ボロルシップ
街中、お昼。
(ウロウロ、ウロウロ)背の丈に合わない黒のソヴィエドコートを身に纏った女が、かれこれ15分はあそこでああしている。ウロウロと揺れるストレートな肩までの白髪。そのプラスチックみたいに白い右手に握られた、印象的なVODKAの瓶。そのラベルはまるで素人がパワポを使って作ったみたいに乱暴であり、それでいて見る者の胸を打つような強烈なビジョンが備わっていた。ダサさ・胡散臭さが音楽や服、漫画などあらゆる分野のトレンドに台頭してきて久しいが、あのVODKAのラベルからはそういった商業的な匂いが全くしてこない(そもそもあの流行りというのは、客に『あえてやってます』という嫌な優越感を煽るためのものだ)。あのVODKAの瓶に貼られたラベルは、本当に洗練が足りていない、ただただ下手くそなだけの『本物』にみえる。でもこんな時代に、あの子はあんな最高の酒瓶を一体どこで手に入れたっていうんだ? 今どきのアルコール類陳列棚を眺めても、教科書の域を出ないチープさが並んでいるばかりだ。(ウロウロ、ウロウロ)それとあの子の落ち着きなく光る赤い瞳は、キャラもののヴァンパイアみたいだった。
ピンと襟を立てたソヴィエドコートのあの子は、15分間ああしたままの位置からエントロピー増大の法則って感じで、運動の中心を別の地点へと移動し始めている。オレはその子の持っているVODKAに惹かれて、あの子の後を追いかけ始めている。(ウロウロ、ウロウロ)そうやって彼女が唐突に挟む旋回に合わせ、オレはオレの場所で同じ航路を描く。少々お高いレストランの前で、インバウンドで息を吹き返したゲーセンの前で、世界的芸術家によっておもしろい改装をされた交番の前で、オレと彼女はそれぞれの足を使って、ストーキング2点間距離を保ったままいくつもの楕円形を描き歩いた。
追ううちに入った路地は地下水路に近く、一切の人通りがない。壁にはダイナミックに炎を纏った眼球とか、痩せて骨の浮いた女が便利グッズみたいに体を畳まれているグラフィティ、『NO MUSIC, NO LIFE』を文字ったはいいがスペルミスのあるメッセージなんかが沢山あった。今が昼だからいいが夜なら幽霊でも出てきそうな場所で……そうやって目を離した隙にオレはソヴィエドコートの女を見失っていた。
その代わりに得たのが例のVODKAの瓶だった。あの女が最後に居たらしい地点にこれだけが落ちていた。残念ながら中身は空だ。オレはその酒瓶を拾い上げると、ポケットのスマホで唯一の友人に電話を掛ける。
青ピンク大理石調の壁と床、食堂車両風の店内。火星人コスウェイターの持ってきた氷入りの水を飲んで待っていると、童顔で線の細い男がさっそうと現れ、オレの向かいのソファに座る。
「よう。ネットにいる破滅願望持ちの女の投稿を追ってやっとここまで来れたぜ。」
「ああ、来てくれてよかった。」
「なにか捜査をするんだろう。」
「だからこの服に」と、彼は着ている刑事コロンボの衣装を自慢げに見せつけてくるが、ツヤツヤした生地が現代的で安っぽい。微笑んだ口から歯が一本欠けた跡が見え隠れする。
「へえ。とにかく見て欲しい瓶っていうのがこれなんだ。」
テーブルの上にVODKAの空き瓶を乗せる。初めて見つけた日から数日経ったが、それでもまったく変わらない本物のラベルを施されていた。あの日の出来事が、オレの思い違いじゃなかったことが分かってがぜん説明に熱が入る。
「この瓶をある女の子が持っていて──その女の子っていうのが白髪で赤い目をしていて、黒くて大きなコートを羽織っていて、まったく周囲の目を気にしてないって風に街を歩いてた──それで見て欲しいのはこの瓶のラベルなんだ……すごくないか?」
原色に近い青を背景に塗りたくり、その上を飛び交ういくつもの均一な星マークと、真ん中にはペン先の細すぎるフォントで『VODKA』のタイトル。背景と文字の中間ほどのレイヤーにある真正面からみる精細な頭骸骨のイラスト。青色の上に描かれた全ては黄色で統一されており、誰もが欧州旗を連想するデザインだった。
