仕事の効率も良くて、何本もの漫画を立ち上げてて、嫉妬する事もあったけど、それでも凄いなって認めてたんだ」

「私が憧れ? 皆の?」

「なのに赤崎さんは、私達と全然話してくれないからさ、見下されてるのかなと思ってたよ」

「そんな訳ないじゃん、大事な仕事仲間なんだから」 

「だったら、もっと話し掛けてアドバイスを貰えば良かったなぁ。赤崎さんの仕事ぶりは色々勉強にもなるからね」

 

 紡岐が優秀な編集者だとだったいうのは知っている。     それでいて小説まで描けるというのだから、天から二物を与えられたと言っていい。


「私の事嫌ってない?」

「嫌ってなんかないよ、むしろ好きなくらいだよ女性としてもね」

「私なんか赤崎の事狙ってたのにさ、編集長に取られたんだもん。あの日はヤケ酒したよ」

「赤崎さん、美人だもんねー編集部の皆が狙ってたんじゃない?」


 なんと紡岐は同僚達からモテモテだったみたいだ。紡岐が気付けていれば職場百合ハーレムを築けていたのに。勿体ない。


「わ……私には竜子がいるから、皆は恋愛対象には見れないかな……」

「あちゃー私達敗北ヒロインになっちゃった……」

「そもそも、立浪編集長の前でいじめなんて出来る訳ないのに。そんな事したらどんな恐ろしい制裁が待っている事か」

「あはは、竜子は怒ると怖いからね、正義感が強いから、私をいじめてると知ったら、反省文じゃ済まないかも」

「ひぃぃ、想像しただけで恐ろしい」


 なんだか先程までのピリピリした雰囲気とは打って変わって和気あいあいとしてきてたぞ。紡岐と同僚編集さん達が仲直り出来たのかな……


「よし! 双方の勘違いだったと言う事で良いだろう。もうこの話は終わりだ」


 竜子様はぱちんと手を叩いて、場を収めようとした。誤解も解けたみたいだし、どうやら一件落着の様だ。


「でも、赤崎さんが異動になってから、百合園の売上が右肩下がりになっていったのよね……」

「編集部の空気も悪くなってしまって」

「赤崎さんがどれだけ重要な存在だったかを、改めて思い知らされたよ」


 おお……これは所謂追放系という奴じゃないか。紡岐はラノベの主人公だったんだ!


「『雑誌の編集者だったのですが、クビになってしまったので自分でラノベ小説を描いたら大ヒット! ラノベ作家として活躍中に出版社から戻って来てと言われたけどもう遅い!』だね!」


 紡岐は追放系の主人公の様な人生を送っているんだなと実感する。彼女を主人公にした小説を描いたら面白くなりそうだ。


「別にクビになってないから……それに、今更私が戻った所で戦力にはならないよ……」

「そんな事ないよ! 赤崎さんが戻ってきてくれれば、また百合園も復活できるよ!」

「だから赤崎さん、百合園の編集部に戻ってきて!」


 まんま追放系じゃないか。確かに面白い作品は多いけれど、全盛期に比べると落ちた感は否めない。『つきめば』が連載されていた頃は凄かったなぁ。


「どうすれば百合園がまた昔みたいに人気が出るのかな」

「何ていうか……魅力がないですよね、今の百合園。表紙を見てもやる気を感じないというか」


 魅力を感じ無いって何だ……埼玉じゃないんだから、表紙を描いている人にも、連載漫画家にも失礼すぎる。私から見れば魅力の塊なのに。


「うむ……まずは表紙からか……ならばぷらむ君に描いて貰う事にするか」 

「え……私が描いて良いんですか?」


 思いもよらない言葉に、私の心は高鳴り初めた。


「むしろ描いて欲しい。天才絵師である君の力を頼りたい。お願いできるか?」


 そう言って、頭を下げる竜子様。私なんかにこんな事をするなんて、彼女も本気なのだろう。当然断る理由なんてない。私の返事は決まっていた。


「勿論です! 描かせていただきます!」

「そうか、ありがとう。頼んだのが君で良かったよ」

「まさか本当に描ける事になるなんて、やった、やった……やったー!」


 私は嬉しさで両手の拳を天に突き上げた。こんなにも喜んだ事はいつ以来だろう。『オーバーキル』の連載が決まった以来だろうか。だとしたら割と最近だ。

 それにしても、こんなにあっさり決まるだなんて……打ち切り漫画の展開の様だ。もし『オーバーキル』の打ち切りが決まった時は、こんなご都合展開を描く事になるのかな……いやいや、そんな事は考えては駄目だ。


