二
二
浜の入り口には、よしずで囲われた場所があり、海水浴場更衣室という札が立っています。この時刻には泳ぐ者も絶え、祭の夜が更けた寂しさで、八幡の藪知らずを模したお化け屋敷の見世物小屋のようです。五燭ほどの電灯の弱々しい光が、蜘蛛の巣を払いのけるように暗闇をかき分け、白砂を這いながら照らしています。それが人間の力で得た唯一の光明であるにもかかわらず、それさえ暗闇の威勢に押し伏せられて、逆に人間を裏切るかのように、明かりの傍にたたずむ人の影を、意地悪く外へと突き出すのです。
光の届く先だけは、波は昼間目にするように、砕けて白く見えています。とはいえその程度のものが、涼しさを感じさせるわけでもありません。日照り雲が崩れて積み重なり、夜の間はそこにとぐろを巻いて、また明日になると照りつけようとするかのように何かが群れをなしていて、そのなかに黒い斑がぶよぶよと動いている様子からすると、今こそわれらが時だとクラゲが踊っているのでしょう。
「どうだ、人間、ざまあみろ」
とでも言いたげに、やっさこらさと祭の燈をかかげてはしゃいでいるかのようです。
暗く黒い海が波を突き上げるさまは、中空に大きな山をそびえさせるようでもあり、波足を立てて勢いに乗り、遮るものは岩も草も砂も粉みじんに砕こうと、紫色の牙をむき出すところなど……毒龍がうねっているのだとでも言いましょうか。渚に散る飛沫は、かつて人間に虐げられた幾億匹の魚の浮かばれぬ怨霊の炎にも思えてきます。
その不気味さを、何にたとえればいいのでしょうか。
この海原の光景を、極端に優しいものになぞらえてみるとします。――夜の紫陽花の花のまわりを、蛍がかすかな光りを放ちながら飛び回る、静かな怖さを想い起こさせないでしょうか。
あっ、きらきらと沖が光っている。もしも砂が白く、さわやかな風が吹くなかに月の光が輝くのであれば、月に棲む水晶の兎が走ると思えたのでしょうが、潮の逆巻く波のなかにいるのは黒坊主か、大蛸か、海の魔物か、あるいは怨みをいだいた平家蟹かもしれません。人魂縅の鎧をまとった平知盛の亡霊が、
「あら珍らしや如何に義経」
義経め、こんなところで出会おうとは、と襲い来るような妖気を漂わせています。
この日照りはまだ続くのか。陸と水との戦いが今ここで勝敗を決するには、雲に稲妻が走り、夜空を激しく明滅させでもして、天の心を一つに決めさせなければなりません。
けれども天候をガラリと変える合図になるであろう、恐ろしいその稲妻も、山の端から沖にかけて、大空の底に針の先ほども現れる気配がない。雲は蒸し、風は消え、砂もささやきを封じています。
ならば天は滅びたのかといえば、そうでもありません。風は死んだのかといえば、それもまた違う。ときどき笑みをこぼすかのように、ぽつりぽつりと星が覗きます。しかしその光は赤や黄色に淀んでいて、あせもが爛れたようにしか見えません。見えたかと思うともう暗くなる。風も思い出したように北から吹いてきます。けれども海豚が呼吸を吐くように、生臭くむっとするように吹きつける。吹いたかと思えば、そよりともしないのです。
波は、こちらに押しよせろ、あちらを打てと騒いでいます。真ん中が白く消えたかと思うと、前後を黒く折り曲げて、サッと折れたかと思えば、矢を射るように波頭を飛ばし、どろどろと消えては、弩を撃つように叩きつけています。
ですが、波が渚で砕ければこそ、私たちは安心していられるのです。もしも波が、音もなく陸地に侵入したら、私たちの住処は波の舌先で、ひと舐めに舐められてしまうでしょう。そう思えば岩に角があるのも、数限りない砂があるのも、それらがとてつもない労を費やして、海から陸を守ってくれている証なのかもしれません。
暗夜の海は恐ろしい。海の心は計りがたい。紫陽花の花のまわりを蛍が飛ぶような、その景色にはゾッとさせられるのです。
もっとも、海がそこまでの恐怖を感じさせることは、この浜ではめったにありません。
しかし、その年の土用波の間は、四日、五日と、そんな光景が、毎晩見られたのです。……
そして私が聞いたあの出来事は、今日から三、四日前に起こったのだといいます。……