紫煙、徒然、青い雨
夕暮れ。曇天。
世界が茜色に染まり、烏に誘導される子供たちはお別れを告げ、黄昏は全てを静寂へと導いていく。この少し丘上にある校舎裏から見える、お気に入りの景色。
そして、そんな景色を邪魔するように、隣から立ちのぼる煙。その下に立つ、一人の少女。
「──タバコの煙のことを、紫煙というそうですね」
そう、少女は切り出した。
「私の名前、むらさきって言うんです。色の紫と書いて、むらさき」
黒髪を伸ばし、丈の長いスカート。勿論僕と違ってピアスなどはしていなくて。ソレが出す煙と彼女は、ひどく遠い存在のように思える。
「紫の煙。まるで私のためにあるような言葉じゃないですか。だから、見てみたかった。味わってみたかった。それだけなんです」
しかし、美辞麗句をこうも並び立てる彼女を見ると、存外近いのかもしれない。
さて、僕も口を開こう。
「──君は確か、学年主席の石附紫さんだよね?」
「……」
そう言うと彼女は、私のこと知ってたかこの野郎、というような目でこちらを睨みつけるのだった。
──────
「全く、盾崎先輩もタチが悪いですね。最初から知っていたのに黙ってたんですか?」
「石附さんは有名だからね」
そう。今僕の目の前でタバコを吸う、彼女こと石附紫さんは、高校1年生からずっと学年主席を取り続ける才女である。加えて、玉のような瞳に、ゆらゆらと揺れる柳のような黒髪。一見平凡のようだが、平凡な表現でさえ、彼女に対しては特別になる。
それ程、彼女の容姿は目立つ。
「ていうか先輩って。今となっては僕たち同級生だよね」
「2年連続で留年してる通称ダブ留さんが、とても同い年とは思えないので」
そういって彼女は嘲笑した。
「僕のこと知ってるんだ。痛いところ突くね」
「お互いにですよ」
人に見られたくなかった……とため息と煙を吐く彼女。
本当に意外だ。彼女は学校では完璧な優等生であり、本来彼女と別クラスである僕の男友達からも、「才色兼備」だのと声が上がるほどの評判だ。
そんな彼女がなぜタバコを。僕は、このいつも黄昏ている校舎裏の日常よりも、彼女がもたらす刺激的な出来事に好奇心が疼いていた。
だけど、冷静に考えて先ほど彼女が「人に見られたくなかった……」と漏らしたように、これはプライベートな問題であるように思える。そうなると、踏み込んでいいものか判断しかねるが……。
けど、逆に考えると、これまで築いてきた彼女の『優等生』というイメージを一気に崩しかねないこの事案を、なぜこの校舎裏というリスクのある場所で行っているのか、という話もある。
どう話を切り出そうかという僕は、ふとタバコの箱に目を向けた。
「石附さん、結構吸ってるんだね」
「え?」
箱を指差す。
「タバコ、あと一本しかない」
「あ〜……そうですね。目敏いですね。バカなのに」
「バカは余計だよ。今までどこで吸ってたの? 僕は毎日放課後は校舎裏にいるけど、見かけたことなかったから」
「留年2回してるのはバカじゃないんですか? ……屋上ですよ、屋上。今日は何となく、ここに来ただけです」
「ふ〜ん……」
なるほど。
「吸いますか?」
彼女はタバコの箱を差し向けてきた。
どうやら、彼女はもはや喫煙を隠す気などなく、なんなら僕を共犯に仕立て上げ、口封じするつもりのようだ。
僕はその箱に手を伸ばし、そして押し戻した。
「残念だけど、僕吸えないんだよね」
「……そうなんですか。それは私も残念です。唯一の仲間だと思ったのに」
そういう彼女は、残念というよりも、どうでもよさそうだった。
その様子を見て、僕は先程思案していた話題を切り出すことにした。
「石附さんは、どうしてタバコを吸っているんだい?」
「……」
彼女は僕の言葉を聞くと、吸っていたタバコを地面に落として踏みつけた。そして、箱から最後の一本を取り、胸ポケットからライターを取り出して、また吸い始めた。
一息ついて、彼女は語る。
「──私は、優等生ってよく言われるけど…今までずっと頑張ってきたなんて自覚はなくて、私はず〜っと、こんな生き方を無意識に続けてきた」
「……」
「けど、些細なキッカケでさ。ある時、塾の先生に褒められたんだ。『君は全国でも屈指の天才だ〜!』、なんてさ」
彼女の話を聞いて、脳が集中していく。そんな感覚を味わいながら、耳を澄ます。
「その時私さ、思っちゃったんだよね。私は「天才」なんじゃなくて、「努力家」だったんだ、って」
胡乱だった瞳を輝かせ、感情の籠った目で彼女は語る。
