歴史の童謡
翌朝、神楽は起きると何時ものように着替え浄化結界の外へ出て散歩に行く。咲良はまだ起きていない。起きていたとしてもついてくることは無いが。
神楽は度々一人の時間を求め、気ままに人と関わることを求め、こうして一人出歩くことがある。
旅に出されてから咲良に出会うまでの八年間、神楽は多くの『魔女』と同じように一人で旅をしていた。
目的は一つ。産まれ育った我が家に帰り、両親にまた会うこと。
咲良に出会った当初、それを言うと「神楽は迷子さん何ですね~」と言われたが、なかなかに的を射ていると思ったものだ。
神楽の育った場所は美しい泉のある森だった。旅に出るまで神楽は外の世界のことは両親の話でしか知らなかった。
ずっとそこで暮らすと思っていた生活は、十歳になったある日突如変わることになる。
その日、両親はいつになく焦った様子で神楽に多額の金と少しの旅道具を持たせ、追い出すように旅に出した。
――神楽。はは様は貴方をずっとずっと愛しているわ。
――忘れるな、神楽。お前は父と母の自慢の息子だ。誇れ。
はは様は泣いていた。ちち様は苦しそうだった。疑うことはない、大切な、大切な言葉。
それでも時々思うことがある。何らかの理由で、捨てられてしまったんじゃないかと。
「……今日は調子が悪いな」
余計なことばかり考えてしまう。
邪念をはらおうと立ち寄った公園では、近所の子供たちが遊んでいた。ボールをつきながら有名な童話を歌っている。
「退屈魔王様がやってきた。人々に絶望をプレゼント。人は悲鳴をお返しし、魔族はそれを喜んだ」
無邪気に歌うのは魔王が世界を支配し、勇者がそれに終止符を打った、物語のような実話をもとにした童謡。
魔王は暇つぶしのお遊びで手下を放り込んで人間で遊び、それを魔導士たちが悪戦苦闘しながら討伐する様子を眺めるのが日課だったが、それに飽きてしまった魔王は、ついに自ら人の世界に上がり、手下と共に世界を絶望に叩き落とした。
魔王とその手下は例外なく濃紫色の髪と瞳をしていたと伝えられている。
「光の勇者様がやってきた。人々に希望を届けるために。人は感謝を言伝て、魔王はついに封印された」
そんな世界を救ったのは初めの『森羅万象』の力を持った光の魔導士。彼は一人の友と共に人々を救って周り、魔王を封印した。
「光の勇者は姿を消して、悪い魔族も姿を消した。つらい名残はあるけれど、平和な世界に笑顔が一つ」
その後、魔族が人の世界に上がることが無くなると、勇者は誰にも名乗ることなく姿を消した。人はそれを見て神が遣わしてくれた救世主だと謳い崇めた。
しかしすべてが元通りになったというわけではない。魔王が暴れた場所は魔瘴が消えることはなく、魔界でしか生まれないはずの魔獣が湧くようになり作物を駄目にしたり、人をも食う。
それを乗り越えようと王族が奉り上げたのが、支配されている時から魔族の撲滅を掲げ活動をしていたヴィンズだ。
「難儀なことだ」
大昔から根付いている闇属性、いや、濃紫の髪と瞳を持つ者に対しての悪感情は簡単に払えるものじゃない。
咲良の兄、咲斗も闇と光の色を持つ。咲斗は瞳の色を変え闇属性として生きている。咲良は咲斗の為に迫害を止めたいといい、神楽はそれに手を貸している。
しかし今のままではそれを成し遂げることは不可能。神楽はそう確信してしまっていた。
咲良の為にできることはしてやりたいと決めた。だがどうすればいいのだろう。答えはでない。どれだけ考えてもわからない。
大きすぎる目的に、神楽は手も足も出なかった。
「朝ご飯、何にしようか」
また変な思考に入りそうになったのを強制的に切り替える。
ロゼッタは肉や魚介より野菜や果物が名物。昨日も来た市場を見渡しまわってみる。店の配置は覚えているが、こういう所は日によって並んでいる品が変わっていることが多い。
グリーンリーフとラディッシュ、玉ねぎのサラダを作ろう。ドレッシングは柚子で、多めに作れば保存もできる。
それとフルーツサンド。キウイ、苺、バナナ、葡萄。甘すぎない、酸味がある品種を選ぶ。生クリームを少し甘めにすればちょうどよくなるはず。
フルーツサンドにスープは合いそうにない。ミックスジュースとフルーツジュース、どちらが咲良のお気に召すだろうか。
せっかくだからジャムも作りたい。それだと砂糖も足りないか。
あれこれ考えながら物色し買って、予想外に少なくなった財布に買いすぎたか。と少し反省して、咲良の元へ帰ろうとする。
近いうちに稼がないといけない。ツテを使うか紹介所を使うか。咲良が大人しくしてくれるとは思えないからなるべく報酬が高く人との接触が少ないものを。どうせ咲良と一緒にやるのだ。古代魔法の解読でも復元でも、魔法の開発でも改良でも、一人の時より早くこなせる。
「号外、号外! 〝彼岸の悪魔〟が隣町に出ちゃったよ!」
噴水広場で紙の束を掲げながらそう叫ぶ新聞売りの少年の言葉は、帰ろうとしていた神楽の足を止めた。