白の仔ら㉓ モンキートレイン
「ったく、どうして来ねーんだよ! 約束の時間はとっくに過ぎてんだよ!!」
約束の時間が過ぎても魔の森の集合場所に来ない輸送隊に、人さらいたちがやきもきしていた少し前、魔の森の街道へと続く迷宮都市の南西大門は何組もの輸送隊が足止めされてひどく混雑していた。
「おかしいですねー。書類は確かここに入れたはずなんですが」
渋滞の原因である最前列の輸送隊の主は、持ち出し書類を無くしてしまったのだと、のらりくらりと衛兵相手にくっちゃべっている。
「いやぁ、おかしい。おかしいなー、ないなぁー」
それにしても演技がヘタすぎだ。
相手をする衛兵も後ろに続く隊商も、誰もがそう思っただろう。棒読みで、おかしいおかしいと繰り返しているおかしな男は、帝都で名高く、迷宮都市でも知る人は知っている樹木と天秤のエンブレムを付けた軽量の馬車の商人、エルフのニクス・ユーグランスだ。
奇行を繰り広げているのが彼一人なら先に行かせろと言い出す者もいただろうが、その後ろに並ぶ輸送隊が、「まだまだ時間がかかりそうだな」と往来の真ん中で馬車の点検を始め、あろうことか解体整備まで始めてしまったから横を通ることもできない。
いつまでたっても進む様子のない行列に、ついに痺れを切らして一人の男が声を荒げた。
「おいおい、いつまでかかってんだよ。こっちは急ぐんだ。すまんが先に通してくれねぇか。おい、おめーら! 道に広がった荷物をどけて差し上げろ!」
「これは申し訳ない。ですが、我々の装甲馬車に触れないでいただけますか? あなたは、確か……『ハウンド』の方でしたか? 輸送隊までされていたとはずいぶん手広い商いだ」
「俺らが輸送隊をやっててなんか文句でもあんのかよ? あぁ!? ここは天下の往来だ。点検ならてめぇらの拠点でしやがれ。こっちは急いでんだ、そのがらくたに触られたくねぇなら、とっとと片付けやがれ!」
「ふむ、それは確かに正論だ……」
返ってきた正論に、天下の往来で装甲馬車の解体整備をしていた輸送隊――黒鉄輸送隊のマルローはフム、と考え込んでしまう。
軽く喧嘩を売っては見たものの、先を急ぐ『ハウンド』に喧嘩をする気はないらしい。こういうゴネてナンボの仕事は、どうやらマルローには向いていないようだ。
「ま、まぁまぁ。それほどお急ぎとは。では、異例ではありますが荷物の検査だけでも致しましょうか。おい、お前たち。念入りにな。マルローさんも、申し訳ありませんがここは往来ですので片づけをお願いします」
「はいっ。お待たせした分、念入りにチェックさせていただきます!」
「いや、急いでんだからちゃっちゃと済ませてくれよ!!」
これ以上、時間稼ぎは無理なようだ。
状況を納めようと慌てて出てきた検査官たちが『ハウンド』の馬車の点検を始め、馬車の解体整備をしていた黒鉄輸送隊のドニーノは、“もうちっと、上手くやれや”といった表情を浮かべたあと、奴隷のニコたちに片付けるよう指示をだした。
(もう少し、モメてみますか)
マルローは、「あぁ、ちょっと踏まないで」などと言いながら、自分たちの馬車に戻ろうとする『ハウンド』の男の進路を邪魔するように割り込む。
特に後ろ暗いことが無くたって、監査や査察というものは嫌なものだ。しかも今回は、マルロー達がグズグズしていたせいで、自分たちが念入りに検査されるはめになったのだから、『ハウンド』の男はいらだちを隠せない表情でマルローを睨む。
(『ハウンド』。帝都中心に活動する結構大きな組織でしたか。冒険者崩れが多く所属するなんでも屋で、金さえ出せばグレーなことにも手を貸す連中だったはず。ユーグランスさんに喰ってかからないところをみると、それなりに教育されているのでしょうね。折角睨んでくれているのに、こういった時どういった顔をするべきか……)
