「ある意味怖い話」部分
「幸せ村」紹介番組製作は、無期限延期となった。
先行取材を行った私、黒沢さん、青沼さんの三人は、必死であの集落の「ヤバさ」を訴え、大規模な撮影隊を送り込むなどもってのほか、できれば保健所やら厚生労働省やらに報告し、きちんと対応してもらうべきだと主張した。が、あまりに荒唐無稽な話に誰からも信用されず、番組製作が本決まりとなりかけた、ちょうどその時。集落から「二度と取材は許さない」というけんもほろろの苦情電話があったことにより、やむを得ず製作を諦めることになったのである。
乗り気だったスタッフ――特にプロデュサーの落胆と憤りときたら凄まじく、製作不可能になるまで集落の方々を怒らせた、ということで、私たち三人は長時間、徹底的に絞られ、たたきのめされたあげく、その後長く、冷や飯を食わされる羽目になった。
それでも、皆があの集落の魔手にかかるよりはずっとマシだったはず、と自分を慰めつつ、細々、こそこそと番組スタッフとして働き続けているうち、いつしか過失も忘れられ、長時間労働とジャンクフード、睡眠不足に運動不足といった、不健康極まりない仕事に没頭する日々を送るようになって……。
気がつけば、2年が過ぎていた。
「……どうしても、行くんですか?」
目の前に立つ、以前よりもますます腹の突き出した巨漢に向かって、私はしょんぼりと問いかけた。
「ああ。行かなきゃ、どうしようもないからな」
巨漢――青沼さんは、むしろあっけらかんとした表情で、さらりと答える。
三ヶ月前、黒沢さんは、目前に迫ったプロデューサー昇進を蹴り、会社に辞表を提出した。そして、「この先はもっと気持ちよく生きたいから」「たばことの決別を図りたいから」という言葉と、心を決めた者特有の爽やかな笑顔を残し、「幸せ村」へと引っ越していった。
その姿を見送ってからずっと、青沼さんもなにやら考えこんでいたのだが……数日前、ついに彼も会社へ辞表を出し、家やら家具やらも全て処分して、「幸せ村」へ移住することを決めたのである。
私は、納得がいかなかった。
自分の自由意志にいちいち干渉を受ける生活など奴隷同然、あの日、なんとかその生活から逃げ出したのに、また舞い戻るなど、狂気の沙汰だとしか思えなかったのだ。
「青沼さん、あそこは恐ろしい場所ですよ。自分の意志が、乗っ取られるんですよ?それも、得体の知れない、腹の中にすむばい菌かなんかに」
「ああ、分かってる」
「分かってるなら!」
「分かっていても、それより他に方法がないんだ。見ろよ、この腹」
と、青沼さんは、はち切れんばかりに膨れ上がった腹を、Tシャツの上からぺたぺたと叩く(叩くたび、肉が重たげにぶよんぶよんと揺れた)。
「止めよう止めようと思ったのに暴飲暴食の癖は抜けない。がんばろうがんばろうと思っているのに、運動も食事制限ダイエットも続かない。先月とうとう医者から言われたよ。このままじゃ、近いうちに深刻な問題が起こる、ってな。それでなくとも、高血圧に高血糖、睡眠時無呼吸症候群、糖尿病予備軍と、成人病の見本市みたいになってるんだ、そろそろ限界なんだよ」
「それは……もう少しがんばれば……」
「お前も分かってるだろ。ギョーカイで仕事してる限り、健康な生活なんて望めないって。それに、ここまで太っちまうと、自分の力だけでは限界があるんだよ。正直な話、ここんとこ、腹の肉が邪魔で、満足にケツも拭けないんだぜ。それなのに、食欲のヤツときたら、食え食え食え食えと、俺を駆り立てる。なにかもっと、強烈な力に頼るしかないんだよ」
「自分の意志を放棄して、奴隷になってまで、長生きしたいんですか、青沼さん!」
納得できないままに、ついつい語調が激しくなり……とうとう私は、そんな厳しい言葉を投げかけてしまう。
が……意外なことに青沼さんは、眉をしかめるでもなく、難しい顔であごに手を当てただけだった。
「奴隷……というけどな。今の俺たちが奴隷じゃないって、どうして分かる?」
「分かりますよ!今私はちゃんと自分で考えて、自分の欲望に忠実に……」
「お前さ、あの日……「幸せ村」から逃げ出したとき、どうやって正気を取り戻したか、覚えてるか?」
唐突に青沼さんが話題を変えたことに、私は戸惑い、改めて彼の顔を注視した。
が、そこには話をそらそうとかごまかそうなどと一体とは見受けられない。ひたすらまじめな表情だけが浮かんでいる。
なので、私は不承不承うなずいた。
「そりゃ、覚えてますよ。ドクダミでしょ?幸せ村の外れまで走って、つぶれたパチンコ屋の陰に茂ってたドクダミの草むらに顔をつっこんで……」
「そうだ。あれでなんで、正気を取り戻せたか、その理由が分かるか?」
「え……だから、ドクダミの臭いか何かに殺菌作用があって……」
「違うな」
「え!?」
「確かに、ドクダミには殺菌作用がある。けどな、よく思いだしてみろ。あの時、俺たちに「幸せ村」反応を起こさせた細菌は、下剤と抗生物質で既存の細菌を一掃した後の腹に……腸に宿ってたんだ。いくらドクダミの殺菌作用が強力だからって、鼻から吸い込んだ殺菌物質は直接腹には届かない。届いたとしても、腹から脳に指令を出すための物質が消えるわけじゃないから、正気を取り戻すまでは、もっと時間がかからなきゃおかしいってことになる」
