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出来ること、出来ないこと

 私が小学五年生の頃の話だ。

 宿題を出来たかを担任の先生に聞かれた。


「色、宿題はやってきたか」

「はい、何とか」

「そうか、()()()()()()()()()()()()()()


 私はその一言に深く傷付いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……そうさ。その通りだよ。先生の言う通りだよ。

 私が出来てるって事は、皆が出来てる事なんだよ。

 皆が出来てるって事は、私には出来ないって事で、私みたいな落ちこぼれが出来る事は皆、普通にこなせる事なんだよ。私が出来ない事を皆が出来ないなんて事はなくて、皆が出来る事は、私が出来る事とは限らないんだ。だから私が出来る事は、皆が出来て、皆が出来る事は、私には出来ないっていう理屈は、至極全うな理由である。


 確かに私は勉強が出来ない。成績も良くない。運動は得意だけど、肝心の筆記試験はからっきし。所謂落ちこぼれというやつだ。自覚はしてる。

 だけど言い方ってものがあると思う。本気で傷付いた私は、体調が悪いと先生に伝えて、教室を飛び出した。

 

 私は、廊下で一人泣いていた。自分が惨めで情けなくて、でもどうする事も出来なくて……泣くことしか出来なかった。


「彩果ちゃん……泣いてるの?」

「グスッ……雪菜? どうしたの、授業中だよ」

「遅刻しちゃって……これから教室に向かう所なんだ」

「そう……」

「彩果ちゃんこそ、どうしたの? そんなに泣いて、もしかしていじめられたの?」


 こんな事で友達の雪菜に心配をかける訳にはいかない。


「大丈夫だよ、何ともないから、ちょっと花粉症でさ……」

「嘘、今の彩果ちゃん、嘘付いてる」

「え……そんな事ないよ」

「ねぇ彩果ちゃん、私の事を友達って言ってくれたよね。だから隠し事はやめようって、約束したよね」


 確かにした。雪菜と始めて会った時に、交わした約束だ。覚えていてくれたんだ。


「だから、教えてよ、何で泣いてるの? 友達の私には、話してくれるよね」

「……分かった」


 私は、包み隠さず、さっきの事を雪菜に話した。すると……


「酷いよ! そんな事言うなんて! 彩果ちゃんは悪くない!」

「いいんだよ、雪菜。先生の言う通りなんだ。私なんてさ、行き当たりばったりだし、接し方が下手だし、気遣い下手だし、気配り下手だし、労るの下手だし、思いやるの下手だし、生きるの下手だし、出来ないことばかりだし。」


 私は、自分を精一杯傷付けた。だって全部事実なんだもん。事実を言うだけで悪口になってしまうようだ。


「やめて……そんな彩果ちゃん、見たくない。自分を傷つけないで、私の好きな彩果ちゃんは、そんなんじゃない」

「これが私だよ、皆の前だと明るく振る舞ってるけど、本当の私はとても脆いんだ」


 自分と他人を比べて、劣等感に苛まれる事なんて、日常茶飯事だ。皆、凄過ぎるんだよ。私なんかより……


「大丈夫、彩果ちゃんは、凄い人だから、私は彩果ちゃんの凄い所、知ってるから……もっと自信を持って」

「雪菜……」

「だから、これで元気出して」


 そう言うと、私のおでこにキスをしてくれた。


「えへへ……皆には内緒だよ。特に陽花ちゃんにはね」

「陽花に? 何で?」

「わわわ、今のは聞かなかった事にして!」

「……分かった」


 当時の私は、雪菜と陽花が両思いの恋人関係にある事を知らなかった。雪菜は隠し通そうとしていた事も。


「私、先生に言ってくる! そして彩果ちゃんに謝って貰う!」


 まさか、先生を論破するつもりじゃないだろうか。

 そんなの、不可能に決まっている。経験と知識で上回る相手を言い負かす事なんて、出来る訳ないのだから。

 そんなものは、漫画やアニメの中でしか存在しない。生徒の……子供の言う事なんて、綺麗事だとか、戯言だとか、そんな風に思われて相手にされないだけだ。だから子供が大人を論破するなんて、ある訳ないんだ。


