音の世界へようこそ
およそ3週間後、5月の半ば過ぎに再び支援施設を訪れる。イヤーモールドができたのだ。
「楽しみだなぁ。侑ちゃん。聞こえるってどんな感じかな?」
行きの車内で侑也に語りかける。
侑也は動く車の中でご機嫌に過ごしていた。
侑也の世界がまた一つ広がる事を想像すると嬉しくなる。
どんな反応をするのだろう?
そんな事を考えながら進んでいると長い道のりもあっという間だ。
施設につき、いつものように個室に通される。
「侑也君こんにちは。イヤーモールドできましたよ。これがそうです」
先生は2つの部品を見せてくれた。
「こちらをお試し用の補聴器につけて早速つけてみましょう。その後に反応を見ながら聞こえの方を調整していきますね」
初めての装着は先生がしてくれているのを見ていたのだが、かなりキツそうだ。耳を引っ張りながら苦戦している。
なんとか入った瞬間、横を向きながらニコニコしていた侑也が目を見開き、ゆっくりとこっちを見上げてきた。
――あ、今世界が変わったんだな。
見ていてその瞬間が感じられた。
ビックリした顔でキョロキョロあたりを見回している。
急にいろいろな音が飛び込んできて戸惑っているのだろう。
マットの擦れる音、風の音、人が動くときの気配。
侑也にとって“初めての音”が次々と現れていた。
まるで周りの音たちが語りかけているようだった。
「音の世界へようこそ」と。
今まで聞こえなかった「音」たちが祝福してくれる中、補聴器をつけた状態での検査が始まった。
見るからに反応が違う。音への反応が素早い。あっちだ、こっちだとコロコロ動き回る。
「呼びかけてみてください」
言われたとおりに侑也を呼んでみると、すぐにこっちを向く。
きっと今までは呼び声も遠くに感じていたのだろう。
急に近づいた声に驚いた、そんな表情を向けてくる。
「反応も良いですね。ただ、今まで静かだった世界から急に音がいっぱいの世界になると、侑也君の中に入ってくる情報が処理しきれないほど溢れてしまいます。使用時間を決めて、最初はゆっくり慣れて行きましょう」
イメージ的に、水中で生活していた者が急に陸上に上がったようなものなのだろうか。
そんな想像をしてしまった。
その感覚は、侑也本人にしかわからないのだろう。
その後、補聴器のつけ外しの練習をしたが、先生も苦戦していたように難しい。
あまりにピッタリなので引っ張ったり押し込んでみたり。
これは、こっちも練習が必要だぞ。
侑也と共に頑張る事を決意した。
帰りの車内は補聴器をつけたままにしてみた。
行きと帰り、どう違うのか侑也に聞きたかったが、まだ侑也は喋れない。
だが、その表情は雄弁に語っていた。
僕は心の中で、もう一度そっと語りかけた。
――音の世界へようこそ。