「ククク……ぷらむ君が描いてくれるのなら、きっと売上が回復するぞ」

「竜子、本当に良いの?」

「私が決めた事だ。従って貰うぞ」

「編集長の一存ってやつだね」


 そう、全ては竜子様の鶴の一声で決まる。それが百合園編集部のルールだ。今まではそれで上手くいってきたので、異を唱える者もいないのだろう。


 ならば竜子様の顔に泥を塗るわけにはいかない。私の絵で絶対に百合園の売上をあげなければ……責任重大だ。私は両頬を叩いた。


「それで、テーマはどうすれば……」


 百合園の表紙絵には何らかのテーマがある。一番多いのは季節で、みなもや新月が描いた絵も、季節ものだった。今の季節なら梅雨のシチュエーションだろうか。


「君の好きに描けば良い」

「何を描くかを私が決めて良いんですか?」

「勿論だ。ぷらむ君が何を描くのかが楽しみだよ」


 まさか表紙を描けるだけでなく、自分の好きな絵を描いて良いだなんて……夢みたいだ。


「良かったね、彩果。私に感謝してちょうだい!」

「えへへ、ありがとう、紡岐!」

「彩果の満面の笑顔は、中々破壊力があるわね……思わずドキッとしてしてまったわ。りぷとん先生はこれを毎日見てるのよね……」


 私の頭の中は何を描くかでいっぱいになっていた。


 どんなシチュエーションにしようかな……膝枕百合、耳かき百合、マフラー百合、壁ドン百合、股ドン百合、はいあーん百合、添い寝百合、おんぶ百合、雨宿り百合、こたつ百合、バレンタイン百合……

 それとも……私の原点である相合傘? ネタは尽きない。


「帰ったら早速執筆に取り掛かるぞ!」


 そう言って立ち上がった瞬間、たちくらみがした。どうしたのだろう、体がふらつく。私は真っすぐに立つ事ができず、よろめいてしまった。


「おっと……」

「ぷらむ君!」


 竜子様が咄嗟に動いて私の体を支えてくれたみたいだ。


「ありがとうございます。支えてくださって」

「おい! 大丈夫か!」

「大丈夫ですよ、少しふらついただけですから……」

「駄目だ! 医務室へいくぞ!」

「いやだから、大丈夫ですって……」

「私の言う事を聞け!」

「竜子様……?」


 竜子様が凄く恐い顔をしている。私の身を感じてくれているのだろうか。それにしても大袈裟な気もするが……




 私は医務室へ運ばれて診察を受けた。どうやら軽い貧血のようだ。確かに鉄分が足りていなかったのかも知れない。それと寝不足も原因のようだ。


「良かった……大事に至らなくて」

「竜子様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」

「いや……良いんだ。君の命に別条がなくて」


 竜子様の表情は先程までの険しいものから打って変わって、和らいだものへと変化していた。こんな事で竜子様に心配をかけてしまった……


「ねぇ彩果、寝不足って事はさ、もしかして全然寝てないの?」

「うん、睡眠時間を削って絵を描いているからね」


 最近は『オーバーキル』の原稿を描いたりなどで忙しく、あんまり寝てなかった。でもそれが何だというのか。私はまだ若い。少し無理をしたくらいで死ぬ訳ではないのだ。


 「ぷらむ君、少しは休んだらどうなんだ、仕事のし過ぎで体に支障をきたしているようだぞ」

「だから……大丈夫ですって……竜子様は心配性なんですね」

「彩果……竜子ちゃんはね、あなたの事を思って言ってるのよ」

「紡岐まで……大丈夫ですよ。それにせっかく表紙を描ける事になったんですよ! 休んでなんていられませんよ!」


 連載漫画の作画。次のイラスト集。担当してるラノベのイラスト。そして百合園の表紙……私にはやるべき仕事が沢山あるんだ! 寝る時間が惜しいくらいに。


「彩果……」

「夢の為にもうひと頑張りです! 命の一つや二つ……惜しくないですから!」


 その言葉を発した瞬間。竜子様が豹変した。


「この戯け! そんな訳がないだろう!」


 突如激昂する竜子様。私は思わずビクッとなってしまう。


「命の一つや二つなんて惜しくないだと……命は一つしかないんだぞ! 死んだらそれまでなんだぞ! ゲームとは違って、人生の残機は一つだ、生き返る事は絶対に無い……それを理解してくれ」


