とくになし子
午後の美術室。雪菜が、絵本を描いていた。
どうやら新月の教えもあり、順調に執筆作業が進んでいるようだ。
「どう? 雪菜、絵本の方は」
「順調だよ! あともう少しで描き終えられるんだ」
「え、凄い。そしたら雪菜先生もプロデビューだね」
「えへへ……照れるなぁ……」
正直言って、プロになる事はそんなに甘いものではない。だけど、雪菜ならもしかしたら……と思わせてくれるんだ。根拠は無いけどね。
「だけど、プロは自分は書きたいものだけを書いても売れるわけじゃないんだよ。読者のニーズに応えないとね」
「ニーズ?」
「自分が書きたいものと読者が見たいものは、必ずしも同じとは限らない。じゃあどうするかと言うと、読者が見たいものを書けばいいんだ。作品というのは、読者あってだからね」
作者がいくら、面白いと思って書いたとしても、読んでる人が面白いと思わなければ、売れる事もないし、誰にも知られる事はないままだ。
「もしそれが、書きたくないものだとしても?」
「もちろん、プロに好き嫌いは許されないよ」
実際私も、仕事とはいえ苦手はジャンルの絵を何度も描いた事がある。そういう絵に限って売れるのだから、何とも言えないな。
「彩果ちゃんが苦手な絵って?」
「NTR系。何故か人気なんだよね。でも私は純愛が好きだから相容れないな」
もちろん、それが好きな人もいるので、否定したりはしない。
「いやー、彩果は寝取られるのが苦手なのかーもみもみ」
「新月、何で私の胸を揉んでるの? 何の意味があるの?」
「とくになし」
さっきまで美術室で小説を書いていた新月が、いきなり私の胸を揉み出したのだ。
「百合シチュエーションの定番、『後ろからの胸もみ』だよ。どう? 興奮するでしょ?」
「別に……」
「そっかぁ、彩果って胸無いもんね、感じる事もないか」
「あるもん! 小さいけど、ちゃんとあるもん!」
「みなもさんに揉まれるのと、どっちが気持ちいい?」
「言う訳ないでしょ!」
「じゃあ感じないんだね」
新月のセクハラは今に始まった事ではない。私が新月の告白を断った後……つまり高校生になってから、私へのセクハラをし始めたのだ。
「もみもみー」
「新月! ちょっとやめて……晴海先生のを揉めば良いのに!」
「晴海は仕事中だからさ、あたしの手のひらが寂しいんだよね、だから仕方なく彩果のを揉んでるんだ」
意味がわからない。私と晴海先生の胸は全然違う。あんなに大きくない。もしかして私への当てつけなのだろうか、貧乳弄りなのだろうか。
「新月ちゃん! 彩果ちゃんが困ってるでしょ!」
「雪菜……」
「そんな絶壁貧乳揉んでも虚しくなるだけだよ」
「ポイズン雪菜が発動している……」
私の味方は居ないのか。でも私にはみなもが居るもんね!
「今日は彩果に話があるんだ」
「どうせ大した事じゃないんでしょ」
「百合園の表紙を描く為のヒントが、分かった気がするんだ」
「本当! 教えて!」
「目の色を変えたね、さすが彩果。そのハングリー精神はあたしも見習わないとね」
百合園の表紙を描くのは、私の夢の一つだ。
その為ならどんな努力も惜しまない。何だってする。犯罪にならないようにだけど。
「彩果がさ、この前サークルをまわって何枚も絵を描いたよね?」
「うん、勝負の時に使ったのは最初に描いた絵だけどね、残りの四枚は後日SNSに投稿したんだ、それが何か?」
「あたしもその絵を見たんだけどさ、一枚目の絵よりも、残りの四枚の絵の方が、上手に描けてたんだよ」
確かに、後から見返しても、あの四枚は良く出来ていたと思う。フォロワーからのコメントも好評だった。
「最初の一枚と、残りの四枚の絵。何か違う所があると思うんだけど、彩果は分かるかい?」
「うーん……確か、私が挟まってた気がする……」
そうだ、思い出した。私が百合に挟まってしまったんだ……
キャンプサークルの百合ハーレム。
料理サークルの食事。
野球サークルの胴上げ。
天文サークルの浮遊。
全部私が挟まって邪魔してしまったんだ。だから、私は納得がいかず、描いたけど勝負には使わなかったんだ。
一枚目のバンドサークルの絵は、私が挟まる前に描き終えてたから採用したんだった。
「これで分かったでしょ? 彩果の百合絵は、観察するよりも、百合に混ざったり実践する方が、上手く描けるんだよ」
確かに、みなもとの夫婦生活を描いた絵は、自分でも上手く描けてると実感できる。私自信の事を描いてるからかな。
「という訳だからさ、あたしが彩果に百合セクハラしてあげるから、彩果はそれを描いて、絵のスキルを上達させてくれ」
「何でそういう発想になるのかな? 別にしなくてもいいから!」
「遠慮しなくてもいいんだよ?」
「してないし、セクハラされるつもりもない。ていうか、いつまで胸揉んでるの」
「彩果のひんぬーは、揉み心地がいいんだよね」
「私にセクハラする必要あるの?」
「彩果の為だよ」
「そこはとくになしでしょ!」
最悪だ。新月にセクハラをする理由を与えてしまった。こうなると、何をしてくるか分からないのが新月だ。とはいえ後ろから胸を揉まれているので、逃げる事も出来ない。背後を取られた時点で、私の負けなんだ。胸を揉まれるなんて、みなもにしかされた事がないのに!
