ジークムントの杞憂
(マリエラが錬金術師だと、気付かれているんだよな……?)
ジークムントは思いもよらない展開に、状況を図りかねていた。
ここはアグウィナス家の応接室。
偶然雨宿りをしていた時に偶然キャロラインと出くわして、屋敷に招かれただけでも想定外だったのに、今この応接室には迷宮討伐軍の副将軍、ウェイスハルトとその配下の兵士たちが詰めかけている。
アグウィナス家は200年前の魔の森の氾濫の古くより、ポーションの管理と供給を担い、迷宮討伐に貢献してきた名家だ。その館に武装した兵士を連れて、しかもウェイスハルト自らが乗り込んでくるなど、よっぽどの状況だ。おそらくはアグウィナス家に何か重大な不正があって、それに関する確たる証拠を掴んでいるのだろう。
今からここで、重大な事件が起こるのだ。だというのに、どうしてマリエラとジークは未だこの部屋に残っているのだろうか。
「失礼があってはならんぞ」
マリエラとジークを部屋から退出させようとした兵士に、ウェイスハルトが鋭く命じる。途端にピッと背筋の伸びる兵士たち。
(失礼があっていいから、どうか退出させてくれ……!)
ジークの心の叫びは届かない。もっとも、声に出して言ったとしても聞き届けられはしないだろうが。
キャロラインに事情聴取をしているあたり、迷宮都市で唯一ポーションを作れるマリエラ目当てではないようだが、だとしたら、平民に過ぎないマリエラとジークが聞いていい話ではないはずだ。なのにどうして迷宮討伐軍と一緒に待機する羽目になっているのか。
あまりに解せない状況に、ジークは軽く眩暈を覚える。
(マリエラのこと、絶対に気付いてるだろ……。ウェイスハルト副将軍)
先ほど一人の兵士に何事かを耳打ちされた時、ほんの一瞬ではあるがウェイスハルトが固まったのだ。表情を読まれないようにだろう、常に穏やかな表情を崩さないウェイスハルトがだ。
あの時のウェイスハルトの心の声を代弁するなら、
「え、それが?」
ではなかろうか。若干失礼ではあるが、あの程度の表情変化にとどめるのだから、さすがは貴公子だと感心する。
(はい、これが。これが、迷宮都市で唯一ポーションが作れる錬金術師です……)
ウェイスハルトの心の声が空耳された気がして、ジークは心の中で返事する。
マリエラはうっかりちゃっかり生き残ったSSRな錬金術師だが、その見た目も性格も、凡庸な少女に過ぎない。少なくとも、ジークはそう思っている。今だって、こんな緊急事態だというのに観光気分で「お芝居のワンシーンみたい。見たことないけど」などと、とぼけたことを考えているのだろう。こちらは非常に分かりやすく顔に出ている。
マリエラのそういう飾らないところをジークは好ましく思っているが、今ばかりはシリアスを総動員して賢そうな顔をして欲しい。
ウェイスハルトに観察されているのだ。人は見た目や雰囲気で他人の評価を決めるもので、“偉い人”より“偉そうな人”の方が、良い対応を受けたりする。マリエラの実力は確かなのだから、ちょっとは“スッゴイ錬金術師”感を出して、評価を稼ぐべきである。
ジークがマリエラをどうやってスゴク見せようか、思案していたその矢先。
ぐぅぉーー。
マリエラのお腹が盛大な音を立てた。
(………………俺のお腹が鳴ったことにするのは、無理そうだな)
マリエラの腹の虫のあまりの荒ぶりように、勤務中であるというのに近くの兵士がポケットをまさぐり、なんと携帯食らしき大きなクッキーをくれたではないか。
これはアレか、この兵士なりのOMOTENASIだろうか。ウェイスハルトから“失礼のないように”と言われているのに、ポケットで人肌に温められたクッキーを提供するのは失礼には当たらないのか。あと、迷いなくクッキーをマリエラに差し出したおかげで、この部屋にいる全員に、先ほどの怪音の主がマリエラであると知れ渡ってしまった。このデリカシーに欠ける行動、年頃の令嬢が相手なら完全に失礼だ。けれどハラスメントというものは、受け手の気持ち次第で可とも不可ともなるものだ。
カリカリカリ、ポリポリポリ。
早速齧り始めるマリエラ。どうやらマリエラからすると、何の問題もないらしい。
武骨な兵士のOMOTENASIクッキーを、まるで餌付けされた小動物のように幸せそうに食べているから、ジークが思わずお礼を言うとそこだけほのぼの空間が広がってしまった。
(いかん、そうじゃない! これじゃ、ただのお子様だ)
クッキー一つで懐柔できるお子様が錬金術師だと知られたなら、毎日お菓子が山のように届けられてしまう……のは別に構わないが、管理能力の低さを指摘されて面倒な貴族の後見人などを付けられてしまうかもしれない。
今こそマリエラにはピシッとしてもらわねばなるまい。ピシッと。カリカリ、コリコリ軽快な咀嚼音を響かせてもらっては困るのだ。というか、こんなシリアスな空間で、クッキーなんぞ食べないで欲しい。
(この地を守る精霊よ、どうか願いを聞き届けたまえ。マリエラにクッキーを食べるのを止めさせてくれ。ついでに腹の音も鳴らないようにしてほしい……!!!)
少々混乱してしまったジークは思わず精霊に祈りを捧げる。
困ったときの精霊頼みだ。
溺れる者はなんとやらで、あまりあてにならないことの代名詞だが、ジークの願いが届いたのか、それとも単なる偶然か、マリエラの動きがぴたりと止まった。
ピシッ。
ふいに向けられたウェイスハルトとキャロラインの視線に、ピシッと固まるマリエラ。
ジークの願った通りの擬音が似合う状態だけれど、クッキーにかぶり付こうと大口を開けた状態で、ご丁寧に口の端に食べかすまでくっつけている。
(そうじゃない、そうじゃないんだ――)
終わった。マリエラのマリエラらしさが余すことなくさらされてしまった。せめてクッキーを取り上げていれば、もう少しミステリアスに見えただろうか。なんにせよ今となってはすべてが遅い。
きっとウェイスハルトの中でマリエラの評価は地に落ちてしまったに違いない――。
(もう、どうにでもなーれ)
割と投げやりな気分になってしまったジークの予想を裏切って、その後、マリエラがキャロラインの父をサクっと助けたおかげで、ウェイスハルトの中でマリエラは精霊的な不思議存在として、まずまずの評価を得た。
マリエラに助けられ護衛を務めるジークであるが、錬金術に関してはさほど詳しいわけではないから、彼は理解していないのだ。
錬金術師の家系であるアグウィナス家をもってしても治せなかったロイスの異常状態を一目で見抜き、何の準備もなくルイスを解放することが、どれほど異常なことなのか。
マリエラは、見た目も性格も凡庸な少女に過ぎないが、魔の森の氾濫をうっかりちゃっかり生き残った運だけでなく、実は錬金術師としての実力もSSRだということを。
魔の森の氾濫から200年後の迷宮都市に目覚め、無自覚にその力を振るい始めたマリエラと、精霊眼を持って生まれながらもそれを失ってしまったジークムントを巻き込んで、迷宮をめぐる運命はゆっくりと加速していく。




