第八話 はじめての労働
「頼むよモニカぁ、前借りさせてくれよぉ~、な、お願いっ!」
「昨日前借りして、今日また前借りさせろとか、リリアンさん、頭大丈夫ですか? 馬鹿なんですか?」
「仕方ないだろ、思ったよりめちゃくちゃ料金が高かったんだからさ!」
「当たり前でしょ! この街のセレブ御用達のビューティーサロンでカットとエステするとかどんだけよ!」
昨日ギルドから大慌てで出掛けて行ったリリアンさんは、戻って来るとちょっと別人のようになっていました。
匂いは変わらないので間違えることはありませんが、お肌ツルツル毛並みはツヤツヤ。とても綺麗です。
「んふふふん、でもいいんだ、コテツ殿が私の髪を綺麗だって褒めてくれたんだからっ! 私もこれで底辺女を卒業なのさ!」
「なにを今さら……あんたは元々ちゃんとしていれば美人なのよ、大きなネコ目も可愛いしね。けど何だって姫カット?」
「さあ? 店の人が勝手にこうしたんだけど……似合わない?」
「まあ似合うけどね、でも剣士としての迫力は半減だわ」
「べつにいいんだもーん、チラッ」
さっきからリリアンさんがオレをチラチラと見てきます。あの顔つきはオレもよく知っていますよ、褒められたい時のイヌの顔にそっくりですから。
なので褒めてあげないといけません。そうしないとストレスで毛が抜けてしまいます。
「チラッ、チラッ」
「リリアンさん、ツヤっツヤのフサっフサで、とても見事な毛並みですね!」
「えっ、そうですかぁ? それほどでもないと思うんですけどぉ」
「そんなことはありません。品評会に出れば一等になれますよ」
「え~っ、うっそぉ、美人コンテストの女王だなんて大げさですぅ!」
「ねえ、馬鹿なの? 死ぬの? 前借り分今すぐ返して、いや返せこの野郎!」
モニカさんはリリアンさんがご機嫌なのが気に入らないようです。
それにしても褒められたい時って、イヌも人間も同じなのですね。
でもリリアンさんはお金がなくて困っているみたいです。これはオレの恩返しの出番かもしれません。
お金というのは働いて稼ぐものだとリリアンさんが教えてくれました。だからこそオレは冒険者になったわけですし。
なので稼ぎましょう!
「モニカさん、オレに仕事をくださいっ」
「はいっ! よろこんでえっ! では私の部屋に行きましょう。うふっ、昼間っからでも問題ありませんわよ、私はそこの馬鹿女と違って経験豊富なので、お仕事の手ほどきはまかせて下さいね」
「はいっ! お願いしますっ!」
「おい待ていっ! モニカきさま、コテツ殿に何の仕事をさせる気だっ!」
「あら? 決まってるじゃない。大人のお・し・ご・と、キャッ」
「おのれ! ぶった斬るっ!」
また二人のケンカが始まりました……なんでもいいので早く仕事が欲しいです。
「モニカさん、冒険者とはどんな仕事をすればいいのでしょうか?」
「ああっ! わかってはいたけれど、やはりそっちの仕事のことなのですね……ハァ、仕方ないのでギルドの受付嬢として真面目にご案内いたしますわ」
「お願いします!」
「コテツさんは冒険者に成り立てですので最低ランクのEから始めます。ちなみにランクはEからSまでです。でもSランクは王都に数名いるだけで、このホークンの街にはAランクの者が二人、それが現在の最高位ですわ」
「ちなみにそのAランクの者のひとりが私です、ふふふ」
リリアンさんがまた褒められたそうな顔をしています。でももう面倒なので無視しましょう。毛が抜けてもしりません。
「あ、そうだ、リリアンも仕事しなさいね。依頼書掲示板に新しいの色々あるから選んでおいて」
「えっーー!」
「えっーじゃないだろ! 稼いでさっさと前借り返せよ!」
どうやらリリアンさんも働くようです。
「オレはリリアンさんと一緒には働けないのですか?」
「はい、自分のランクに応じた仕事をする決まりがあるんです。下位ランクの者たちの職業確保のためのセーフティネットですね」
ふむ、よくわかりませんが、駄目なようです。
「なのでコテツさんはとりあえず一人でか、もしくは同じEランクの者と仕事をする事になりますわ。ちなみにいまギルドにはコテツさん以外で三人Eランクがいますが、幽霊登録者なので事実上コテツさんは一人で依頼をこなす事になるでしょう」
「一人でですか? 働くのも生まれて初めてなのですが大丈夫でしょうか……」
「大丈夫ですよ、いまここにたむろしている有象無象たちは殆どがDかCのランカーなのですが、みんな一人で依頼を受けてランクを上げていきましたからね」
「そうですか。わかりました、頑張ります」
「頑張って下さいね! あ、あと依頼達成による報酬に応じてギルドポイントが貯まっていきますので、そのポイント数でランクも上がる仕組みです。それからBランク以上になれば特別依頼と言ってSABの混成パーティーでの仕事もありますから、そしたらリリアンとも組めますわ」
モニカさんの説明はほとんど理解できませんでしたが、とにかくイーという仕事をすればいいようです。
オレはモニカさんに教わった通り、掲示板で依頼というのを探しました。
ところでイーとはどの文字のことなのでしょうか……?