 竜子のここまで怒る姿は初めて見る。どうやら私は竜子様の逆鱗に触れてしまった様だ。


「死んだら何も描く事が出来ないんだぞ! 君は立派だ、その絵で多くの人達を感動させている。でも君が居なくなったら、それも出来なくなる」


 嫌だ……二度と絵を描けなくなるなんて……まだまだ描きたい絵が山程あるのに。死にたくない……


「命をかけるのは自由だが、その命が君一人だけのものではない事を理解してくれ。君が死んだら、悲しむ人が沢山いる。困る人もな」


 私は気付けていなかったのだろうか。そんな当たり前の事さえも……

 みなも、雪菜、陽花、新月、ママ、パパ、真白ちゃん……私が死んだら悲しんでくれるのかな。くれるだろうな、きっと……


「竜子様も……悲しい? 私が死んだら……泣いちゃう?」

「勿論だ……私はもう、誰も失いたくないんだ。だから無理するな」


 竜子様は涙ぐんでいるように見えた。私は愚かだ……こんなにも心配してくれている人がいるのに、まるで耳を傾けようとしなかった。


「グスッごめんなさい……本当に……グスッ」

「分かってくれたなら良い。だから泣くな」 


 竜子様は私の涙を指で拭ってくれた。本当にこの人は優しいお方だ。


「彩果、ここは竜子に甘えて暫く仕事を休んだら? 大学に通っているんでしょ? 学業に専念してみるのも良いんじゃない?」


 確かに、仕事と学業の両方は思っていたより難しいものがあった。絵を描く時間を確保するには、睡眠時間を削るしかない。


「大学は辞めたくない……私の居場所だから……大切な親友達が居るから……」

「なら、取るべき選択肢はもう決まっているな」

「でも、今仕事を休んだら、百合園の表紙が描けなくなってしまいます! 私の目標の一つだったのに!」


 それだけじゃない。他の仕事も減らすとなると、それならばもう二度と、私に仕事なんて頼まないと思われてしまうかもしれない。これまで築いてきた信用というものが、音を立てて崩れていってしまう……

 他の絵師に頼めば良いと思われるだけだ。私より凄い絵師なんて……数えきれない程いるのだから……


「私に……休んでいる暇なんてない……信用を失ってしまいます!」


「焦るな、焦っても良い事なんてないぞ。今君が休んでも失うものは少ないだろう。だが無理し続ければ……全てを失う」


 嫌だ。私は何も失いたくない。だけど、そんなのは甘えなんだろう。それなら少しでも手元に残る選択を取るしか残された道はない。


「百合園の表紙……書きたかったなぁ……せっかく描ける事になったのに……悔しいなぁ……」

「別に担当を外すとは言っては無いぞ、表紙は引き続き君に描いて貰うぞ」

「……」

「でも今は無理するな、休んでいる間にクビにしたりしないよ。君の席は空けておく、だから安心して休んでくれ」


 竜子様のその言葉に、私はホッとした。そして信じる事にしたのだ。委ねる事にしたのだ。


「はい……ありがとうございます……」

「竜子ちゃん……ホワイト上司!」

「私はいつだって良き上司だぞ、常にクリエイターや部下の事を思っているからな」


 評判通りだ。クリエイターや部下の事を優先する、とても優しい心の持ち主だ。だから皆、文句を言う事も無く彼女に付いて行くのだろう。


「……気にならないのか? 何故私が、こんなにも無理をしようとする君に怒ったのかを」

「私の事を思っていただいているからですよね……」

「そうだ、私は君を失いたくない……今まで失ってばかりだからな」 


 どういう意味何だろう。失ってきた? 何を? 誰を?


「……もしよければ聞いてくれるか、愚かな私の昔話を……」 


 そう言って、竜子様は語り始める。私も聞いた事が無い、彼女の過去を――

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