分かりやすくガラの悪い男だなとマルローは観察する。ぜひとも「なんだ、やンのかコラ!」などと、仕事を忘れてキレ散らかして絡んできてくれればいいのに、衛兵の手前かそれとも品の良いマルローに調子が狂ったのか、『ハウンド』の男は「ケッ」と道端に唾を吐いて自分の荷馬車へと戻っていった。
(うぅむ……。絡まれるというのも存外難しいものだ。ここはジヤ……は逃げそうですからヌイかニコあたりにやらせればよかったでしょうか。いやそれだとナメられて相手にされない可能性が……)
エドガンが外の仕事を熱望したのでこの配置にしたのだが、やはりエドガン辺りが適任だったかもしれない。
そんなことを考えるマルローの耳に、『ハウンド』の荷馬車の方から検査官のこれまたわざとらしい声が聞こえてくる。
「おやおやー? これから出立なさるというのに、随分と荷物が少ないようだ。詰めればもっと入るでしょうに、空荷で走らせるなんてもったいない」
「急ぐから減らしてんだよ! だが積み荷は申請通りだ。クライアントが待ってんだ。悪いが先に行かせてもらうぜ」
(やはり当たりか。こいつらが運び人というわけですか)
少し勢いを無くした『ハウンド』の様子に、人知れず笑顔を深めたのはマルローだけではない。おとなしく並んでいた他の隊商の面々も事と次第を察してニヤニヤと笑っている。
冷静に考えればわかりそうなものだ。
行列の先頭で書類がないと騒いでいるニクス・ユーグランスは――、正確には彼の乗る馬車のエンブレムがだが、輸送隊の中では有名なのだ。彼が運ぶ物の重要性を思えば、書類を無くすなんて失態を犯すような人物ではないことなど、衛兵も多くの輸送隊の人間も分かっている。
さらには往来の真ん中で整備を始めた輸送隊。黒鉄輸送隊までもが奇行に走ったとなれば、“ははぁ、何かあるんだな”と察してあまりあるというものだ。
もともと魔の森を抜ける輸送隊など、危険と隣合わせの職業だ。少しでも万全を期すために天候や魔物の移動などによって出発を後らせるなんてよくあることだし、ここまで出発が遅れたのなら、明日に変えたほうが賢明だ。それでも多くの輸送隊が帰らずに渋滞に自ら巻き込まれていたのは、単なる野次馬だったのだ。ニクス・ユーグランスと黒鉄輸送隊、異例の組み合わせに、ワクワクと状況を見守っていたのだ。
(ユーグランス殿にご助力いただけるとは、あの双子、本物だったわけですか……。それなら『ハウンド』を雇う金も出るでしょうが、どうせならもっと上等な連中を雇えばいいものを)
悪事に手を染める者というのは、往々にして短慮でリスクを正しく評価できないきらいがあるが、『ハウンド』の連中はまさしくそれだったのだろう。待ち合わせの時間が迫るなか焦って思慮を欠いてしまうとは。これでは、この騒ぎの原因ですと白状しているようなものではないか。
ニクス・ユーグランスのわざとらしい演技も、往来を占拠してのドニーノの整備も、大きな釣り針、見えてる地雷だったのに、見事引っ掛かってくれるなんて面白い見世物だ。
押すなよ! 絶対に押すなよ! の前振りに全力でのっかってくれる展開に、ギャラリーは大いに満足してくれたけれど、それでもできるのは足止めだけで、それもそろそろ限界だろう。彼らが運び人だったとして、証拠がない現状では犯罪を立証できない。
――エドガン、聞こえますか? 運び人は『ハウンド』です。そろそろ街の外に出るころです。次は任せましたよ。
――『ハウンド』? あぁ、あいつらな! おうよ、まかせとけ! このエドガン様が上手にションベンひっかけてやっから! イヒヒ、いっぺん使って見たかったんだよな、コレ!