「で、でも、臭いを嗅いだらすぐに、すうっと思考が晴れるような気持ちになって……」
「速効で頭のもやもやが消え、すっきりした。だとしたら、脳に直接働きかけていた物質の効果を失わせるような、解毒剤的ななにかを出していたとしか思えない」
「ドクダミが、ですか?」
「いいや。ドクダミがそういった解毒物質を発したところで、その生存に有利にゃならん。物質の出し損だ」
「じゃあ……」
「仮説の域を出ないが……答えは一つしかないと、俺は思う。俺たちには、そもそも腸に寄生し、俺たちを操っていた細菌が存在していた。長く人間と共生してきたそいつらは、自分たちの生存を脅かす「敵」が人体内に侵入すると、すぐさま敵の使う「大脳誘導物質」を無効にし、同時に人体の免疫反応を利用し、「敵」そのものを抹殺する。そうやって、数百万年間、自らの生存を脅かす「敵」を排除してきた」
「それじゃあ、もともと私たちには……」
「ああ、そうだ。ところがここへ来て、手ごわい「敵」が現れた。抗生物質という強力な武器を使い「元からの共生菌」を出し抜くヤツらが現れたんだ。しかもこいつらの巧妙なところは、人間の脳に働きかけ、「元からの共生菌」が宿るもう一つの宿主の撲滅を図ろうとしているところだ。万が一の時、そこから新手の菌を補給することで、今まであらゆる「敵」を圧倒してきた、その奥の手を封じてきたんだ」
「それが……ドクダミ……」
「人間の脳を操り、腸内環境を整え、住みやすくすると同時に、ドクダミの、おそらく花のどこかにも寄生、繁殖し、周囲にずっと「新手」と「解毒剤」をまき散らし続けるという両面作戦で、「在来種」は人類誕生以来、ずっと共生菌の立場を守ってきたんだ、おそらくな」
自分がそもそも「腸内寄生菌」の奴隷であったかもしれない、というその考えは、私にかなりの衝撃を与えた。
だが……言われてみれば確かに、人間がどうしてここまで「誘惑」に弱いのか――「つい出来心で」「魔が差して」「矢も楯もたまらず」「吸い寄せられるように」悪い習慣に手を染め、しまいには自分自身まで滅ぼすことになるとわかっていながら、それをやり続けてしまうのか、納得できる気がする。
「でも……でも、どうせ奴隷にされるのなら、付き合いの長い「主人」と過ごした方が、まだ害が少ないんじゃないですか?なにを好き好んで「新参者」の奴隷になんか、なりに行かなきゃいけないんですか!」
徐々に追いつめられ、分が悪くなるのを意識しながらも、それでも最後の抵抗とばかり、私はそう叫んだ。
と、青沼さん、ふ、と軽くため息をつく。
「まあ、普通はそう考えるよな。海のものとも山のものともつかない馬の骨より、身元のしっかりした「地元民」の方が信頼できると。だがな、よく考えてみろ。その「地元民」が俺たちにさせたがることって、どんなことだ?」
「どんなことって……」
肺がどれだけドロドロになろうとも、それでもたばこを吸うよう、駆り立てられる。太りに太って、あちこちに不調がでても、まだ食べろ、まだ食べろとしつこく命ぜられる。意識すらもうろうとし、勝手に体が暴れだそうと、まだだ、まだ足りない、もっと飲めとささやきかける。……それら全てが――いや、全部とはいわず、ほんの一部であっても――「在来種」の導きであったとしたら。
思わずわたしは、身を固くした。
その様子を見、一つうなずいてから、青沼さんは、さらに続けた。
「それにな、人間以外の、もう一つの宿主がドクダミだ、ってことも、気にかかってな」
「……なぜです?」
ややかすれた、ささやくような声で、私は問いかける。
「ドクダミってのはな、他の植物が生えないような、栄養の少ない、荒れた土地にしか生えないんだ。「在来種」のヤツは、そのドクダミがはびこればはびこるほど、すみかが広がり、安全に生きていけるようになる。そうだとしたら……あいつら「もう一つの宿主」である俺たちに、どういう行動をさせようとする?」
荒れ果てたパチンコ屋。風化したコンクリートに覆われた土地。他の植物はなにひとつ見つけられず、ただ壁に沿ってドクダミだけがはびこり、つんとした臭いをそこら中に漂わせている……。
それが、「在来種」の目指す未来なのか?私たちをけしかけ、どんどん開発を進めさせては放棄させて、どうしようもなく荒れ果てた土地をどんどん増やし……。
驚愕の表情で固まる私を尻目に、青沼さんは地面に置いていた荷物を、ゆっくり背中に背負った。
「気がついているか?近頃のお前の顔色、青を通りこして、土気色になってるぞ。今ならまだなんとか間に合う。手遅れにならないうちに、早いとこ決心したほうがいいぞ……それじゃあな」
次第に小さくなる背の背中をじっと見つめながら、私はただ、立ち尽くしていた。
いや……それでもああまであからさまに奴隷となるのは……ああ、でも、このままでは確かに……。
決められない。どうしてよいか、なにも分からない。
ふと、つんとしたドクダミの悪臭がかすかに匂ったかと思うと、くくくく……という誰かの含み笑いが、脳の内側から響いてきた。
今回で完結。次回作は来週頭に前半投稿予定。