「たしかに凄まじいな。汎用ジョブアプリが生んだ怪物だ。」
彼もコロンボの袖を伸ばして瓶を手に取り、感心してみている。彼の名前はケービイ・ドナングリー。オレと同じくして昼間から暇なのだ。
「それにこれを持っていた女の子っていうのも気になる。なんか相当可愛かったんじゃないか?」
「確かに可愛かった。フランドール・スカーレットの目だけ触れないでモノクロに色を塗り直したらあんな感じなんじゃないかな。」
「ちょっとロリっぽい感じなんだ。」
「フランドール・スカーレットって幼い感じなのか?」
「そうだろ。というか聞く限り、何か他のモデルがあってコスプレしてたんだろうね。」
「ヘルテイカーとか? 服だけなら、色違いのJ.C.デントン……?」
「J.C.デントン? 最近ちょっとイマーシブが復権してきてるからってJ.C.デントンのコスプレする女の子がいるかあ……?」
話が脱線し始めたそのとき、通路側からオレたちのテーブルの上にプラスチックのように白い手が片方置かれる。その人物は背の丈に合わない黒のソヴィエドコートを着ていて、中には赤いニット生地がみえた。
「あの、その瓶、アタシのなんですけど。」
「ああ、コイツだ!」オレは彼女に失礼も忘れて指をさした。ケービイは彼女の美貌と偶然も偶然の出会いに感嘆のため息を漏らしている。
「っていうか、君はこの前あの水路の近くで消えたはずだよな。なんでいるんだ?」
「はあ? 消えた? 何言ってんの?」
「変なグラフィティがいっぱいあったあの場所で、君がこの瓶を落としていなくなったんじゃないか。」
彼女は少しのあいだ目を斜め上にやるとすぐに向き直り、「ああなるほど。アタシ、このVODKA飲んだ日の記憶全然なくて。多分ひどいくらい酔っちゃったんでしょうね。とにかく話が早いみたいでよかった。その瓶アタシのだからさ、返してもらえる?」
そう言ってさっそく手を伸ばしてきた彼女から、オレはVODKAの瓶を少しこっち側に引き離した。
「待ってくれ。まず君はどうやってここが分かったんだ。」
「どうやっても何も、たまたま。インターネットのドS気取った男の投稿みてたらここに着いたの。」彼女は自身のスマホのスピーカーから息っぽい演技をする男の声を流してみせる。
「はは。とにかく会えてよかった。話がしたいからそっちに座ってくれないか。」
彼女は何も分からないという顔をしながらも、素直に席に着いてくれた。その隣になったケービイも詰めて座り直す。見計らって訪れた火星人コスのウェイターが、氷入りの水を一つ彼女の前に置いていった。
「で、この瓶に執着してるのは、実はオレたちも一緒なんだ。このカッコいいラベル部分の作者が知りたい。あわよくば、会いたい。今日はそのためにはどうしたらいいか話し合おうと思って、君の隣にいる刑事の恰好の奴といたんだ。ケービイ・ドナングリーっていうんだ。」
「よろしく。」「よろしく。」
「それで、ラベルの作者が判明するまでしばらくこの瓶を貸してくれないかな。いや、瓶がダメならラベルだけをくれるでもいい。その辺り、どうだろうか?」
黙ってオレの頼みを聞いていた彼女は意味もなく意味あり気に口角を上げ、「ふーん、ならちょうどいいな」とギリギリ独り言にならない境界で返す。
「アタシもそのラベルのファンだから。いいよ。一緒に作者、探しましょう。」
「へえ、これの良さがわかるんだ。」隣のケービイが言う。
「うん。EUみたいで好き。」
「ところでそれって何のコスプレなの?」隣のケービイが尋ねる。
「コスプレ? これ私服。」
そう言って襟を摘まんで口元を隠しカッコつけてみせる明るい風向きの彼女は、
「ああそれとアタシの名前──ペリィ・ペティアっていうの。」
──VODKAラベルファンの先輩であるペリィの提案で、VODKAの製造元を訪ねるべくオレたちは高速道路に乗っていた。製造元のある地区はオレたちの地区から遠くなく、余裕で今日中に到着できそうなほどだった。後部座席を独り占めにして寝っ転がっている奴に、助手席にシートベルトで座っているオレが質問する。
