第28話 覚悟
教室に一つだけぽっかり空いた席がある。そこは八代さんの席。
「今日は八代さんは体調が悪いのでお休みすると連絡がありました」
翌日の朝のホームルームで、担任の先生が教卓の前で淡々と事務報告をした。
ああ、やっぱり。昨日の熱のせいだろう。連日の疲労のせいで体調が戻らなかったに違いない。
昨日の彼女の痛々しい姿が蘇る。不安げな表情。気丈に振る舞い、それでも涙を零す姿。震え悲しむような肩や背中。
鮮烈に脳裏に焼き付いている。
あんな姿を見せられて、何も思わないはずがない。舞に一言、言わずにはいられない。
ホームルームが終わり、教室がざわつく。今週提出の課題の話や放課後の遊ぶ話、部活の予定の話など様々な会話が飛び交う。
ゆっくりと席を立つと何人かのクラスメイトがこちらを向いた。
会話をやめて見る男子二人や、少し不思議そうに目を瞬かせている女子三人。興味を滲ませた視線が身体に纏う。
舞の席に近づくと、舞がこっちに気付いたようで顔を上げた。
「蓮、なに?」
「……八代さんのことなんだけどさ」
「今日休みみたいだよね」
顎を片手に乗せながら、興味なさそうに髪をくるくると弄っている。時々毛先を見ては何度も指に絡める。
「文化祭委員なのにこの時期に休むとかなに考えてるんだろうね」
「は?」
「体調を崩したのは八代さんが自己管理を怠ってたからでしょ? 普段勉強ばっかりして真面目なんだから、そういうところしっかりして欲しいよね」
思わず絶句する。悪意の孕んだ言葉の数々に舞の反省の意思は全くない。
自分がその一因になっていることなど全然意に介していないのだろう。
そもそもそんなことを反省するような人なら最初からここまで彼女を追い込むようなことはしなかった。
例え、八代さんが意地っ張りで無茶でも引き受けるような人であったとしても、その性格を利用して無理に押し付けたのは舞だ。
----本当にめんどくさい。ぜんぶ、面倒だ。
ずっと気を遣い、人間関係を拗らせないように、事なかれ主義でずっと流されるように過ごしてきた。
そうすれば少なくとも自分が原因となって問題が起こることはなかったから。
だが、起きてしまった。昔、起きたように。過去と同じことが。
一体どうすれば良かったのか。自分のやりたいようにやって問題が起きて、だったらと周りに気を遣って誰とも一定の距離感を保っても問題が起きて。
それなら俺は一体なにをすれば良いんだ。
人と関わるから問題が起きる。人間関係なんてなくなれば、そもそもに人間関係の問題は起きなくなる。
もう自分のせいで問題が起きるのは嫌だ。ほんと人間関係とかめんどくさい。気を使うのも愛想笑いをするのも、相手の望む反応をするのも。
こんな人間関係などいらない。こんな面倒な関係なんてもう捨てよう。
----本当に大事な人を助けられるのなら。
「あのさ、八代さんに嫉妬してるからって、わざわざ遠回りに追い込むのやめたら?」
「は?」
髪を弄っていた指先が止まり、舞が目を鋭くする。
「聞こえなかった? 八代さんが優秀だからってそれに嫉妬するのは醜いって言ったんだけど」
「なに、急に。ふざけてるの?」
舞の低い声がぴんと響いた。教室の喧騒がぴたりと止む。
何かが起きたことに気付いたのだろう。クラスの全員の視線が一気に俺と舞に注がれ始める。
舞は顔を険しくして不機嫌さを一切隠さない。その様子にクラスには張り詰めた空気が広がっていく。
「別にふざけてないよ。見るに耐えなくなったから言っただけ」
淡々と。突き放すように。呆れるように。もう冷めたことをまざまざと突きつける。
まずは舞から出来るだけの敵意が向くように。
そこに異変を感じた悠真が割り込んできた。
「どうしたんだよ。何かあったのか?」
「蓮が急に訳分かんないこと言い始めたんだけど」
「おい、蓮。なにを言ったんだ?」
悠真は舞の隣に立って、瞳に警戒を滲ませる。
「八代さんへの嫌がらせをやめろって言っただけだよ」
「……勝手なこと言ってんなよ」
「本気で言ってる? 一緒に居て気付かないわけがない。悠真も気付いてるだろ。……まあ、悠真は八代さんのこと追い込みたい側だから止めないんだろうけど」
「なんのことだよ」
「フラれた腹いせだろ?」
「っ!てめえ」
過去に悠真は八代さんに告白してフラれたことがある。
その時は振られたことを気にしてない風を装っていたが、その後時々黒い感情を見せることがあったので間違いない。
そこら辺も舞と仲良くなった理由の一つなのだろう。
悠真は顔に顰めて詰め寄ってくる。俺の襟首を勢いよく掴んだ。
一気に息苦しさが増すが、出来るだけ表情を崩さない。むしろ不敵に笑みを浮かべる。
「痛いな。図星だからってやめろよ」
悠真の手首を掴み、ぐっと力を入れて離させる。楽になったところで一呼吸した。
悠真が酷い表情で俺を睨みつける。これで俺への敵意がまた一つ増えた。決別に丁度いい。
ふぅっと息を吐き、舞の顔を見る。
「ほんとさ。良い迷惑なんだよね。せっかく八代さんを落とそうと思って近づいたってのに、そうやって邪魔させるとさ。俺に惚れてるからってやめてくれる?」
「……っ」
顔を真っ赤にして悔しそうに唇を噛み締める舞。
「遊んでただけなのにさ。本気になって邪魔してくるとかほんと最悪」
「……騙してたの?」
「騙してたって酷いな。俺みたいな良い男と仲良くなれたんだから、そっちだって良い思いしてるでしょ?」
「……最低」
舞の声に周りの視線が一部同調する。ただ、まだクラスの視線は様々だ。
俺の変わりように驚く者。まだ事情を理解できておらず、ぽかんとしている者。あるいは、理解して幻滅する者。そして嫌悪を滲ませる者。
俺を敵視するクラスメイトの視線がいくつも突き刺さる。
--これで良い。でも、まだ足りない。
「はぁ。せっかく八代さんとも遊んでやろうと思ったのに、俺の計画がずれて色々大変だし」
出来るだけ嫌悪感が湧くように。神経を逆撫でさせるように。さらに周りの憎悪を駆り立てさせる。
クラスの敵意を俺が受ければそれだけ八代さんへの敵意は薄れる。
舞自身が八代さんより俺へ憎しみを向ければ、八代さんの立場は改善される。そして。
----いつだって、敵の存在は集団を団結させる。
「あ、でも、よくよく考えてみると、八代さんを追い込んでくれたのはよかったかも」
歌うように軽やかに意識して言葉を吐き出す。
クラスの視線がまた一つ敵視へと切り替わる。
事情を理解した人から段々と俺という存在に悪感情を抱き始め、それが視線に乗り始める。
「弱ったところをつけ込めば、良い感じの雰囲気に持っていけるからね。そこはありがとう、舞。八代さんを追い込んでくれて助かったよ」
今まで大事にしていた下らないものを全てを捨てる覚悟を乗せて。
そして気付いた一番大事なものを守るために、挑発するように口角をあげた。
更新お待たせしてすみません。
 