「ほーら、彩果の人妻ロリボディをまさぐってあげるよ、気持ち良いでしょ?」
「別に……気持ち良くなんてないもん……はぁはぁ……」
「どうしたの? 息が上がってるよ? やっぱり気持ち良いんだね」
くそ……新月が私の体をまさぐってくるせいで、力が入らない。私は、くすぐったがりなので、耐えるのは不可能に近かった。
いつもみなもにされているけれど、くすぐったくて仕方がない。くすぐったがりの気持ちをもっと理解して欲しい。
「ひゃん! くすぐったいよぉ! 新月……」
「雪菜助けて……って、こっち見てない! 絵本を描くのに夢中になってるし!」
ちなみに陽花は、仕事があるので今日はこれないとの事。居たとしても私を助けてくれるとは限らないんだけどね。
「んーやっぱり、彩果には色気がないなぁ……」
「あるもん! 色気ムンムンだもん!」
「なら、試させて貰うよ」
そう言って新月は、私の指を舐め始めた。こんなのみなもにしかされた事がない。
「ちょっと、何してるの」
「百合シチュエーションの協力だよ、彩果が上手くなれるようにね」
「確かに、これも百合シチュだけど……」
「次は耳」
「ひゃん!」
「彩果は耳が弱いんだね」
私の耳を唇で挟む新月。いつもみなもにされてる事だけど、新月にされると変な感じだ。
「しかし喘ぎ声も色気がないなぁ……」
「あるもん……」
「威勢がなくなってきたよ、やっぱり気持ち良いんだね。お次は……」
新月は私の首を舐め始めた。これもみなもにいつもしてもらっている事だ。
「さっきから、舐めてばかりじゃん!」
「舐める以外が良かったかい? キスとかかな?」
「そういう訳じゃないよ……」
「じゃあお望み通り」
そう言って、私の首にキスをした。口でどんなに強がっても、所詮今の私なんて、まな板の上の鯉でしかないのだ。
私の方が力が強いから、振りほどく事はできる。だけどそれだと新月が怪我をしてしまうので、無抵抗を貫いた。これもあの発言の私なりの贖罪のつもりだ……でもやっぱりセクハラされるのは嫌だ!
みなもにされている時は、不快感なんて感じないのに……
「ほらほらーあたしをみなもさんに見立てて、いつもみたいにしていいんだよー」
「するわけないでしょ……」
新月は、私の服をまくり上げ、へそを舐め初めた。
でもみなもの方が、舐めるのが上手だ。
「ちょっと……くすぐったいよ!」
「これなら描けそうかい?」
「描ける訳ないでしょ……」
「だったらこうするか」
そう言うと、私のみぞおちを舐める新月。これもいつもみなもに……
「くすぐったいよ……」
「本当はおっぱいを舐めたいんだけどね、さすがにそれはアウトかなと思って」
「既にアウトなんですけど!」
「どう? 描けそう?」
「私に何を描かせるつもりなの……」
「百合セクハラ」
「そんなの……百合園の表紙には載せられないんですけど」
「あれ、そうだっけ?」
「エッチなのは駄目だよ」
「内容はかなりエッチなのにね、表紙詐欺?」
こんな事も知らないのに、表紙を担当しているなんて……どんな選考基準なんだろ。
「でも彩果にセクハラしたいから続けさせて貰うよ」
そう言って、新月は私のズボンを脱がせて、太ももを舐め出した。ていうかさっきから、みなもにいつもされてる事ばかりなんだけど……偶然だよね? まさか新月は、全部知ってるとか?
