六
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この流れと同じ水筋の川になるのですが、間に道路を隔て、中洲を隔て、青田、畑、家など、ざっと一村を隔てた池田という土地に、風早橋という小橋がかかっています。鎌倉に通じる道筋の、鉄道の踏切を越したところで、左に久木と久能谷があり、右は新宿の浜、小坪の岬を望んでいます。先ほどの海岸にあった橋とは、叔母と姪ほどの縁続きだといえましょう。
しばらくの後、私は、かつて馴染んだこのあたりの土地に惹かれて、この橋のある場所に来ていました。
(筆者記。間宮に代わってつけ加えると、逗子の池田にあるこの風早橋は、地元では珍しく蛍が多いので、蛍橋とも呼ばれている。そしてこのあたりで黒い提灯が頻繁に現れるため、蛍橋は魔の通う欄干つきの渡殿だと噂されていたのである。)
先に言ったように、私は初めてこの場所に来たわけではありません。以前からこのあたりの地理を知っていました。
ところで、先ほど恐ろしい海の様子にすっかり怯えて引き返したとき、あの海岸近くの橋の上から覗いた……黒い水のなかを波に乗って追ってきて、私を馬鹿にしてからかったような小魚の燃える青い火が、壽の字はともかく、走り書きした串の字をザブンと崩して、光りながら消えたなどという話をしましたが……そのときになぜか――そんな誘惑は、ぜひとも退けるべきだったのかもしれないけれど――この橋に来てみたくてたまらなくなりました。
というのも以前から、風早橋のあたりに一ヶ所、そこから山裾のほうに進んで柏原へ行く途中にもう一ヶ所、四角い池になった用水の水溜まりがあって、それらを小川が貫いている形が、まるで串の字のようだと思っていたからです。もっとも、禊の様子を描いた絵のなかの御幣の形だと言えば、そうだとも言えるわけですが。
汀に松の木が生えた、橋に近い池は小さいのですが、その先の池は蘆や薄に囲まれて、村の子供たちが連れ立って泳ぎに来るほどの大きさがあります。さらにその奥には四、五ヶ所、もっと大きな用水があるそうですが、それらを見たことはありません。……塩水はここまでは遡らず、そのために蛍が、稲の葉や田の畔、豆の茎、松葉にも、露を添えるように光りながら飛ぶのです。
涼しさというより、冷たさを感じさせます。その冷たさもよそに比べて、風早橋がいちばん冷たい。
かといって、その夜の蒸し暑さは、そんな場所だから暑さを凌げるといった生やさしさではありませんでした。
そればかりか、昨夜はこんなことがあったそうです。――藤沢までを往復する荷馬が、夜更けに鎌倉の方から戻ってきたときのこと。馬を曳く馬子は風早橋を渡り切り、馬はまだ橋板に肢を残していました。そのとき、目の前にパッと黒い提灯が現れたのです。それを見たとたん、馬はヒヒーンといなないて棹立ちになったかと思うと、低い欄干をひと跨ぎして、橋の下の淀みに落ちて死んだといいます。
そんな初めて耳にする話を、ここに来る途中の氷屋で聞いたのです。
話は、ちょっと前に戻ります。先ほど、海岸近くの橋を渡って松原まで戻ったとき、あの床屋はもう店を閉めていましたが、裏を開けて涼んでいるのでしょう、暑さに呻くように尺八を吹くのが聞こえて、道ばたに吊り下げたままの土瓶の火は消えていましたが、まだ白い煙を吹いていました。その下には百日紅の花が散ったように、油煙の名残りなのか、それとも羽虫の羽が焦げたのか、赤いものが陰気にぽつぽつと散っています。
ずいぶん長い間、海にいたものだと思いました。
……そこの角に一軒、氷屋があって、まだ店を開けていましたが、軒に点された、波ガラスを嵌めた水提灯の波打つ光りも、思いなしかゾッとする黒さを感じさせます。……
店先には、まるで土でこねたかのような、暑さのあまり腰から下が海鼠みたいに溶けかかった土偶が三個――と思うとそれは、氷が溶ける湯気のなかで両肌を脱いだ二人の男が、氷屋の女中を前にした姿でした。
「いやな感じで吊り荷を担いだやつが通るだ」
「また黒い提灯だんべい」
蒼い脚がひょろひょろと、提灯の光で砂を黄色く照らしながら、二人で荷台を担いでいるのか、田圃の向こうを通り過ぎます。
「今のはもしかして女でねえかね」
「何、女だとしても容赦はしてくれねえべ」
「お前らも迎えに来るだ」
「きゃっ」
と威された女中が叫びます。
私はそこへ顔を出すと、
「姉さん、ちょっとご免よ。その黒い提灯の話を聞かせてくれないか」