――いいですか、それの扱いにはくれぐれも注意するように。
――分かってるってー。んじゃさっそく……、ん? パリン? ってあ゛あ! 尻ポケットに入れてたせいで!!
――エドガン? エドガン!?
ご機嫌のノリノリで念話に応答したというのに、急に通信が途絶えたエドガン。聞こえた声から察するに、何か間抜けなことをしでかしたらしい。
やっぱり、エドガンをここに残して自分が代わりに出るべきだったか。
(……まぁ、エドガンはおまけみたいなものですし、ディックがいればどうとでもなるでしょう。経験を通じて人は成長するものだから、エドガンにはいい経験です。ディック、そしてリンクス。あとは頼みましたよ!)
若干重めの期待をディックに掛けつつ、涼しい顔で空を見上げるマルローの隣を、運び人『ハウンド』の馬車が出発時間を大幅に遅らせつつも出発していった。
■□■
「どうすんだよ、陽もだいぶ傾いてきた。これ以上は待てねぇぞ。いくら安全地帯だっつっても、こんなほっそい聖樹の側で、夜営なんてできるわきゃねぇ。一度、迷宮都市に戻って仕切りなおしたほうがいいんじゃないか?」
「何言ってんだ。もし見つかったらどうする。チャンスなんてそうそう巡って来るもんじゃねーんだ」
「シュッテ、お腹空いた」
「アウフィもお腹空いた」
「「てめーらは黙ってろ!!」」
待ち合わせの時間はとっくに過ぎているのに、いつまでたっても現れない『ハウンド』に、人さらいの二人は焦っていた。
聖樹によって守られた安全地帯と知ってはいても、二人の目から見れば聖樹なんて他よりちょっと綺麗な感じのするただの樹木に過ぎないし、護りだって目に見えるものではない。対してそれなりの冒険者である二人の五感は、魔の森に住む獰猛な魔物の息遣いを捕らえていた。
少しずつ夜が近づいてくる感覚。それは魔の森の魔物がひたひたと迫って来る錯覚を伴う心細いものだ。
剣を握り防具で身を守っても、人間とは本来脆弱な存在だ。いくら魔法やスキルがあっても、夜になれば視界は狭まり、耳や鼻だけでは素早い魔物の動きを捕らえることは困難だ。その弱さを、人は知恵と、そして勇気で補ってきた。
大金を手にするために幼い子供を攫うような者たちにあるのは、僅かばかりの浅知恵と自分に言い訳をしてごまかす卑屈さで、勇気なんてとっくの昔に無くしてしまった。夜の到来を意識してしまえば、恐ろしい森に迷い込んだ気になって恐怖が心を支配する。
そんな人さらいたちの状況を、ディックとリンクスは周囲の茂みに隠れて観察していた。
(人さらいどもビビってるな。トチ狂ってチビどもに怪我をさせないよう、ここは穏便に……)
ディックが到着したのはついさっきのことだ。事前にマリエラが渡していた“気配遮断”の魔法陣のお陰で、巨漢でガサツなディックでさえも気付かれずに茂みに潜んでいられる。ちなみにマリエラとジークは二人の更に後方で、目を凝らして何とか様子が視認できるギリギリの位置に隠れている。
シュッテとアウフィの身の安全が最優先だ。ここはディックが自然な様子で現れて二人の注意を惹きつける隙にリンクスが双子を解放するのがいいだろう。そう二人が目くばせをしあったその時。
ガルルルル! ガウッガウッ!!
「ひぃっ、フォレストウルフか!?」
「なんだよこの足音、大軍じゃねーか? なんでこっちに!」
ガサガサと周囲の茂みを掻き分けるたくさんの音とうなり声が、この聖樹の安全地帯めがけて急速に近づいてきた。
そして同時に近づく、情けない悲鳴。
「わあああぁ! 尻! 尻! 噛まれちゃうー」
(何事だ!?)