「新月……もうやめてほしいんだけど」
「みなもさんって毎日、彩果にこんな事してるんだよね? 羨ましいな」
「毎日はしてないもん!」
「週何回?」
「うるさい! もういいから離してよ」
「その割には、抵抗しないね。本当はもっとしてほしいんでしょ?」
「そんなわけ……」
「百合園の表紙が描けるよ」
「うぅ……描きたい」
「なら我慢するんだね」
「やっぱり納得いかない!」
新月は、私の脇腹を舐める。これもみなもに……
「ほら! もっと色気のある声だして!」
「なんで私が怒られてるの?」
「プロ失格だよ」
「何のプロなの……」
その後、私の靴と靴下を脱がせ、足首と足のつま先を舐められてしまった。これもみなもにしか……
「ひゃん! くすぐったいよ!」
「本当に喘ぎ声に色気がないなぁ……このシチュエーションだったら、十八禁ものの声を出す筈なのに、さっきからただ、くすぐったいって言ってるだけじゃん」
十八禁ものの声って何だ。
結局私は新月に、体中を舐め回されてしまった。
みなもにしかされた事を、親友にされてしまった。
「はぁ……はぁ……はぁ……新月……」
「どうだい? これで描けそうかい?」
「はぁ……はぁ……描けるわけ!」
「描けてしまった……」
「おぉ! 上手く描けてるね! あたしの言った通りだよ」
「毎回こんな事しなきゃいけないの?」
「百合園の表紙を描く為だよ、むしろ感謝してほしいな」
冗談じゃない、私はセクハラされただけだ。
ここまでされて、描きたい訳じゃない。
「にしても、人妻の体というのはいいものだね。色気は全くないけれど」
さっきから、何回色気がないって言ってるんだ……
「……新月がこんな子になってしまったのは、一体誰のせいなんだろ……」
「前も言ったじゃないか、彩果のせいだって」
「私、こんな事教えてないけれど……」
「……なら思い出させてあげるよ。とくになしだった、昔のあたしの話を」
「とくになし」
それがあたしを体現する言葉だった。
「好きな事は?」
「とくになし」
「得意な事は?」
「とくになし」
「好きな食べ物は?」
「とくになし」
「好きな教科は?」
「とくになし」
「じゃあ得意な教科は?」
「とくになし」
「大切にしているものは?」
「とくになし」
「将来の目標は?」
「とくになし」
何を聞かれても、それ以外の言葉を口にする事はなかった。だってとくにないんだもの。
何事にも熱くなれない。興味がない。好きになれない。惹かれない。とくになしな日々。とくになし子。
友達も居ない。居た事もない。あたしに話しかけてくれる人はいるけれど、あたしがこういう人だと分かると、皆離れていった。そもそも小学生のあたしにこんな事聞いてくる方も、おかしいと思う。
あたしには、感情というものがとくになし。
笑った事も、泣いた事も、悔しいと思った事も、とくになし。
「もっと自分らしさを出したらどうだ」
そんな事を言われた事もあった。だけど、自分らしさってなに? あたしにはない。とくになし。
きっとあたしは、一生このままなのだろう。一生とくになしな人生を歩んでいくんだろう。
生きている意味? とくになし。
そんなあたしを変えたのは、彼女との出会いだった。
「ねぇ、君も一緒に遊ぼうよ」
校庭で一人。座りこんでいたあたしに、女の子が話しかけてきた。
「……君は?」
「私は色彩果。確か……満汐さんだよね? 一緒のクラスになったから知ってるよ!」
「……」
「ねぇ、一緒にドッジボールしよ! 一人足りなくてさ、満汐さんが入ってくれたら、助かるんだ」
「……いいの? あたしなんかが入って……」
「もちろん!」
「色さん、その子は……」
「仲間外れは駄目! 皆仲良くだよ!」
「まぁ、色さんが言うなら」
「ほら、行こ! 満汐さん!」
彩果はあたしの手を引いて、ドッジボールに混ぜてくれた。これが、あたしと彩果の出会いだった。
彩果はひとりぼっちだったあたしに声をかけてくれた。彼女だけは、他の人とは違う感じがした。
あたしは、生まれて初めて、他人に興味をもった。
