08話 勇者と魔王
異世界の勇者が剣を引き抜き戦場を疾走をしていた。
体にまとわりついている魔力が、あたかも彗星の尾のごとくたなびいているように見える。
おそらく、この場にいる者であれば、誰もが彼の勇姿を目の当たりにするであろう。
混沌とした戦場にあっても、圧倒的な存在感がそこにはあった。
そして彼が向かう先は、この世界の人類を滅せんとする『絶対無敵の魔王』という名の厄災。
今も一万におよぶ魔術師軍団が魔王を止めるために魔法を撃ち続けているというのに、金髪碧眼の青年は間隙を縫うように戦場を駆け巡る。
人間があれほどの速度で走れるとは思えないし、たとえ走れたとしても、雨あられのように降り注ぐ魔法を避けられるとは思えない。
彼もまた、魔王同様に私たちの想像をはるかに上回る能力を持っているということなのだろう。
勇者と魔王。
物語の一幕のように、最初からそうなる運命であったかのように、彼らはぶつかる。
このときをもって、私たち一万の魔術師たちは、脇役からただの傍観者に格下げとなった。
だってそうだろう?
大軍でも足止めがやっとであった魔王が、勇者の一撃によって木の葉のように宙を舞っていたのだから。
勇者の攻撃は苛烈であった。
彼が剣を振るうたびに魔王の体はその場から吹き飛び、彼が口を開くたびに数多の魔法が魔王を追撃する。
一万の魔術師を動員することでなんとか抑えていた魔王が、たったひとりの勇者によって打ちのめされているのだ。
異世界より召喚した男は、まさに異次元の強さということなのだろう。
――勝てるかもしれない。
そんな気持ちからか思わず拳に力が入る。
異世界の勇者がこの世界に留まれる時間は三十分と聞いたが、それまでに倒せれば御の字。
たとえ倒せなくとも、ここまで一方的な攻撃であれば、いくら魔王とはいえボロボロになっているはずだろう。
あとは王国の力を結集させれば倒せるはずだ。
「ふう……」
勇者と魔王の戦いが火蓋を切っていかほどの時間が流れただろうか。
気づけば勇者が私の隣に立って軽く息を整えていた。
あれだけ派手な攻撃と魔法を繰り返していたはずなのに、涼しげな顔をしている姿からは強者の余裕さえうかがえる。
一方で魔王といえば、勇者の攻撃によりはるか上空へと飛ばされ、今まさに地上へ落ちている途中であった。
この場面だけを切り取れば、正義の味方である勇者が憎き魔王を倒す感動の瞬間とも言えるだろう。
「魔王に勝てそうですか?」
爽やかな表情で上空を見上げている勇者におずおずと質問をしてみる。
圧倒的な能力を見せている相手にわざわざ聞くまでもないと思うが、やはり大切なことだから聞いておきたい。
勇者がにこやかな表情で答える。
「僕がいた世界ではもっと強力な攻撃をする敵がいたよ。あいつの攻撃はさして問題ではない」
「つまり、楽勝ということでしょうか」
「僕が負けることはないだろうね」
「では――」
私が口を開いたそのとき、上空から落下してきた魔王がキリモミ状態で地面に激突した。
生身の人間であれば決して無事では済まされないような落下速度であったように思える。
「でもね、僕では勝てそうにもないよ」
勇者の返答を聞いて頭の中が混乱してしまう。
つまりどういう意味なのか、と問いただしたかったが、魔王がたたきつけられた場所を見て理解する。
人間と同じような形でありながらも、銀色に輝く異質の生命体が、最初見たときからなんら変わらない姿でそこに立っていたのだ。
「無傷……?」
「みたいだね。困ったことに、僕の攻撃がまったく効いていないんだよ」
私のひとり言に勇者がうなずきながら答えた。
信じがたいことであるが、勇者の攻撃は一万の魔術師を凌駕するものであったのは間違いがないだろう。
この世界に彼ほどの攻撃を繰り出せる人間など存在しないと断言できる。
だというのに、そんな勇者ですら『絶対無敵の魔王』には傷ひとつ付けることができなかったのだ。
絶対無敵の名に嘘偽りはないということなのだろうか。
「勇者のあなたでも無理なんですか?」
「うん。僕でも無理ということは、あいつは物理攻撃や魔法攻撃では倒すことはできないのかもしれないね」
勇者がしゃべりながら指を弾くと、魔王の足元から土の槍のようなものが飛び出してきて、ふたたびターゲットを空へと舞い上がらせた。
なにやら股間を痛打していた気がするんだけど……。
それでも、あの魔王は無傷なんだろうな。
「全裸の人。申し訳ないが、そろそろ時間のようだ」
「え? ああ、そういえば三十分でしたか」
「できれば魔王をどうにかしてあげたかったんだけどね。残念だよ。それとこれを――」
勇者が副団長から借りていた剣を差し出してきた。
