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泉鏡花『懸香』 現代語リライト  作者: らいどん


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 その男はあざ笑いの呼吸(いき)を投げかけながら、

「何をすらとぼけてるだ、見え透いたこった。池田にも()()()にも、提灯を点けて歩く蛇なんてもんがあるか。そんなもん、日本全国どこにあるだよ。村の(もん)だと思うて馬鹿にするねえ、(おら)(かしわ)(ばら)(ごん)()(ろう)だぞ」

 と、(すそ)をまくり上げて、一抱えほどはあるだろう尻を見せてボリボリと(また)を引っ掻きながら、

(くろ)(ぢょう)(ちん)の正体が若い美人だということ嗅ぎつけて、お前ら、(うぬ)が手で生け捕りにすべいと思うて来ただことは、その(ふう)(てい)からわかったぞ。スケベ野郎、そうはいかねえ、俺が三日五日と()()回して、命がけで見とどけた蛇の精だで、世の中の人助けや村のもんの復讐(しかえし)のためにも、引き裂こうとのたくらせようと俺が勝手だ。誰の指図も受けねえ。今夜、これからぶっ捕まえる。で、お前ら、へい、相手の姿が美人だとか言って(じゃ)()してはなんねえぞ。ええか、あん、わかったか」

 と、図太い声と腹で威圧してくるのですから、私はムッとして、

「なんだ、お前は」

 とやり返しました。

 が、驚いたことに、

「くわっ、くわら、くわら、くわらくわらくわら」

 いきなり高らかに蛙の声真似。腹を突き出し、仰向けになって喉仏を震わせながら大音量を絞り出すと、胸をドンと打って、

「こんなもんだ。この(かわず)(なき)きを(えさ)に蛇を捕らえるだ。そんでもってお(めえ)らが目の届かねえ谷間に引っぱり込んで始末するべえ。ほれ、口惜しかったらバアと抜かしてみろ、ポカンとして俺のすることを見てな、へへん」

 と笑って、(あぶら)()れた汗の臭気(におい)をプンとさせて両腕を突き出し、ずしりと腰を据えた姿で私の前をぬうっと通り抜けると、小橋を渡って踏切のほうへ行ってしまいました。

 暗闇のなかで足音が()んだと思うと、

「やっ、出たな」

 と、勇み立った声がして、バサバサと草を踏む音がします。やがて男の気配は、(やま)(すそ)の木立のなかに消えて行ったのです。


 ――松原を間に挟んだ、遠くの田の畦道らしい、川の上流と思えるあたりに、沖の小船が光る姿を思わせる薄暗い灯りが一つ、夜の底をスッと流れていて、私はそれを蛍の光だと思いました。

 けれども、蛇の精だ、美女だ、それを引っ捕らえる、のたくらせるなどと言う……そんな、やつの()(ぐさ)や、何かを見つけたらしい勢いに乗せられて、私もいつの間にか、小走りになっていたのです。ただし、あの男の後は追いませんでした。こちらは橋向こうから街道を横に進んで、やや道幅の広い(あぜ)(みち)に踏みこみました。……谷間の入り口のほうへ行った権次という男と、田畑を間に挟んだかたちで、私は灯りの行方を追うことになったのです。

 まさかあれが「黒い提灯(ちょうちん)」というわけでもありますまい。灯りは夜の闇に沈み、(もや)のなかを浮き上がります。人の顔のあたりにあるかと思えば、脚よりも低い高さになる。近づくように見えて遠ざかり、どこかへ行こうとすると前に進む、じっと留まっているようであり、ふわふわと揺らいでも見える。

 やがて小橋から田畑のなかばまで進んで、なんとなく灯りに近づけたと思ったとき、それは上にも下にも縦にも横にも、跡形もなくフッと消えたのです。

 そのとき、山は大きく、田は広く、とりとめなく無際限に(ふく)らんだ気がして、今までそこで光っていたと思うあたりには、蛙の声が聞こえるだけです。あの、蛙の鳴き真似をする男の声も交じっているのか、さかりは過ぎたはずなのに、遠くしきりに鳴いています。

 血相変えたあの男の顔を思い出すにつけ、よからぬことをやらかしそうな気がしましたが、この静けさのなか、蛙の鳴き声以外は虫の声さえ聞こえないから、その美女とやらが手込めにされたわけでもなく、怪異は消えてしまったのでしょう。

 蛍が来る。蛍が来る。続けて二つ、すいすいと空を飛んで、お前はもう帰れと、微かな光の糸を投げかけています。

 私は橋のほうへ引き返しました。


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