いえ、文字というものは知っています。ご主人様がオレに見せてくれましから。
『コテツ、お前にはこれが何に見える? これは文字というものだ。人間にのみ許された叡智の結晶なのだよ。俺はこれを使った仕事をして二次元の世界の王となり嫁を独り占めにするのだ!』
そう目を輝かせていたご主人様は尊かったです。
「コテツ殿、何かいい依頼は見つかりましたか?」
リリアンさん! 助けてくださいっ。
「これが文字というのはわかるのですが、どれがイーだかわかりません!」
「あ、コテツ殿は文字が読めないのですね。えっと、これがEですよ」
「なるほど、これがEですか」
「文字が読めなくても心配いりませんよ。こうして指で文字をなぞると──」
【Eランク依頼です。先日ペットの猫のニャンキチが家出をしました。どうか探して見つけて下さい。報酬は六千キンネ】
おお? 誰かが急に話し出しました!
「依頼主が魔法で文字に自分の声を付加させていて、こうしてなぞると聞こえてくるという仕組みです。実際文字の読めない者は多いですからね」
難しい話のようですが、紙が話してくれるなら良かったです。
「六千キンネというのがお金ですか?」
「そうです、だいたいここのご飯なら八回くらい食べられる価値ですね」
八回も!?
「これに決めました! ニャンキチを探してみます!」
道に迷わないように気を付けて下さいねと、リリアンさんが微笑んでくれました。
ほんとにいつもリリアンさんは優しいです。
ところでこの紙からは微かにネコの匂いがします。この匂いの主がニャンキチなのでしょうか?
これと同じ匂いは、くんくんくん────あっ、ありました! いまやデキるオスのオレにかかればどこにいようと匂いで探しだせるのです!
でも結構遠くにいますね。まあ問題ないでしょう。
「リリアンさん、ニャンキチを見つけたので、ちょっと捕まえてきます」
「は? 見つけたとは?」
「もしかするとニャンキチではないかもしれませんが、同じ匂いのネコです」
「えっと?……」
ぐずぐずしているとまたネコが移動してしまいそうです。あいつらはほんとに気まぐれで迷惑な奴らです。
なので急ぎます。
「あっ、コテツ殿!……って、行っちゃった……」
街の外を歩くのはこれで二度目ですが、相変わらず人間だらけですね。
うほっ! 肉の焼けるいい匂いがそこら中からしてきます。
「おい兄ちゃん、ひと串どうだ? 鎧ネズミの肉だ、旨いぜー!」
オレを呼び止めたのでしょうか? この男の人が焼いている肉の匂いっ! ああ、強烈な幸福感をオレに与えてくれる匂いですね。
食べたいっ! が、しかし……
「いま交換できるお金がありません。しかしニャンキチを捕まえると六千キンネになるので、少し待っていてください!」
「お? お、おう、待ってるぜ兄ちゃん」
これは肉のためにも急がなければなりませんね!
「みろチュー! ネズミだチュー、ネズミの肉が焼かれているチュー!」
こ、この声はネズミさん?
「あれは鎧ネズミの肉だチュー、俺たちドブネズミにとっては神のような存在だチュー! 人間はあれを食べるチュー、ひどいチュー、悪魔だチューっ!」
「…………」
なんだか急にあの肉が食べたくなくなりました……
ちょっとだけ憂鬱な気分になってきましたが、深く考えないようにしましょう……それより今はニャンキチです!
「ご主人様! お帰りなさいませっ!」
えっ!? ご主人様??
ご主人様がここにいるのですかっ!? あ、でも……匂いはしないです……
「ご主人様! お帰りなさいませっ!」
どうやらあそこにいる女の人が言っているようです……もしかしてオレのご主人様のことを知っている人でしょうか?
とにかく訊いてみましょう!
「あの、ご主人様を知っているんですか?」
「はい! ご主人様! あなたが私たちのご主人様ですよ! ハート」
「いえ、オレは柴イヌのコテツてす! オレはご主人様を探しているんです!」
「はやく見つかれ萌え萌えキュン!」
どうやら知らないようですね……
よくわからないのですが、ちょっと目まいがしてきたので失礼します……
なんだかこの街はとても恐ろしい場所のような気がしてきました。
っと! ネコの匂いが移動しましたよっ。これはうかうかしてはいられません。見失う前にたどり着いてしまわねば!
オレは色々と寄り道をしてしまったことを後悔し、今度は一直線にネコの匂いのする場所へと向かうのでした。