白の仔ら-① 瞬きのポーション(5章前編)
「やっぱり、足りないのはまつ毛かなぁ……」
閉店したばかりの『木漏れ日』の店内。今日もキャロラインや常連たちと楽しく過ごしたマリエラは、エミリーちゃんの髪を結う時に使った手鏡をのぞき込みながら何やら呟いている。
「あのね、ジーク。瞬きのポーションっていう、ちょっと素早く動けるポー……」
バタン、ガタン、シュバババッ。
マリエラがすべてを言い終わるより早く、ジークは『木漏れ日』の戸締りをし、周囲に人影がないかを確認する。
「マリエラ、その話は奥で聞こう」
「え? 珍しいものだけど、そんな大したポーションじゃ……」
「手土産でもらったオレンジの皮を甘く煮たやつ、あれ、紅茶に合いそうだな?」
「オレンジピール!」
フィーッシュ!
今日もマリエラが入れ食いだ。簡単に釣れたマリエラを居間へ押し込み、ダッシュで紅茶を出すジーク。
チョロさの権家に見えるマリエラだが、ことポーションが絡むと食より錬金術が優先するから意外とコントロールが難しい。最近は、新しくできた貴族令嬢の友人、キャロラインに感化されオシャレ感に弱いから、キャル様が手土産でくれたオレンジピールがあって助かった。
少し前のマリエラなら、柑橘類の皮などポーションや薬の原料としてしか見なかったのに、手間と暇と砂糖をふんだんにぶち込んだほろ苦い菓子をちまちまと口に運んでは、お上品ぶって紅茶をすすっている。
……やっぱりチョロさの権化かもしれない。
「で、瞬きのポーションだったか?」
「うん、それね。あ、ジークが思ってるような、劇的な効果があるものじゃないんだよ」
飲んだからと言って、マリエラがジークのように速く動けるようにはならないから、安心するよう伝えるマリエラ。
もっともそんな発言に警戒を解くジークではない。迷宮討伐軍にポーションを卸すようになって以来、嬉々としてポーションを作りまくるマリエラを見てきたのだ。マリエラの常識が錬金術師の非常識であることに、うすうすながらも気が付いている。
「速くなるっていうか、感覚が鋭くなって自分の出せる最速が体験できるみたいな効果なの。材料にすごく手に入れにくいものがあるから珍しいものだけど、低級だから効果時間は短いし、効果自体も値段の割に微妙なんだよ。それに、ちょっとした副作用もあって、二百年前は副作用の方がメインみたいに扱われてたんだ。ね、大丈夫でしょ?」
「なるほど。で、副作用とは?」
なるほど。マリエラの「大丈夫」があてにならないことが確認できた。
武術の訓練は、技や呼吸、動きを繰り返して体に覚え込ませるだけではない。強者の動きを見て学び、自分のできる最高の動きをイメージし、それをなぞれるよう何度も繰り返し体を動かす。魔物との生死をかけた戦いの中で何かを掴むこともあるだろう。
そういった、ちょっとしたタイミング、ちょっとしたコツを掴む重要性は計り知れない。
瞬きのポーションとやらで最速の自分を掴めるのなら、望む者は多いだろう。
では、メイン扱いされる副作用とは何なのか。
「まつ毛がね、伸びるの」
「……なるほど」
なるほど。なんでマリエラがこんな話をしだしたのか理解できた。鏡を見ながらそんなことをつぶやいていたし。美少女令嬢キャロラインと自分を見比べて、まつ毛が足りていないと思ったのだろう。
美の競い合いも女たちの戦いだろう。二百年前の世界では美を求める女性たちと強さを求める男たちが金貨袋で殴り合って、見事女性陣に軍配が上がったというところか。なんて恐ろしい戦いだ。
「マリエラは大丈夫だよ」
足りていないのは、まつ毛だけじゃない。とまでは続けない。
「で、手に入れにくい材料とやらのあてはあるのか?」
代わりにジークは核心に触れる。こんな話をしだしたのだ。心当たりがあるのではないか。面倒ごとには先手を打っておくべきだろう。
「風原柳っていう、高い山の上とか、強い風がずっと吹いてるような場所にしか生えない草なんだけどね。今日、花束持ったお客さんいたでしょ、お見舞いだとかで薬買いに来てた人。あの人が持ってた花束に入ってた気がするんだよね」
特徴を聞いてみれば、肉厚で赤い縞のある細長い葉らしい。
花より薬草のマリエラが「きれいな花束ですね、どこで買ったんですか?」などと聞いていたからキャル様効果かと思っていたが、やはり薬草だったのか。
「すぐ買ってくる」
面倒ごとに巻き込まれないようマリエラを残し、ダッシュで調達に向かうジーク。キャル様効果で「わー、きれいな花束。ありがとう、ジーク」なんて喜んでくれるのではなかろうかと買ってきた無駄に大きな花束は、速攻で《乾燥》されて薬や香油の原料になるまでは予定調和というやつだが、お目当ての風原柳もちゃんと入っていたようだ。
くだんの花屋に「珍しい植物だな」とジークが質問してみたところ、
「街の外に生えてるんですよ。葉ものはだいたい森で調達してくるんですが、これ、赤が入ってるのが個性的でいい感じでしょ?」
とあっさり入手先を教えてくれた。花屋をしているというのに、この植物が珍しいものだと気が付いていないらしい。これなら採取も問題ないだろう。
低級ポーションの分類だというだけあって、《錬成空間~》から始まるいつもの錬成であっさり完成する3本の瞬きのポーション。