「だって、『天才だ〜』なんて褒められても、なんか物足りなくて。正直、報われた気がしなかったんだ。本当はさ、『よく頑張ったね〜』って、労って欲しかったっていうか……」
「……」
「なんか、無責任だよねぇ〜。手放しで褒める人って。嫌いだな。私」
そう語る彼女を見て、思う。
何かを自覚することは、決して良いことに繋がるとも限らない。しかし、無自覚のまま彼女が生きていたら、どうなっていただろう。戯言のような思想が、彼女の話と共に渦巻く。
尚も、石附は語る。
「それでさ、ママもパパも先生も、周りの友達もみんな、全員が同じこと言って。この人たちって人形なんだ、って思った」
「人形」
「そう。毎日変わらない台詞。変わらない行動。変わらない表情……変わらない瞳。あの、私に何かを期待する、あの目」
彼女は下を向く。タバコの灰が、地面へ落ちる。
「うんざりした」
震えるような声がした。
思わず、口が開いた。
「だから、死のうと思ってるの?」
そう言うと、彼女は驚いたように目を開いて、こちらを見た。
「な、なんで────」
唖然とする彼女を見て、少し笑える。
「実は、ここから屋上が少しだけ見えるんだ。この前、屋上の縁に立ってる人影が見えて。さっきの話聞いて、あれ、石附さんだったんだなって」
「──」
「タバコ吸ってるのは、自分の体を痛めつけるためだよね」
彼女の表情をなんと表せば良いのだろうか。羞恥、怒り、悲しみ。しかし、あまり感情表現が得意そうではない。作り笑いをしている所は想像できる。
「嗜好品として使うならいいけど、そういう使い方は多方面に失礼だ。もう吸っちゃダメだよ」
「な、なんでアンタなんかにそんなこと──」
彼女が爆発しそうになった瞬間だった。
「──だよ先生! なんかタバコみたいな臭いするもん!」
「マジマジ! 絶対いるって!」
「本当かぁ? うちの学校でタバコ吸いそうな奴なんていねえがなぁ」
「そうですねぇ……」
人の声だ。それに、教師もいる。
まずい。ここは角になってるとはいえ、石附さんとかなり長くここにいるし、今日は風も強くないからタバコの臭いが辺りに充満している。
「この辺だよ! 3階の窓から臭いしたもん!」
「む。確かにタバコの臭いだ……おーい! 誰かいるのか!?」
遅れて聞こえたようで、石附さんの動きが固まる。
そして、手に持つタバコを見て、動揺しはじめる。
「あ、あ、やばい、先輩、これ、どうしよ──」
「あ〜……」
彼女の声を聞き終える前に、教師たちは角を曲がって来た。
──────
「おい、誰だ……って、オイ! 盾崎! お前何してんだ!
「ゴホッ何って、タバコ吸ってんす──ゲホッ、ゴホッ」
女子生徒2人、教師2人……。
「うぇ〜なんだダブ留さんか〜」
「なんか納得なんだけど〜」
「た、タバコってお前……吸わないって言ってなかったか?」
「気分変わ──ゴホッ!」
「おやおや。教師陣の誰かかと思いきや、盾崎君ですか」
「うぃゴホッ、宮田先生こんにちはっす」
「はいこんにちは。おや、後ろに誰か……?」
すると、ちょうど俺の影になっているところから、石附が顔を出す。
「あ、あの──」
石附が顔を出した瞬間、体育教師の岩永と女子生徒2人の顔つきが変わる。
「い、石附ィ!? お前、そんなとこで何してんだ! タバコの臭いが移っちまうぞ!」
「いしづっち!? 早くこっち来な!」
「ダブ留先輩、いしづっちに何してたんすか!?」
「あ〜ゴホッ。タバコの臭い嗅がせてた」
そういうと、石附が何かを言おうとする。
「あ、え、あ──「いしづっち、行こっ!」
「ダブ留先輩さいて〜! 二度と近づくんじゃねえぞ!」
「お〜分かった……ウェ」
女子生徒と石附がどこかへ行く。尚も石附は何かを言おうとして目線をよこしてきたので、適当に手を振った。
「た〜て〜ざ〜き〜ィ!!」
岩永が近づいてきた。
次の瞬間、頭に鈍い痛みが走る。
「お前、まだハタチなってねえだろうが盾崎ィ! お前今から指導室来い!!」
「え〜……ゲホッ、ゴホッ。勘弁してくださいよ」
「ホホホ。盾崎君はまだ留年したいようですねぇ」
「ハハ、よろしゃす……ウェェ」
その時、ポツ、ポツ、と音がした。
「おや、雨が……」
「なに! おい、盾崎、早く──ってお前、いつまで吸ってんだ!」
「最後の一本なんすよ……ゴホッ」
「無理してんじゃねえか!」
少しずつ走る雨。沈みゆく太陽と曇る空を見て、ふと見上げてみる。
「紫煙……」
確かに、この煙は白い空と青い雨によって、紫色をしていた。
本格的に降り出した雨。濡れた視界の中で、確かに消えゆく紫煙と火を見ながら、1人、呟いた。
「女の子の味がする」
きっしょ