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夜明けの明星④

 翌日、細かい列車の微振動で目が醒めた。


 あまり意味をなさない、薄い遮光カーテンから漏れ伝わる外光の明かりに、意識は非現実的な現実へと戻された。

 まだ寝ていたい……。もう一度眠れば、現実に帰れるかもしれない。


 他意はない。眠るときにも、目醒めたら自分が自分のいるべき現実に帰っていて、あの世界の事は悪い夢であったらいいのにと思った。けれど自分が目醒めたのは、この非現実的な現実だった。非現実的な現実とは言うけれど、昨日よりかは遙かに自分にとってこの世界は現実になっていた。それは、小さな壁に収納できるタイプのテーブルを挟んだ隣のベットで眠っている胡乃葉に、一晩経っただけでもうそんなに意識しなくなった自分の気持ちに対してもそう思う。それが普通の日常になってしまえば、どんな様相でも人は受け入れる。


 遮光カーテンの隙間から外の風景を眺めた。良い景色だとは思う。移りゆく景色、目に飛び込んでくる様々な風景はどれも心を落ち着かせてくれる綺麗なものだし、どれもちゃんとちっぽけな感情をやり過ごす処方箋となってくれている。けど自分はなんとなく勘づいていた。恐らく、何かしら駅を通過したり時には停車することもあるかもしれないが、その通過または停車していく駅には自分達は降りられないのだろう、と。


 まだ今のところ一つも駅を通過したりはしていないが、もし現実が自分の考え通りであれば、本当の意味で、この列車内(アイリッシュ)というのは世界の全てなのだろうな。

 時刻としては午前の七時半を迎えている早朝の列車内(アイリッシュ)、清々しい朝に流れゆく車窓風景を眺めていても思うのだ。綺麗ではあるものの、風景は全て自然に囲まれてもので、建物などの人工物は一切見ることができない。やっぱり列車内(アイリッシュ)は、この世界の全てなんだ。 


 することもないから二度寝をしようと毛布を頭から被ったときだった。隣でガサゴソガサゴソ音が聞こえはじめた。恐らく胡乃葉が起きはじめたのだろうと思い、自分は無視してそのままもう眠りに落ちようとした。けど……分かる。気配で分かる。胡乃葉は起きはじめたのではないということが分かるのだ。恐らく、この物音から察するに、胡乃葉はずっと前から起きていたのだ。一切寝返りを打ったりはしていなかったけど、こういう特徴なのかなとは思ったが……もしかして寝ていなかったのだろうか? 

 自分は二度寝をするのはやめて起きることにした。


「おはよう」


 ゆっくりとベットから身を起こした自分は、その胡乃葉の言葉に少しだけ驚いた。まだ出会って二日目なのにもかかわらず、何故そんなに悠々とさもそれが当たり前かのようにしていられるのだろうか。やっぱり、異性と同じ部屋での生活というのは慣れない。


「おはよう」


 自分はそう返すと、胡乃葉は頭から被っている毛布を外し、猫のような仕草で少しだけ上に伸びをした後、頭から被っていた毛布の中で読んでいたであろう本をパタンと閉じ、軽く欠伸をしながら言ってきた。


「夜はよく眠れた?」


「まぁ、疲れてたし夢の中に逃げたかったしで、結構よく眠れたよ」


「そう、それはよかった。改めてよろしくね、同室で暮らす人間として」


 同室で暮らす人間として、よろしく。その言葉に自分は苦笑いしか浮かべることが出来なかった。本当に何も不思議に思わないのだな、この状況を。でも、所謂特異性のない普通の人間からしたらこれが普通なのだろう。

 よろしく――自分もそう返すと、昨日眠るときにふと少しだけ頭の中に浮かんできたとあることを訊いてみようかと迷った。少しだけ迷ったが、まぁ訊いてもいいことだろうと思って訊くことにした。


「ねぇ、あのさ、自分が昨日この部屋で目を醒ます前にも、この部屋に住んでいて人がいるんでしょ? それこそ、胡乃葉の元同居人ってことだけど。もしよかったらでいいから教えてくれないかな?」


 胡乃葉はその真っ黒い艶やかなロングヘアーを手で解かしながら、手に持っていた本を二段ベットの二段部分に置いてから、ベットの縁に座ってちゃんと自分の目を真っ直ぐ見つめながら言ってきた。


「前一緒にこの部屋に住んでいた人は年配の女性だった。まだ何も分かっていなかった私を凄く親切に愛してくれたおばあちゃんだったよ」


「だったらさ、自分みたいな異性と同じ部屋で暮らすのって嫌に思わないの?」


 そう言うと、胡乃葉は少しその言葉が不思議そうな表情をして、少しだけ微笑みながら言ってきた。


「いいえ、まったく。勿論、悪い異性と同じ部屋になって心身共に疲弊している女の子は見かける。でもあなたは悪い異性じゃないでしょ? 見たら分かる。ここがどんな所なのかは私の方が知ってると思うけど、あなた賢そうだもの。だから、純粋に人として何をして良くて何をしたらいけないのかに留まらず、この列車内(アイリッシュ)がどんな場所なのか、もう全てハッキリと理解しているように私には見えるけどね。それは私なんかよりもずっとずっと深く、ね」


 そうなのだろうか。でも確かに、BARのマスターが言うには、自分は胡乃葉が持っていない〝特異性〟を持っている特異体質者だ。それを胡乃葉は何かしらの形で感じ取っているのだろうか。


「確かに、胡乃葉が認知し得ない領域を自分はハッキリと認識することができる。でも、まだ全てがハッキリしているわけじゃないんだ」


「そうなの? 私からしたら全てがハッキリしているように今も見えるけど。……変なひと」


「そんなに変かな?」


 自分は微笑を浮かべながら言った。


「変だよ、あなたは。私よりも歳は下だし、見た目だって華奢で幼いし、でも凄く賢い、そういう人のことねおてにー? って言うのよね?」


 ネオテニー? ああ、幼形成熟のことか。ネオテニーというのは、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のことだが……確かに自分はそのネオテニー的な要素が強い、華奢で幼く見える人間であるが何故、胡乃葉はそんな事を言ったのだろう? そして何故、自分はそのことについて理解をしているのだろう……。ますます自分の過去が知りたくなった、記憶を取り戻したくなった。

 自分は朝食を食べに行くことにした。部屋を出ようとしたときに、食堂車である十号車へと向かう自分に胡乃葉はふと、一言呟いてきた。


ここ(アイリッシュ)では、余計な事に首を突っ込むな、それも、かつてこの部屋で共に過ごしていたおばあちゃんが私に教えてくれた事の一つだよ」


 自分は虚空を見つめた後、胡乃葉に焦点を合わせ晴れやかに笑いを見せて言った。


「この列車のどこかに売店があるって聞いたんだけどどこにあるの?」


「九号車の上、シャワールームの上よ」


「分かった、ありがとう」


 そうして、自分は扉を閉めた。

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