(は? あれって……)
(うわぁ、まさかあれは)
(……………………エドガンだな)
ディック、リンクス、マリエラにジーク。
念話のスキルなどなくとも、そこに居合わせた4人の会話が成立した瞬間に、大量のフォレストウルフを引き連れてその場に駆け込んできたのは、もしかしなくてもエドガンだった。
「ぎゃあぁっ、こんな場所でモンスタートレインかよ! 馬鹿野郎、こっち来んじゃねぇ!」
「おい、逃げるぞ、荷車を出せ!!」
「あっ、サルだー」
「サルがきたー」
「うわぁん、ょぅι゛ょが辛辣ぅー!」
怒るべきか、呆れるべきか、はたまた感心するべきか。
エドガンは安全地帯である聖樹を視認すると、尻尾の先を齧りつかれそうになっているラプトルから飛び降り駆け出す。騎乗していたラプトルは魔物除けポーションをたっぷり使っているから、エドガンが下りてしまえばフォレストウルフに襲われない。フォレストウルフたちのターゲットはあくまでエドガンだけなのだ。
短距離とは言え人間の身でフォレストウルフを引き離す猛ダッシュをして見せたのはさすがと感心すべきだろう。惜しむらくは、フォレストウルフから逃れるために、するするっと猿のごとく聖樹に登る途中でズボンの尻を齧り取られてしまった事か。
「尻~、オレの尻が~、狙われるゥ~」
よかったな、モテてるぞ。
平時であればジーク辺りが言いそうな状況だ。
よく見ると、フォレストウルフたちが狙うエドガンの尻の部分におもらしのようなシミがある。これがウルフモテの原因だ。
(あー……。魔物寄せポーション、ポケットに入れたまま割っちゃったんだ……。やっぱり悪いことはするもんじゃないね)
遠く離れた安全な場所から、マリエラは状況を分析する。
魔物の嫌う臭いを放つ魔物除けポーションがあるのだから、魔物が大好きな臭いを放つ魔物寄せポーションだってある。
もっともこちらは今回のように大量の魔物を引き寄せるトレイン現象を起こしやすいから、製造が許されているのは範囲が狭く、誘因対象を特定の魔物――今回は狼系に絞った限定版だけだ。それでも製造を嫌がる錬金術師は多いから、よほど懇意にしている錬金術師に直接頼まない限り、入手できない代物だ。
今回の双子救出作戦に際し、エドガンが絶対に欲しいと強請るから、マリエラがしぶしぶ作ったのだが、まさか自分が襲われるとは。予定では、運び屋の馬車にぶつけて魔物に襲わせることで、人さらいとの合流を邪魔する予定だったのに。
(半分はー、逃げる途中でちゃんと運び屋にひっかけてきたからー)
フォレストウルフに尻を狙われながら、エドガンが口パクで伝える。
尻を狙われているというのに、いたずらが成功して喜ぶ子供のようないい笑顔だ。情けない格好なのに、サムズアップまでかまされると、ちょっとイラっとしてくる。
魔の森を抜けようという輸送隊がフォレストウルフの群れに襲われた位でピンチになるはずはないから、魔物寄せポーションを作ったけれど、やっぱりこれはイケナイことだ。悪いことをしたからか、それともよじ登られて怒っているのか、聖樹はエドガンを守るつもりが無いようで樹の根元までフォレストウルフの群れが囲んでいる。
(そろそろ助けてー)
助けを求めるエドガンと。
(あれっ? シュッテとアウフィは!?)
(あっちだ!!)
「行け行け行け! 走れっ!!」
「メヘー!!」
肝心の人さらいは、エドガンが連れてきたフォレストウルフの群れに驚いてヤグーの引く荷車をめちゃくちゃに走らせていた。