「んじゃ、さっそく」
「まてまてまて!!」
出来立て生な一番搾りをグビリといきそうなマリエラをジークは全力で止める。
ここは迷宮都市。まつ毛の増毛効果より素早さUPを検証すべきではないか。
「大して変わらないのにー」
膨れるマリエラをなだめすかして、ジークはリンクスを誘って迷宮第5階層へと向かった。
迷宮第5階層は霧と森からなる『眠りの森』と呼ばれる階層で、キノコ狩りのステージだ。
眠りの瘴気にさえ気を付ければ、弱いキノコばかりのたやすい狩場だ。キノコの方からノコノコ歩いてきてくれて効率もいい。
毒キノコは多いが素材として取引されるもの、食用になるものも数多い。マリエラも、ジークやリンクスと連れ立って遊びがてらに何度か採取に来ている。
「おぉ!? このポーション、すっげ。キノコ相手なのがもったいねーな」
「……やはり、すごいな。っと、もう効果切れか」
瞬きのポーションの効果を絶賛するリンクスとジーク。ジークの読み通り、このポーションは有用だ。特にジークやリンクスのように成長途中の者には得られるものがとても大きい。
ちなみにマリエラとはいうと。
「ちょあ!」
ぽふん。マリエラの振りかざした棒きれは、いつものごとく空を切り、突っ込んできたキノコが膝に当たって自爆していた。全く効果は見受けられない。
「変わんないし」
ふてくされるマリエラ。きっと個人差があるのだろう。
「なんだよー、膝蹴りきまってんじゃん!」
「ヤハリ、効果アルナー! ナ、リンクス!」
ここぞと揶揄うリンクスにさっと視線を送り、ジークは下手な演技でフォローする。まつ毛増毛効果のことは説明済だ。これだけのポーションを美容限定で使うのは惜しすぎる。
「!? ! ソウダナ、効果ハバツグンダー」
マリエラが瞬きのポーションを作る理由を思い出し、慌てて話を合わせるリンクス。こちらも演技が下手くそすぎる。
「……なんか、あからさまー。戦う人にとって価値があるのは分かったよ。作ったらちゃんと迷宮討伐軍にも提供するよ」
それでも、二人がかりの説得でポーションの価値を理解してくれたようだ。リンクスを連れてきたかいがあるというものだ。
「マジ? オレらにも売ってよ。これ、たくさん作れんの?」
「風原柳がどれだけ生えてるかによるかな。花屋さんの話では、迷宮都市の近くの森に生えてたらしいんだよね」
「どこの花屋? オッケ、場所特定して採取してくるわ。いつものルートでもってくから! ここからなら、ジーク一人でも護衛できるだろ? オレ、ソッコーで行ってくる」
「あぁ、問題ない」
ジークの返事が終わるより早く、リンクスの姿は溶けるように消えていた。かなり本気の移動だ。
「うわ、早っ……。そんなに価値があるんだね、あのポーション。まつ毛は……。ジーク、顔見せて」
分かってくれて何よりだ。まつ毛増毛をあきらめてはいないようだが。
「わぁ、下まつ毛が濃くなってるね。イケメン度アップしてるよ」
「そうか?」
マリエラのお褒めの言葉にちょっといい顔をして見せるジーク。
まつ毛増毛の方は、効果時間が長いらしい。マリエラのまつ毛にほとんど変化は見られないから気が付かなかった。こちらも個人差があるようだ。
ちなみに、帰宅後鏡を確認したマリエラは、「まつ毛ふさふさ~」と喜んでいたから、若干の変化はあったらしい。まつ毛増毛効果の方は3日ほど継続したけれど、その間誰もマリエラの変化に気が付かなかったから、マリエラはじきに瞬きのポーションを飲むのをやめてしまった。
本来の効果の方は迷宮討伐軍でも好評で、風原柳もたくさん生えていたらしいから定期的に納品することになった。
レオンハルト将軍がなんだか最近色っぽいだとか、ウェイスハルト様が物憂げだとか、ニーレンバーグ先生の悪魔度が増したとか、まつ毛効果はマリエラ以外で猛威を振るったけれど、そんな噂は幸か不幸かマリエラには届いていない。
代わりに届いたのは、風原柳の情報だ。
「リンクスが言うには、魔の森から迷宮都市の脇をぬけ、北の山まで直線状に生えていたらしい。風通しのいい、獣道みたいな場所だったとか。迷宮にも生えてるんじゃないか。ガーク爺にもあたってみるか?」
地図を広げて分布地点を示すジークにマリエラが困惑気に答える。
「そんなところに? うーん……。森に生えてたのも変だけど、迷宮にはないと思うな。迷宮の中だと、精霊は弱っちゃうでしょ? 風原柳はさ、風の精霊の力にたくさん触れる場所にしか生えないんだよ」
だから、普通は高山だとか年中風の吹きすさぶ場所にしか生えない。
平地の森になど、生えるものではないのだ。
「二百年前は森になかったのか?」
「森になんてなかったよ。師匠がどこか山の方から採ってきたので作ったことはあるけど」
いいお金になるらしいけれど、採取が面倒だからとたまにしか作らなかった。あの師匠が採取に数日かけていた気がする。森に生えているなんて聞いたことがない。
本当に、不思議なことがあるものだ。
「迷宮を避ける風の道ができたのかなぁ」
風の精霊の通り道。
そんな不思議なことも、迷宮と人が暮らすこの場所では起こりえるのかもしれない。
マリエラのつぶやきをかき消すように、『木漏れ日』の外を強い風が吹き抜けていった。