彩果はいつも皆の中心にいた。彩果といると、皆楽しそうだ。明るくて、優して、誰とでも同じ目線で話してくれる。 あたしとは、何もかも正反対だった。
それからも、彩果はあたしに話しかけてくれた。
あたしも、彩果にだけはとくになしとは言わなかった。そう思わなかったから、言えなかった。
何だろう……この気持ちは。とくになしじゃない、この感情は……
あたしがそれまでと徹底的に変わったのは、運動会のクラス対抗リレーの時だった。
アンカー前を任されたあたしは、バトンミスをしてしまう。アンカーの彩果が巻き返したけど、結果二位になってしまった。
「いやー惜しかったねー後少しだったのにさ」
「落ち込まなくていいよ、満汐さん」
「そーそー他の競技で圧勝したから、うちのクラスが総合優勝だし。やっぱり色さんと日野さんがいるとちがうわー」
クラスメイト達はあたしを責める事なく励ましてくれた。だけど、あたしは悔しかった。生まれて初めて、悔しいという感情が芽生えた。
「だから満汐さん、いつもみたいにとくになしって……満汐さん?」
「グスッグスッ……ひっぐ」
「ちょっ、ちょっと! 大丈夫? 凄い泣いてるじゃん!」
「わわわ、満汐さん、もしかしてバトンミスした事を気にしてるの? 大丈夫だって! 誰も怒ってないよ?」
違う、そういう意味で泣いてるんじゃない。悔しくて泣いてるんだ。負ける事がこんなに悔しいなんて……思いもしなかった。こんな感情、今までのあたしだったら、もつこともなかった。
「満汐さん……」
彩果が話しかけて来た。
「グスッ悔しいよ……あたしのミスのせいで……負けたんだよね、ごめん……」
「確かに満汐さんのミスが原因だね」
「ちょっと、色さん」
「でも、その気持ちを忘れなければ、きっと次は勝てるよ! だから、涙を拭いて! 表彰式が始まるよ!」
彩果は満面の笑顔でそう言った。その笑顔に、あたしの心は惹かれていった。
「彩果ちゃん! ナイスアンカーだよ!」
「さすが彩果ですね、私も足には自信があるのですが、叶いませんよ」
「でしょ? あっ、この二人は雪菜と陽花。私の友達だよ!」
あたしは、あの中に入りたいと思った。友達になりたいと、心から思った。
「ねぇ……色さん、あたしも友達になっていい?」
「あれ? もうとっくに友達だと思ってたよ。まぁでも、改めてよろしくね! 満汐さん!」
あたしは、彼女に恋をしていた。とくになしだったあたしの日々はあの日から変わったんだ。
彩果が、あたしの世界に色をもたらしたんだ。
「まさか私のせいだったなんて……」
「思い出した? 今のあたしがあるのは彩果のお陰なんだよ。それなのに、あたしを振るんだもん。失恋というのは辛いものだね」
中学の卒業式の日。私は、体育館の裏で新月に告白された。そして断った。新月は笑っていたけど、きっと私の居ない所で泣いていただろう。
私は、新月に恨まれているのだと思っていた。
「新月。本当に私に未練がないの?」
「ないね、みじんもない」
「そう……なら初恋を思い出させてあげる」
そう言って私は新月にキスをした。
「むぐ! 彩果……」
「くすっ、私と付き合いたい? キス以上の事をしたい?」
「なっ……何を言ってるんだ!」
新月は狼狽していた。本当に予想外の行動を取られると平常心を保てないんだな。
「この……魔性の女め……」
「私の魔性さはママから受け継いでるからね。新月を誑かす為だけに使わせて貰うよ」
若い頃のママは男女問わずに籠絡させていたという。私にもその力が備わっているようだ。
「ねぇ……新月」
「何? 不倫するつもりはないよ」
「そうじゃなくて、私と出会えて良かった?」
「何だそんな事か、良かったに決まってるだろ」
「良かった。私も新月と会えて嬉しいよ!」
「ぐっ……その笑顔やめろ……あたしを惑わすな」
新月はまた狼狽しているようだ。反応が可愛い。
「彩果こそ、あたしと付き合えなかった事の後悔はないのかい」
「とくになし……本当はちょっとあるかも」
「え? 本当に?」
「とくになし!」
「ぐっ……」
私は新月の反応が面白いので、暫く遊ぶ事にした。