「そんなに遠くないのに、なんですぐに一人で行ってみようと思わなかったんだ?」
「だって免許持ってないし。」シートに片頬を潰しながら。
「ああ、オレも持ってない。」窓の外に目をやりながら。
「僕のおかげでみんなの好奇心は守られたわけだ。」ゴールド免許のケービイ。
車内にはオレのセレクトで長編のジャズがかかっていた。
「……これ止めてくれない? なんでドライブでジャズをかけるわけ?」
「カッコいいでしょ?」
「カッコいいけど、あんまり長いジャズは車酔いするから……ぅぅぁ……。」
「分かったよ。じゃあ代わりに何なら酔わないで済むかな。」
気分の悪さでシートに顔を突っ伏したまま、肘を曲げた右手の人差し指を弱々しく立てて、「アタシ、フランソワ・アルディ、スキ」。ボブヘアの隙間からか細い声。あのだらしないポーズに何の意味があるのかはさておきだ。
「あ、僕も好き。」「オレも、っていうか嫌いな奴いないよな。」
『フランソワ・アルディ』でリコマンドトップのアルバムを再生する。
トォリギャルソンゼレフィルモンナシスプロメントダンラルドゥパドゥ……みんな好きな音楽、ハイウェイを段違いに駆け抜けていくオレたちの車! それはお尻に黄色のナンバープレートをぶら下げた、見紛うことなき軽自動車のはずだったが、目的のVODKA工場までアルバム1枚分すら要さなかった!
ナビに従って一般道を抜けていくとVODKA工場はすぐだった。周りを杉林に囲われ、年季の垣間見える割とこぢんまりとした建物の入り口に立つ看板には、簡素な『酒・アルコール』の文字。あのカッコいいVODKAがここで……?
ペ「かつては一軒の小屋から始まったみたい」
オ「大好きだった巨匠が音楽に飽きました」
ケ「チェコってこんな感じ」
フロントガラスから眺め、三人は口々に所感をこぼした。
駐車場の入り口には赤白のバーが降りていた。横に置かれた監視室の小窓から、くすんだ髭の警備員が顔を出す。
「ダメだよ。ダメダメ。アポイントメントないでしょ?」
「アポはないけどVODKAならあるよ。」
ケービイが運転席の窓を開けてVODKAの空き瓶をみせる。警備員は太い首をかしげ、
「? なんだ空っぽじゃないか。というかそれってここで造ってるVODKAだね。」
「この瓶のラベルを作った人に会いたくて来たんだ。誰か知っていそうな人いますかねえ?」
警備員はケービイの顔から視線を外さないまま二、三度ぶ厚いまぶたをパチクリし、その間に考えをまとめたようだった。
「うーん、近所から冷やかしに来たわけでもなさそうだし、私が工場長に話をしてきてあげようか?」
「ほんと?」
「でも悪いけど、一応敷地にはいれられないからそのまま待っててくれ。多分この時間じゃ他の車も通らないだろうし邪魔にはならないはずだよ。」
警備員はその年齢から重たそうに腰を上げ、裏のドアから工場へと動きだしてくれた。オレもペリィも、まして実際に会話をしていたケービイなんて一番にあの親切な警備員のことを気に入ってしまっていた。停車して待つあいだ、曲をフランソワ・アルディからエバーハルト・ウィーバーに切り変えても後部座席からもう不満の声は上がらなかった。アルバムの1曲目も聞き終わらないうちに警備員が工場から走って戻ってくる。「いやあ……お待たせ……ぜー……ぜー」
……話し込み中……
「「「ええ!? なんだって!?」」」
……バイバイ中……
杉杉[VODKA工場]杉杉
警ノシ
車=3
ラベルの作者は、工場長の家の引きこもりの息子だということだった。警備員伝いに聞いた住所をナビにセットし、推定到着時間は3分後ということだった。ケービイが、次は僕に選ばせろと言って掛けたのは、Bad Brains。ドンバーザミーイー!! ちょうどその曲の終わりかけに工場長の家が見えてきた。空に厚い雲が密集しやすい地形をした住宅街にある、2階建ての日本家屋がそうだった。