剣を受け取ろうとしたとき、私の目に映ったのはクラゲのような半透明となった勇者の手であった。
どうやら別れの時間が迫っているということなのだろう。
「そうだ。いちおう魔王に話しかけてみたんだけどね。どうやら彼、言葉を理解していないみたいだったよ」
「言葉を……?」
「うん。つまり話し合いも無理ってことかな。だけど――……」
「……?」
話の途中だというのに勇者が目の前からこつ然と消え失せた。
流れからすると元の世界に戻ったんだろうけど、どうせなら最後までしゃべってから帰って欲しい。
私のほうも感謝の言葉や別れの挨拶すら言えなかったのだから、モヤモヤとした感情だけが残っている。
きっと、勇者のほうも突然帰らされたのだからびっくりしているのだろう。
今ごろ元の世界で私の文句でも言っているのかもしれない。
どうやら異世界から人を召喚させる魔法は、まだまだ改良の余地がありそうだな。
もっとも、今回の魔王に関してはべつの手段を考えなくてはならないんだろうけど。
「――大臣」
声のしたほうを振り返ると、魔術師団の副団長がなにか言いたそうな顔をしていた。
勇者から預かった剣を彼女に手渡すと、大切な物を受け取るように両手で剣を抱える。
「副団長。勇者は元の世界に帰りました」
「はい、見ていました。しかし、あれほどの攻撃で倒せないとなると、どうすればいいんでしょうか」
「単純な火力だけでは無理そうですね」
副団長がうつむいて気だるげな表情を見せていた。
おそらく、私も同じような表情をしているのだろう。
呼び寄せた異世界の勇者は、私たちを凌駕するほどの力を持っていた。
にもかかわらず、彼をもってしても魔王を倒すどころか傷すら与えられなかったのだ。
それ以下の火力しか持ち合わせていない私たちだけでは、どうしようもないという現実を突きつけられてしまったのである。
「副団長。ここの砦は落ちるかもしれません」
「大臣?」
私の言葉に副団長が不安げな表情を見せる。
勇者と魔王の戦いは戦場にいる者たちであれば誰もが確認できた。
魔王に勝てる可能性が皆無という情報は、いずれほかの魔術師たちの間にも広まってしまうのだろう。
そして、勝てないのに戦えということは、砦にいる人間は時間稼ぎをするための壁でしかないということだ。
戦意が向上するとは思えない。
「大臣、交代の部隊が来ましたよ」
砦のほうを見ると、新しい部隊がこちらへと進軍してきているようであった。
たった一時間の戦闘であったが、いろいろ得られた情報は多かったと思う。
ただそのどれもが、絶望とか不可能という言葉を想起させるようなことばかりだったのは予想外であったが……。
「ところで、ひとつ聞きたいことがあるのですが」
砦へ帰投しようとしたところ、副団長が不思議そうな顔で質問を投げかけてきた。
「どうしたんですか副団長?」
「いえ、その……。わたしの剣は返してもらえましたが、大臣の服は返してもらえなかったんでしょうか」
「……え?」
自分の体を見るとスッポンポンであった。
今一度、頭の中を整理してみたものの、ふたたび服を着た記憶なんてものはない。
そもそも勇者が元の世界に戻るとき、彼は私の服を着たままだったではないか。
ならば、私の服は持ち主を置いて異世界へと旅立ってしまったということになる。
「これはマズい……」
召喚のためにすべての魔力を使い切ってから、私は勇者と魔王の戦いを見ていただけだ。
そのときになにかしらの行動を取るべきだったのに、私はなにをするでもなく戦場でブラブラしていたにすぎない。
そして、今もなおブラブラしている。
人々の記憶からはだいぶ薄れたと思うが、姫様を助けた私の知名度はそこそこ高いはず。
しかも、現在はお堅い大臣職にまでなっているのだから、不祥事は避けなければならない。
首になるくらいならまだしも、破廉恥行為で捕まったとあっては家族や友人に顔向けなどできやしないだろう。
なんとかこの場をやり過ごさなければ。
「ふ、副団長! お願いがあります! あなたの羽織っているマント貸してくれませんか!?」
「いやです。お断りします」
なんと無慈悲な……!
この副団長は、困っている人を助けろと教わらなかったのだろうか?
しかも、興奮した面持ちのまま、こちらをなめ回すように見ているし。
人間関係に絶望しかけていると、背後からは交代するための部隊がすぐそこまで迫ってきていた。
戦場の部隊一万と交代の部隊一万の計二万人。
衆人環視の中、私は真っ裸で歩いて帰らされるというのか。
それから数日後、王都にひとつの噂話が流れていた。
なんでも魔術師団の副団長は、全裸の若い男を戦場に連れてくる変態であると。