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 この流れと同じ(みず)(すじ)の川になるのですが、間に道路を隔て、(なか)()を隔て、青田、畑、家など、ざっと一村を隔てた池田という土地に、(かざ)(はや)(ばし)という小橋がかかっています。鎌倉に通じる道筋の、鉄道の踏切を越したところで、左に(ひさ)()()()()があり、右は新宿の浜、()(つぼ)の岬を望んでいます。先ほどの海岸にあった橋とは、叔母(おば)(めい)ほどの縁続きだといえましょう。

 しばらくの後、私は、かつて馴染んだこのあたりの土地に()かれて、この橋のある場所に来ていました。

(筆者記。間宮に代わってつけ加えると、逗子の池田にあるこの風早橋は、地元では珍しく蛍が多いので、蛍橋とも呼ばれている。そしてこのあたりで黒い提灯(ちょうちん)(ひん)(ぱん)に現れるため、蛍橋は魔の通う(らん)(かん)つきの(わた)殿(どの)だと噂されていたのである。)


 先に言ったように、私は初めてこの場所に来たわけではありません。以前からこのあたりの地理を知っていました。

 ところで、先ほど恐ろしい海の様子にすっかり(おび)えて引き返したとき、あの海岸近くの橋の上から(のぞ)いた……黒い水のなかを波に乗って追ってきて、私を馬鹿にしてからかったような小魚の燃える青い火が、(じゅ)の字はともかく、走り書きした(くし)の字をザブンと崩して、光りながら消えたなどという話をしましたが……そのときになぜか――そんな誘惑は、ぜひとも退けるべきだったのかもしれないけれど――この橋に来てみたくてたまらなくなりました。

 というのも以前から、風早橋のあたりに一ヶ所、そこから山裾のほうに進んで(かしわ)(ばら)へ行く途中にもう一ヶ所、四角い池になった用水の水溜まりがあって、それらを小川が貫いている形が、まるで串の字のようだと思っていたからです。もっとも、(みそぎ)の様子を描いた絵のなかの()(へい)の形だと言えば、そうだとも言えるわけですが。

 (みぎわ)に松の木が生えた、橋に近い池は小さいのですが、その先の池は(あし)(すすき)に囲まれて、村の子供たちが連れ立って泳ぎに来るほどの大きさがあります。さらにその奥には四、五ヶ所、もっと大きな用水があるそうですが、それらを見たことはありません。……塩水はここまでは(さかのぼ)らず、そのために蛍が、稲の葉や田の(あぜ)、豆の茎、松葉にも、露を添えるように光りながら飛ぶのです。

 涼しさというより、冷たさを感じさせます。その冷たさもよそに比べて、風早橋がいちばん冷たい。

 かといって、その夜の蒸し暑さは、そんな場所だから暑さを(しの)げるといった生やさしさではありませんでした。

 そればかりか、昨夜はこんなことがあったそうです。――藤沢までを往復する()(うま)が、夜更けに鎌倉の方から戻ってきたときのこと。馬を()()()は風早橋を渡り切り、馬はまだ橋板に(あし)を残していました。そのとき、目の前にパッと黒い提灯が現れたのです。それを見たとたん、馬はヒヒーンといなないて(さお)()ちになったかと思うと、低い欄干をひと(また)ぎして、橋の下の(よど)みに落ちて死んだといいます。

 そんな初めて耳にする話を、ここに来る途中の氷屋で聞いたのです。


 話は、ちょっと前に戻ります。先ほど、海岸近くの橋を渡って松原まで戻ったとき、あの床屋はもう店を閉めていましたが、裏を開けて涼んでいるのでしょう、暑さに(うめ)くように尺八を吹くのが聞こえて、道ばたに吊り下げたままの()(びん)の火は消えていましたが、まだ白い煙を吹いていました。その下には百日紅(さるすべり)の花が散ったように、油煙の()()りなのか、それとも羽虫の羽が焦げたのか、赤いものが陰気にぽつぽつと散っています。

 ずいぶん長い間、海にいたものだと思いました。

 ……そこの角に一軒、氷屋があって、まだ店を開けていましたが、(のき)(とも)された、波ガラスを()めた(みず)(ぢょう)(ちん)の波打つ光りも、思いなしかゾッとする黒さを感じさせます。……

 店先には、まるで土でこねたかのような、暑さのあまり腰から下が海鼠(なまこ)みたいに溶けかかった()(ぐう)が三個――と思うとそれは、氷が溶ける湯気のなかで(もろ)(はだ)を脱いだ二人の男が、氷屋の女中を前にした姿でした。

「いやな感じで吊り荷を担いだやつが通るだ」

「また黒い提灯(ちょうちん)だんべい」

 蒼い脚がひょろひょろと、提灯の光で砂を黄色く照らしながら、二人で荷台を担いでいるのか、(たん)()の向こうを通り過ぎます。

「今のはもしかして女でねえかね」

「何、女だとしても容赦はしてくれねえべ」

「お前らも迎えに来るだ」

「きゃっ」

 と(おど)された女中が叫びます。

 私はそこへ顔を出すと、

「姉さん、ちょっとご免よ。その黒い提灯の話を聞かせてくれないか」


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