01話 いきなりラスボス!?
ある日、謁見の間にひとりの男がやってきた。
満身創痍という言葉がこれほど似合う者などいない、と言わんばかりの男であった。
男は誰かの肩を借りながら、息も絶え絶えといった状態で前へ前へと進んでいる。
もしかすると足の骨が折れているのかもしれない。
頭や腕に巻かれた包帯からも血がにじみ出ているのだから、彼が大怪我をしているのは疑う余地もないだろう。
そんな重傷者がふらつきながらもひざまずき、大声を上げる。
「も、申し上げます! 北方の凍てついた大地にて……『絶対無敵の魔王』が出現しました!!」
怪我人の男は伝達を終えると、役目はこれまでと言わんばかりに気を失い、衛兵に担がれて謁見の間から退場した。
彼は最後の力を振り絞って我らに情報を持ってきたのだろう。
しかし、情報を伝達するだけならば、元気な人に伝言でも頼んでおけば治療に専念できたのではなかろうか。
こういうのは雰囲気が大切なのかもしれない。
「なんと……。『絶対無敵の魔王』が出現しただと!?」
そして、その場にいた者たちは伝令の言葉に衝撃を受けどよめく。
一番身分の高い国王ですら体を震わせているのだから、魔王という存在は推し量れない脅威なのだろう。
防衛の要たる騎士団長は立ったまま白目をむいて気絶しているし、政務に関わる宰相にいたっては喚き散らしながら周囲の者に八つ当たりをしているようだ。
いくら怖いとはいえ、立派な役職がある人たちであれば、もっと堂々としておくべきだろう。
この国は大丈夫なのだろうか?
「魔術研究大臣!」
そんな中、薄汚いローブを身にまとった爺さんが目を見開いて私に語りかけてきた。
たしか、この爺さんは魔術師たちを束ねる魔術師団長という立場だったはず。
朽ち果てた木のような見た目ではあるが、いくら魔法職とはいえこのような老いぼれを集団のトップにしてもよいのだろうか。
今すぐにでもそれ相応の施設に放り込んで、穏やかな老後を送ってもらうべきであろう。
もっとも、理性があるだけ騎士団長や宰相よりはまともなのかもしれないが。
爺さんがツバを飛び散らせながら怒鳴り散らしてくる。
「お主の働き次第でこの国の命運が決まるんじゃ! 頼むぞ!」
「はあ……」
「なんじゃその投げやりな返事は! そもそも前の大臣はどこへ行ったのじゃ!?」
「一年前に死にましたよ。そもそも、あなたも葬儀に参列していたじゃないですか」
◇
あれは一年ほど前の話である。
慣れ親しんだ王立魔法大学を卒業した私は、魔術研究事業を行っている株式会社マギアへの入社を当日に控えひどく緊張をしていた。
どれくらい緊張していたかというと、いつもは規則正しい生活を心がけていたというのに、緊張のあまりその生活が大きく狂ってしまうほどと言えば伝わるだろうか。
深夜になっても寝つけなかったせいか、朝日を拝んだときには予定していた起床時間をゆうに二時間もオーバーしていたのである。
端的に言えば寝坊してしまったのだ。
目覚まし時計を見た私は、我が目を疑った。
針を戻せば時間が巻き戻るかもしれないと本気で現実逃避をしようとしたのだから、その衝撃は推して知るべしだろう。
だが、現実というやつは、常に私の傍らから離れることなく振り返ればそこに背後霊のように存在しているのだから逃げようもない。
ともかく、私は目覚し時計を投げつける時間すら惜しんで、すぐにアパートから飛び出した。
そもそも私がなぜ魔術研究という裏方めいた職業を選んだかというと、就職活動、略して就活時に見た採用情報の一文にまんまとだまされたからだ。
今にして思えば『新しい魔法を開発すれば特許料で勝ち組』などというみえみえの餌に飛びついた自身の軽率な判断を猛省すべきなのだろう。
だが、貧乏学生であった私にとって、金の魔力というものはあまりにも甘美な誘惑であったのもまた事実。
結局のところブラック企業にありがちな『アットホームな職場』とか『みなし残業』とか『週休二日制(隔週)』といった近寄ってはいけない文言を受け入れてしまうほどであったのだ。
少し話がずれたが、新卒の私が魔術研究大臣という役職に就けたのは、この日に起きた衝撃的な出来事が原因だ。
いくら急ごうとも遅刻することは確定していたのだから、優雅かつゆとりを持って出勤すべきだったのかもしれない。
しかし、当時の私はそんなことを考える余裕もなく、一秒でも早く株式会社マギアへ到着しようと必死であったのだ。
結果、その必死さが裏目に出たことにより私の運命は大きく傾くことになる。
