白の仔ら-② 怖い話
「その日は暇だったからさ、森で獲物でも採るかなって森の方に行ったんだ」
『ヤグーの跳ね橋亭』の隅っこの席で、リンクスが静かな声で語りだす。
テーブルの上には蝋燭が一本。周りの席も暗くしてあり、静かな声色とマッチしてなかなかに雰囲気がある。少なくともマリエラとエミリーちゃんはしょっぱなからリンクスの話に夢中だ。
早めの夕食を終えた時間帯はまだ客はまばらで、少々暗い店内に文句はでない。皆、怖い話に聞き入る少女と幼女の様子を楽しんでいるようだ。
「あそこは魔の森ほど危なくないし、それでも運が良けりゃオークの1~2匹は流れてくる。そいつらをうまく仕留められれば、ちょっとした小遣い稼ぎにはなるだろうって思ったんだ。
でもその日は運が悪かったみたいで、魔物には全くお目にかかれなかった。
飛び掛かってくる魔物を想定して弓とか持ってかなかったんだけど、そういう時に限って角の立派な鹿とか出てくんの。
ありゃ、捕まえたら結構いい値になるなって。
どうにか側に寄れりゃ、短剣でも倒せんのになって思って、風下に回り込んだんだ。
音を消して移動すんのは得意だけど、野生の動物は鼻が利くだろ? で、ちょうど風下はいい感じに背の高い草むらがあってうまい事隠れることもできたから、あとちょっとってとこまで近づけたんだ。
考えてみろよ? 目と鼻の先に立派な鹿がいるんだ。
角は高く売れるだろうし、魔物じゃない鹿の肉なんて、迷宮都市じゃ高級食材じゃん。オスだからちょっと硬いかもしんねーけど、この時期の鹿だぜ、脂がのってて絶対うまいに違いない。
そう思ったら、ちょっと夢中になりすぎてさ。
気付かなかったんだよ、空が暗くなってるのに……」
ごくり。リンクスの神妙な顔に話を聞いていたマリエラとエミリーちゃんは固唾を飲む。
ジークは薄暗い店内に、どちらかというと眠そうだ。
「おかしいだろ? おかしいんだよ。
だって、朝から出てきて、まだ昼にもなってないはずなんだ。なのに辺りは真っ暗。木陰ってレベルじゃない。
そんな変化に、『あれ? おかしいな』って気づいた瞬間、生暖かーい風がさ、背後から。オレ、風下から鹿に向かってんのに、風向きが急に変わったみたいにぶわーって吹き抜けた!」
ごくっ。
リンクスの話口調に、マリエラとエミリーちゃんは瞬きもせず聞き入っている。
「風に乗る匂いに驚いたのか、鹿がすんげー速さで走り出してさ、おれも慌てて飛び出そうとしたんだ。逃がしてなるものかってな。
でも、脚が動かねんだよ。見ると、丈の長い草が風で流されたみたいな感じで絡まってんだよ。
どうなってんだ? って、足元を見るオレの耳元に、生暖かぁ~い湿気た風が、かかって、さ。
ぶふー、ぶふー、って。
あ、これ、生き物だって。やっべって」
リンクスが話に緩急付けてきた。そろそろクライマックスだ。
「いつの間に近づかれたかわかんねーけど、とにかく慌てて振り向いたら、そこには……」
「……」
「!!! 真っ白い二つの顔があ !!!」
「ぎゃー!!」
「キャー!!」
リンクスの大きな声に、マリエラとエミリーが悲鳴を上げる。
ナイスなリアクションだ。『ヤグーの跳ね橋亭』の客も満足そうに笑いを噛み殺している。
「……白い、なにか動物か?」
「おう、ジーク、当たり♪ 白い鹿だったってさ」
平常運転のジークが答え合わせをする。話は聞いていたらしい。
「もうー、リンクス脅かさないでよー」
「リリリンクスの意地悪ー」
「はははっ」
リンクスの話は、冷静になってみれば、特に怖い話ではない。
ところどころ脚色し、語り口調でごまかしているが、最後の大きな声で驚かせただけで、白い鹿が鹿を助けたという少し不思議な話だ。
それでもマリエラとエミリーちゃんには十分刺激的だったようで、エミリーちゃんは、
「ふえー、びっくりしたー!」
と満足そうにしているし、マリエラに至っては、ぐーに握った手を胸元でぷるぷる震わせている。
「ちょっと便所いってくる。マリエラ、怖いんならいっしょに行くか?」
「いいい行かないし。ここ怖くなんかないし」
マリエラ、パーフェクトな怖がりようだ。このリアクションは癖になる。
次はどんな話をしようかと考えながら席を離れたリンクスに、声をかける男があった。
「おい、兄ちゃん。さっきの話だけどよ、どの辺で見かけたんだ?」
見ない顔の二人組だ。
広い場所で1対1で戦えばギリギリ勝てそうな程度、つまりそれなりに腕が立つ。
相手もそれを分かったうえで、リンクスが食堂を離れ、廊下に出るのを待っていたのかもしれない。
先ほどまで二人のいたテーブルの上には、つまみと酒の減っていないグラス。
リンクスたちが来た時には、この二人は着席していたから、酒をちびちび舐めながら店の女性も呼ばず男二人で飲んでいたようだ。おそらく情報収集だろう。
こういう手合いはまれにいるが、金も落とさず情報だけ持っていこうとする輩は、たいてい煙たがられるものだ。
「さっきのって?」
「白い獣の話だよ」
リンクスを囲むように距離を詰める二人の装備は、腕前の割には今一つのものだ。うまく稼げていないのか、まっとうに稼ぐ気がないのか。
二人の様子を見ればおそらく後者だろうが。
「あー、あれ、作り話だよ。白い獣の噂は聞いたことあるけど」
「どこで聞いた?」
「結構みんな言ってるけど。え? なに、マジで出んの? 白い獣。どこで出んの?」
「ちっ、もういい。おい、行くぞ」
男たちは面倒ごとを起こす気はなかったらしい。
逆に話に食いついて見せると、男たちは一方的に会話を打ち切って店の外へと出て行った。
(白い獣ねぇ……。ただの噂だと思ってたけど)
あんな連中が嗅ぎまわっているなら、気を付けたほうが良いかもしれない。
何しろ白い獣が出るともっぱら噂に上る場所は西の森――。マリエラたちが『風の通り道』と呼ぶ、強風地帯の薬草が得られる場所なのだから――。
とりあえずジークには話しておくかと、リンクスが食堂に続く扉をくぐろうとすると。
「ね、ねぇ、エミリーちゃん、トイレ行きたくない? ついてってあげようか」
「エミリー、おトイレ平気だよ。それより喉乾いちゃった。マリ姉ちゃんもなんか飲む?」
「や、今はいいかな……」
先ほどの話にビビりまくったマリエラが、一人でトイレに行けずにプルプルしていた。
リンクスに強がって見せた手前か、それとも多少の恥じらいなのか、さすがにジークにトイレに付いてきてくれとは言えないらしく、ジークがとても困った顔をしている。
“リンクス、何とかしてくれ――!”
リンクスに気付いたジークの目が訴える。
念話スキルなどないはずなのに、ジークの心の声が筒抜けだ。
“ムリ”
リンクスの心の声はジークに届いただろうか。
白い獣については、もう少し情報集してから話をしよう、そうしよう。
リンクスは“じゃっ”とばかりに手を上げると、“先ほどの男たちの行方を追う”という大義名分のもと、ソワソワと落ち着かないマリエラをジークに任せて、夜の闇へとフェードアウトしていった。