「私は大丈夫だよ、雪菜に慰めて貰ったから」

「私が大丈夫じゃないの、大切な友達を泣かせた。それだけで、怒る理由には十分だもん」


 こんな怖い顔をする雪菜は始めてだ。私もちょっと怖い。普段は笑顔が可愛い女の子だから、ギャップというものもあるのかも。




「先生! 何であんな事言ったの!」

「何だ北山か、遅刻だぞ」


 雪菜は、ドアを強く開けて、教室に乗り込んだ。


「先生、彩果ちゃんに謝ってよ!」

「お前は何を言ってるんだ? 早く席に座れ、授業中だぞ」

「雪菜……先生が怒ってるよ、もういいよ」

「駄目だよ、彩果ちゃんに酷い事を言った事、私は許してないもん!」

「私が色に何か言ったのか? 知らんな」


 その一言には、私もカチンときた。言われた本人は泣くほどに傷付いたのに、言った本人は、もう覚えてすらいないんだ。


「いいから座れ。授業の邪魔するな。だいたい、遅刻してきておいて何を言ってるんだ」


 先生の言う通りだ。やっぱり言い負かす事なんて、できやしないんだ。彼女の表情はとても険しかった。


「確かに、遅刻した私は悪いのかもしれない……怒られて当然なのかもしれない……だけど! 彩果ちゃんは悪くない! 酷いこと言われる理由なんてない!」

「私がいつ、色に酷い事を言ったんだ?」


 先生が雪菜の言葉に耳を傾けた。話だけでも聞いてやろうと言う事か。


「彩果ちゃんが、宿題のプリントを見せた時、彩果ちゃんが出来てるんだから、他の皆も出来てるって言ったよね?」

「あー確かにそんな事言ったかな。それがどうした?」

「何でそんな事言ったの?」

「何でって……えっと……」


 先生が言葉に詰まっている。もしかして、この言葉の意味を、今になって理解したのかも知れない。


「先生はさ、彩果ちゃんを見下してるの? 他の皆よりも劣ってると思ってるの?」

「断じて違う! そんな筈ないだろ。私の生徒だぞ」

「本当にそう思ってるならさ、こんな言葉、出て来ないよ。優劣を付けるようなこと、先生が言っちゃ駄目だよ……」


 先程までとは、雰囲気がガラリと変わった。クラスの皆も雪菜の言葉を聞き入っている。


「違うんだ……決して色を見下したり、劣っていると決めつけてる訳じゃない……ただ……彩果は勉強が他の生徒より苦手だから……」

「苦手だから?」

「宿題がちゃんとこなせてて偉いなと思っただけだ」


 確かに、宿題のプリントを忘れてしまう事もあった。それで良く先生に怒られていた。だから今回は、ちゃんと忘れずこなして持ってきたんだ。


「雪菜……やっぱり私が悪いんだよ……皆やってる課題を、忘れちゃう事があるんだからさ」

「だとしても……他人と比べる必要なんてある? 劣等感を植え付ける必要なんてある? まず褒めてあげる事じゃないの……それが当たり前の事だとしてもさ」


 当たり前の事をやって褒めてくれる人。そんなの、私のママしか知らない。褒められると嬉しいし、自分にとって大事な事だから、やろうと思えるんだ。

 ママは、そういうのが分かってるみたいだ。


「彩果ちゃんにも非がある事も分かってる。だけど、馬鹿にするなんて事はないじゃん。他人と比べる必要なんて、あるわけないよ」

「私は……そんなつもりでは無かった……色が宿題をやってきたのが珍しくて、茶化しただけなんだ。」


 分かってる。先生にだって、悪気があるわけじゃないって事くらい。


「ごめんなさい先生……いつも宿題を忘れてしまって……でも今回は、ちゃんとやって来ました」

「知ってるよ、まず褒めるべきだったな。でも、答えを間違えまくってるけどな」

「ええ? そうですか? 私が勉強が苦手すぎて……よく分かって無かったんですよねー」 

「あとで補修だな」

「はぁ……居残りかぁ」

「彩果ちゃん……」

「ありがとう雪菜、私の為に怒ってくれて」

「大丈夫だよ、だけどまだ言いたい事があるんだ」

 

