九
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その男はあざ笑いの呼吸を投げかけながら、
「何をすらとぼけてるだ、見え透いたこった。池田にも久能谷にも、提灯を点けて歩く蛇なんてもんがあるか。そんなもん、日本全国どこにあるだよ。村の者だと思うて馬鹿にするねえ、俺あ柏原の権次郎だぞ」
と、裾をまくり上げて、一抱えほどはあるだろう尻を見せてボリボリと股を引っ掻きながら、
「黒提灯の正体が若い美人だということ嗅ぎつけて、お前ら、汝が手で生け捕りにすべいと思うて来ただことは、その風体からわかったぞ。スケベ野郎、そうはいかねえ、俺が三日五日と追跡回して、命がけで見とどけた蛇の精だで、世の中の人助けや村のもんの復讐のためにも、引き裂こうとのたくらせようと俺が勝手だ。誰の指図も受けねえ。今夜、これからぶっ捕まえる。で、お前ら、へい、相手の姿が美人だとか言って邪魔してはなんねえぞ。ええか、あん、わかったか」
と、図太い声と腹で威圧してくるのですから、私はムッとして、
「なんだ、お前は」
とやり返しました。
が、驚いたことに、
「くわっ、くわら、くわら、くわらくわらくわら」
いきなり高らかに蛙の声真似。腹を突き出し、仰向けになって喉仏を震わせながら大音量を絞り出すと、胸をドンと打って、
「こんなもんだ。この蛙鳴きを餌に蛇を捕らえるだ。そんでもってお前らが目の届かねえ谷間に引っぱり込んで始末するべえ。ほれ、口惜しかったらバアと抜かしてみろ、ポカンとして俺のすることを見てな、へへん」
と笑って、膏の蒸れた汗の臭気をプンとさせて両腕を突き出し、ずしりと腰を据えた姿で私の前をぬうっと通り抜けると、小橋を渡って踏切のほうへ行ってしまいました。
暗闇のなかで足音が止んだと思うと、
「やっ、出たな」
と、勇み立った声がして、バサバサと草を踏む音がします。やがて男の気配は、山裾の木立のなかに消えて行ったのです。
――松原を間に挟んだ、遠くの田の畦道らしい、川の上流と思えるあたりに、沖の小船が光る姿を思わせる薄暗い灯りが一つ、夜の底をスッと流れていて、私はそれを蛍の光だと思いました。
けれども、蛇の精だ、美女だ、それを引っ捕らえる、のたくらせるなどと言う……そんな、やつの言い種や、何かを見つけたらしい勢いに乗せられて、私もいつの間にか、小走りになっていたのです。ただし、あの男の後は追いませんでした。こちらは橋向こうから街道を横に進んで、やや道幅の広い畦道に踏みこみました。……谷間の入り口のほうへ行った権次という男と、田畑を間に挟んだかたちで、私は灯りの行方を追うことになったのです。
まさかあれが「黒い提灯」というわけでもありますまい。灯りは夜の闇に沈み、靄のなかを浮き上がります。人の顔のあたりにあるかと思えば、脚よりも低い高さになる。近づくように見えて遠ざかり、どこかへ行こうとすると前に進む、じっと留まっているようであり、ふわふわと揺らいでも見える。
やがて小橋から田畑のなかばまで進んで、なんとなく灯りに近づけたと思ったとき、それは上にも下にも縦にも横にも、跡形もなくフッと消えたのです。
そのとき、山は大きく、田は広く、とりとめなく無際限に膨らんだ気がして、今までそこで光っていたと思うあたりには、蛙の声が聞こえるだけです。あの、蛙の鳴き真似をする男の声も交じっているのか、さかりは過ぎたはずなのに、遠くしきりに鳴いています。
血相変えたあの男の顔を思い出すにつけ、よからぬことをやらかしそうな気がしましたが、この静けさのなか、蛙の鳴き声以外は虫の声さえ聞こえないから、その美女とやらが手込めにされたわけでもなく、怪異は消えてしまったのでしょう。
蛍が来る。蛍が来る。続けて二つ、すいすいと空を飛んで、お前はもう帰れと、微かな光の糸を投げかけています。
私は橋のほうへ引き返しました。