「うーん、来たはいいけど出てもらえるのかな?」ペリィが疑問を持ち始める。
「ピンポンすれば分かるよ。」オレは押す。
「分かるよ。」何でもない日常の一幕では必ず前向きな意見につくケービイ。
そして難なく開かれる玄関。かつてのパンクスのような黒に稲妻マークのタンクトップ着た男が出迎えてくれた。首からぶら下げた小さな銅の南京錠。先の尖ったサングラスのおかげで人相までは確認できない。
「君たちか。父さんから電話で聞いたよ。」素朴にしゃがれた声。「さあ入ってよ。」
三者三葉の「お邪魔します」。鍵置きの横にそびえる小柄なエッフェル塔。人の家の匂い。4人共、階段を上る足取りがふわふわしている。
「ここが俺の部屋。先に入って待っててよ。」
案内のまま入ると、彼の部屋にはイスやデスク、ベッドといった基本的な家具を揃えながら、残りはPCとCDとCDとCDとLPとLPと、あと小説が一冊机に置かれていた。タイトルが判読不可能なほどカッコよすぎる表紙デザイン。ああ、コイツが作ったんだなと素直に思える引きこもり環境。
「ほんとにこの人が作ったんだね。」ワクワクしたケービイの耳打ち。
「そうだな。」
「正直、どんな人でも納得させられてたと思う。」あくまでもラベルに心酔なペリィ。
しばらくして部屋の持ち主が戻って来る。さっきまでかけていたサングラスは外してきており、表に出てきた眠そうな青い目がオレたちを見据える。
「で、用ってなんなの?」
ペリィが代表してVODKAを掲げ、「この瓶のラベル。あなたが作ったんですよね。めちゃくちゃカッコいい!」惜しげもなく目を輝かせている。
「ああ、うん。今は絵とか音楽とか色々やってるけど、それが一番最初に作ったやつだ。父さんに新商品のデザインをやってみないかって誘われて、それでなぜかLibreOffice使って作ったんだ。」
「EUの旗みたいでスゴク好きで!」
「EU?」ピンと来てない様子でペリィから瓶を受け取ってしばらくラベルをみつめると、男は笑いだし、「ああたしかに。酒瓶のラベルの感想なんて貰ったことなかったから、初めて気づいたけど、うん、たしかにそう見えるわ。」
オレは2人の会話に入り込み、「これは何年前に作ったんだ?」
「ええと、7年くらい前かな。」
「そうなんだ。いや実はね、オレたちがこのVODKAを知ったのが昨日今日とかのことなんだ。それで、最近はあえてのダサさとか胡散臭さをすぐに取り入れるカウンターカルチャーってものを理解していない企業やつまらないクリエイター連中ばっかりだろ? だから君のこのラベルを見て、誤解しないで欲しいんだけど、下手だけど何か、こう、上手であるよりも何かクるもがある本物だって思ってさ。感動したんだ。」
「あはは、当時熱量だけはあったからね。それが時間差で価値になったんだ。カウンターのカウンター?」
ケービイが「そんな回りくどく言わないでも、このラベルは素晴らしいよ」と添える。
「とにかく君たちに好評だったみたいで嬉しいよ。もうそれ生産停止になってからしばらく経つからすごく懐かしい気分になれた。」
「へえ、そうだったんだな。なあペリィ、このレアVODKAはどこで買ったんだ?」
ペリィは「ええ? うーんとね」と目をつぶって記憶を探り始め、髪のサイド部分と頭が直角に開くくらい横に腰を傾けてからようやく瞼をあけて、「よく覚えてないや」ペリィはこれまでも、そしてこれからも、これをして許される女の子だ。
男三人の気の抜けた笑い声。
「ははは……」……はあ、帰るか。
基礎体力に乏しいオレたちは、いざ目的を遂げてみると途端に半日動き回った分の疲労感に襲われ、似た者同士なにか見えない力が働いたように、帰りに掛ける音楽のセレクトさえ満場一致で決まってしまうほどだった。
陽
海 海 海
木木木木木木 木木木木木木
車=3 車=3
車==♪Bizarre Ride II the Pharcyde =3
車=3 車=3