 そう言って、雪菜は言葉を続けた。


「先生……確かに彩果ちゃんは勉強が苦手で人より出来ないかもしれない。でも! 他に出来る事があるんだよ。絵がとても得意なんだ!」

「確かに……いつも絵を描いているな。私も見せて貰った事があるが、とても上手だった」

「でしょ! あんなに上手な絵を描くなんて、彩果ちゃんには出来る事だけど、私には出来ない事だよ。他にも私が出来ない事いっぱいあるよ! 彩果ちゃんに出来て、私に出来ない事が」


 私には出来て、皆には出来ない事。あったんだ……

 雪菜はそれを分かってくれてたんだ。


「私が色に教えてほしいくらいだよ、私は絵が描けないけれど、色が出来る事ではあるな」

「先生に教えるなんて、無理ですよ!」

「でも私には出来ない。色には出来る事だけどな」


 先生の表情はすっかり和らいでいた。


「このまま描き続ければ、いつかはプロになれるかもな。そしたら私は、彩果の弟子一号だな」


 さっきまでの殺気だった空気はどこへやら、教室中が和やかな雰囲気に包まれていた。


「済まなかったな色。私の軽率な発言を許してくれ」

「もう、大丈夫ですよ、私が普段から宿題を忘れなければ、良いだけの事なんですから」

「それは全くその通りだ! ただやっただけじゃ駄目だぞ、このプリントの答えも、間違いだらけだからな!」

「それはごめんなさい……」


 適当に描いてだけなので、ほとんど間違っているだろう。反省反省。


「先生が教えてやるから、心配しなくていいぞ。色が出来ない事は、私が教えてやる。教師としてな」

「ありがとうございます」

「あと、北山も遅刻厳禁だぞ!」

「ごめんなさい……」


 怒られちゃった。ごもっともすぎる理由だ。


「私のお母さんが言ってたんだ。出来る出来ないじゃない。するかしないかだって。学校っていうのは、そういう場所なんだよって」


 雪菜のお母さんの言葉らしい。


「雪菜……ありがとう」

「私は何もしてないよ。ただ彩果ちゃんが落ち込んでいるのを見たくなかっただけだから」


 私はあの時に、雪菜の優しさを知ったんだ。

 