それは職場近くの曲がり角を全力で駆け抜けようとしていたときに起きた。
視界に白いなにかが見えたと思ったら「きゃっ!」というかわいらしい悲鳴とともに、私の全身に衝撃が走ったのだ。
私がいくら凡庸な脳みそしか持ち合わせていないとはいえ、このような古典的なイベントに遭遇すればなにが起きたか瞬時に把握できる。
急ぐあまり、曲がり角でうら若き乙女とぶつかってしまったのだ。
尻もちをついていた私は、すぐさま自身の非礼をわびるために謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ありません! 大丈夫ですかお嬢……さん?」
私の想像どおり、目の前にいたのはうら若き乙女であった。
しかも、高級そうなドレスと、きらびやかなアクセサリーを身に着けていて、かなり身分の高そうな令嬢に見える。
お嬢さんというよりもお嬢様、と表現したほうがより的確であるかもしれない。
甘ったるい香りが漂うかのような王道イベントに、私は年甲斐もなくドキドキした。
令嬢と目があった瞬間、私は彼女の一挙一動から目が離せなくなってしまったのである。
――なぜか。
地面に張り倒されていた私とは違い、目の前の令嬢は仁王立ちであった。
全力で走っていた私とぶつかったにもかかわらず、彼女はケロリとした表情でこちらを見下ろしている。
昨今は人の容姿を揶揄してしまえば、一部団体から抗議の声がひっきりなしということもあり、彼女の見た目を言い表せないのが残念だ。
だが、恐怖のあまり心臓が早鐘を打ち、目を離せば食い殺されてしまうかも、という表現で察してもらいたい。
とても怖かったのだ。
「そこの殿方、大丈夫ですか?」
げに恐ろしき者との邂逅に失神しかけていた私を現実に引き止めたのはかわいらしい声であった。
ぶつかったときに聞こえた声に似ていることから、目の前の令嬢が発したものなのだろうか。
そう思うも、令嬢からはガス漏れでもしたかのような鼻息しか聞こえてこない。
では、声の主はいずこに?
注意深く周囲を見渡すと、目の前にある巨体――令嬢の背後にメイドさんらしき可憐な少女がいた。
彼女が心配そうな表情を浮かべつつもこちらに語りかけていたのだ。
私の不注意が原因だというのに、メイドさんは我が身の心配までしてくれている。
なんと心優しいのであろうか。
彼女を心配させてはいけないという義務感から、私はすばやく立ち上がり、自身の無事を証明しようとした。
だがしかし、メイドさんは私に対して思いがけない言葉を投げかける。
「そこの殿方、今すぐお逃げくださいまし。このままでは姫様に食されてしまいます」
姫様?
ということは、こちらの令嬢はやんごとなき御仁というわけか。
あいや、しばし待たれよ。
それ以上に気になる単語が混じっていたことを忘れてはならぬ。
姫様に食されてしまう、というのはいかような意味なのでござろう。
だが、そんな考えをさえぎるかのように、私の胴は姫様の手によって鷲づかみにされた。
もう一度状況を説明しておこう。
頭や肩や腕といった掴みやすい場所ではなく、姫様が私の胴体を片手で鷲づかみにしたのだ。
しかも、あろうことか彼女はこちらを見ながらよだれを垂らしているではないか。
「ああ、申し訳ありません。姫様は甘いものに目がなくて」
メイドさんが目の前であたふたしているが、それ以前に、彼女の言っている意味が理解できない。
私と甘いものにどういった関係があるのかと問いただしたかったが、姫様の視線をたどっていくと理由が判明する。
どういうわけか、私の胸元には生クリームのようなものがべっとりと付着していたのだ。
ぶつかったときに、姫様が持っていたスイーツを押しつぶしてしまったのだろうか。
ここまでくれば私の身に訪れるショッキングな結末も予想できる。
私は社会人初日から姫の胃袋に転職してしまうということなのだろう。
もっとも、翌朝になれば退職している可能性もあるのだが。
ともかく、このまま食われてしまうわけにはいかぬと思い、魔の手から逃れようと体をよじるも、我が身は怪力無双の豪傑に囚われたようなもの。
片手で軽々と持ち上げられた私は、今まさに胃袋へ収納されようとしていたのだ。
そんなとき、目の前で異変が起きた。
突如、株式会社マギアのほうから大量の光が飛び込んできたのである。
そこに太陽でもできたのではないかと見紛うような光景に、私は自身の持てる力のすべてを使って魔法障壁を発動させた。
当日の記憶はそこで途切れていた。