「そんな事あったっけ?」

「雪菜は覚えてなくても、私ははっきりと覚えてるよ。あの時の雪菜。かっこよかったなぁ」

「私はただ、彩果ちゃんが泣いているのが心配だったんだよね。それで声をかけたら、あんな事言われたって知って……」

「お陰で助けられたよ、本当にありがとう。この恩は絶対忘れないよ」

「えへへ、どういたしまして」


 私は、雪菜の笑顔が大好きだ。ずっと見ていたい。

 この笑顔を汚すものは、排除しなければならないと思う程に。だから絶対プロになってほしい。プロになって、満面の笑顔を見せて欲しい。


「雪菜は、私の為に本気で怒ってくれるよね」

「友達の為だからね」

「小学生の頃さ、私がクラスの男の子にスカートめくりされた事あったじゃん? 私、生理中だったからさ、凄い恥ずかしかったんだよね」


 一番見られたくないものを見られた私は、深く落ち込んでいた。男の子にはそれが分からなかったんだろうけど。


「それを知った雪菜がさ、その男の子のズボンとパンツを引きずり下ろしたんだよね」

「フルチンの刑だよ! これくらい恥ずかしい事なんだよって、分からせる為にね」

「雪菜は容赦がないなぁ……でもありがとう」

「えへへ」


 雪菜を敵にまわすと、恐ろしい事になるという事を理解した。


「いやー二人きりでイチャイチャして……これが不倫百合というやつかな?」


 新月が美術室に入ってきた。どうせ廊下で聞き耳を立てていたに決まってる。


「新月……ずっと覗き見てたでしょ」

「昼下がりの美術室……女の子が二人きり……何をしてたのかな?」


 ついさっきまで、私に惑わされて、狼狽してた癖に、もう元気になっている。こういう所が本当新月らしい。


「違うよ、新月ちゃん! 不倫なんてしてないもん!」

「おお? 雪菜が言い返してしてくるとは珍しいね。いつもはのってくるのにさ」 


 思わぬ反撃に、新月が動揺している。


「彩果ちゃんはね、私の大切な親友なんだよ、だけど恋人ではない。()()()()()()になる事は、絶対にないんだよ!」

「わっ……分かってるよ。冗談だよ、冗談」

「分かってるなら、茶化さないでね?」


 雪菜は笑顔だった。だけど目は笑っていなかった。怖い……


「じゃあさ、じゃあさ、彩果は三人の中で、誰と不倫したい?」

「この流れでその話題を振る新月の勇気には、感服するよ」

「気になるからね、みなもさんがいるのにも関わらず、どんな女性と不貞行為にはしりたいのか」


 私が不倫なんてする筈がない。だけど、仮に不倫するとするならば――


「そうだなぁ……雪菜かな?」

「え、私……?」

「みなもに似て、可愛いし、優しい、笑顔も素敵だからね……それに……夜の相性も良さそうだし」

「だっ駄目だよ! 彩果ちゃん! みなもさんがいるのに、私と不倫なんて」

「いや、もしもの話だからさ、本当にするつもりはないよ」

「でも、さっきキスしてたよね、二人でさ」


 新月の奴め、そんな所まで見ていたのか。


「ああ……私はなんて事をしてしまったんだろ……彩果ちゃんの唇を奪うなんて、私は、彩みなの邪魔をしてしまった!」

「してないから、大丈夫だから」

「本当? 許してくれる?」

「ていうか、私から雪菜にキスしたんだけどね」

「あっそうだったね、いけないんだーみなもさんに言いつけちゃお!」


 良かった。雪菜が冷静さを取り戻してくれた。

 普段の私ってこんな感じなのかな……

 確かに百合の邪魔はしたくないもんね。


「ちなみに、陽花だった場合、みなもに似て、可愛いくて、頼もしくて、面倒見が良さそうって所かな……あと夜の相性も良さそう」

「ふーん、あたしは?」

「新月はね、みなもに似て、可愛いし、面白いし、話も合うし……夜の相性も良さそうだし」


 やたら夜の相性にこだわる私。でも夫婦円満には必要不可欠な事だ。


「そ……そうかい……あたしと彩果が……」


 新月が狼狽している。私に褒められたからだろうな。やっぱり新月は面白い女の子だ。おもしれー女。


「結局は、みなもさんが好きなんだね、三人とみなもさんとの共通点を探してたもん」

「私の正妻ですから!」

「尊いよ……彩みな! 彩みな!」


 彩みな厨の雪菜が、目を輝かせている。そんなにみなもと私の関係が尊いのだろうか。


「しっかし、雪菜っていい子だよね、四人の中の癒し枠だよ」

「雪菜が居ると、雰囲気が良くなるもんね!」

「そっそうかな……」

「そうだよ、他にも良い所、いっぱいあるよ」


 私と新月は、雪菜の良い所をお互いに言う事になった。


「可愛いし!」

「優しいし!」


 腹黒いけどね。


「性格も明るいし!」

「健気だし!」


 毒づくけどね。


「話も面白いし!」

「話を聞くのも上手だし!」


 興味ない事はシカトするけどね。


「料理が得意だし!」

「裁縫も得意だし!」


 口喧嘩も得意だよね。


「お金持ちだし!」

「お嬢様だし!」


 陽花曰く、毎月メイドが辞めていったらしいけど。


「思いやるの得意だし!」

「気が使えるし!」


 人を罵倒するのも得意だよね。


「絵本が好きで自分でも書けるし!」

「きっとプロになれるかも!」


 それは本当にそうなってほしい。


「えへへへ、そんなに褒めちぎらないでよ……照れる照れる……」

 

 照れてる雪菜も可愛い。守りたい、この笑顔を。


「彩果ちゃん、私絶対プロになるね!」

「うん、楽しみにしてる!」


 私は親友の言葉を、しかと聞き遂げたのだった。

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