リクエストSS:奇跡との遭遇
pocket様リクエストSS(キーワード:ジャック・ニーレンバーグ)です。
『海に浮かぶ柱』戦の少し前の話です。
ジャック・ニーレンバーグは顔が怖い。
特に何もしていないのに、彼の顔を見たチビッコが泣き出すなんてしょっちゅうだ。
職務に忠実かつ多忙なニーレンバーグは、愛娘シェリー以外のチビッコとの接点は少ない。だからチビッコに泣かれることより患者の兵士に泣かれる方がよほど多いが、泣かれることには慣れている。
だが、根は優しい父親でもある彼は、ごくごく稀に、非常にレアなケースとしてチビッコに懐かれることがある。
「シュッテはシュッテなの」
「アウフィもアウフィなの」
「……………………ニーレンバーグだ」
こんな時、どんな顔をすればいいか分らないの。
もはや定型文と化した名文が彼の脳裏に降臨しそうになったけれど、もしそれを口にしたとして「笑えばいいと思うよ」と言ってくれる人などいまい。
何しろ笑えば倍怖い。
彼を良く知る兵士たちなら、凄惨な治療かシゴキが始まるのだろうと震えあがるに違いない。
「ちょっ、シュッテ、アウフィ。何してるの! すいません、この子たちがお邪魔したみたいで……」
代わりに震えあがったのはマリエラの方だ。
ここは『ヤグーの跳ね橋亭』。いつもの薬や消耗品の配達ついでに夕食を取りに来てみれば、納品をしている隙に双子が顔の怖い人に特攻をかましているのだ。勇猛なのはこの街では長所だが、危機管理能力が欠如しているとしか思えない。生き急ぎ過ぎだ。
マリエラを庇える一歩前の位置で双子を取っ捕まえているジークもどこか緊張した様子だし、見れば偶然『ヤグーの跳ね橋亭』に居合わせた黒鉄輸送隊のマルロー副隊長まで分かりやすく引いているではないか。きっと、すごくヤバイ人なのだ。
「かまわんよ。可愛いお嬢さんたちだ」
ぱあああぁっ。
褒められたのが分かったチビッコ二人が顔を輝かせて口を開く。
「シュッテね、シュッテ……」
「アウフィね、アウフィ……」
「はーい、二人ともー。向こうでおやつ食べよう。今日はプリンがあるって。プリンだよー」
「プリン! シュッテ、プリンしゅきー」
「プリン! アウフィもプリンしゅきー」
ニーレンバーグ vs プリンはプリンの圧勝で終わったようだ。納品の頃合いだろうとプリンを準備してくれていたマスターには感謝しかない。
プリンを餌に店の隅っこの席に退避したマリエラたちに変わって、顔の怖いおじさんに絡まれたのは、なんとマルローだった。
「……少しいいか。頼みがある」
「かまいません。部屋へ行きますか?」
「いや構わん。内密の案件ではない」
(なんだ、マルローさんの知り合いだったんだ。だったら、安心だったのかな。……って)
「こら、シュッテ、アウフィ! 私のプーリーンー!!!」
マリエラがマルローの方をよそ見している間に、シュッテとアウフィのスプーンがマリエラのプリンに襲い掛かっていた。
何たる早業。ちょっぴり食べられてしまったではないか。
護衛のジークは何をしているのか。マリエラだけではなく、マリエラのプリンもちゃんと守って欲しいところだ。
プリンにすっかり意識を持っていかれたマリエラから離れたところで、ニーレンバーグとマルローは割と深刻な話を始めていた。
■□■
「シェリーを帝都に連れて行って欲しい」
「ご息女を? 一体どうなさったのですか」
「実は、先日の巨大スライム騒動で顔に怪我を負ってな。痕が残った。帝都に行けばポーションも手に入る。治してやってもらいたい」
「ポーション……。ですがそれなら……」
ジャック・ニーレンバーグは治療部隊の隊長だ。日々大量のポーションが迷宮討伐軍に納品されていることを当然知っている。功績の高い彼が望めば、上級ポーションの1本くらい融通してもらえるはずだ。
マルローの沈黙をそう受け取ったニーレンバーグは、周りに聞こえない小さな声で口を開いた。
「シェリーは兵士ではない。迷宮には先がある。いくら、大量に見つかったとはいえ限りある資源だ。兵士でもない娘の為に使うわけにはいくまい」
(違います。無尽蔵に作れます!)
そう答えられたらどれほど良かっただろう。マルローは思わず視線をニーレンバーグから彼の背後でプリンを食べているマリエラへ移したが、それをニーレンバーグは目をそらしたと受け取ったようだ。
「マルロー、お前が迷宮討伐軍にいた頃、話したことがあったかもしれんが……」
なんだか深刻な調子で語り始めたではないか。
「人間というものは、誰かの為に生きるものだ。
偉大な主君でなくていい。父母や祖父母、兄弟や恋人、友人や師弟。誰もが持つ身近で大切な誰かの為を思えば、人は強く在れる。
自分一人では投げ出す苦難も苦痛も、誰かの喜ぶ顔を思えば、乗り越えてしまえるんだ。
それこそが人の人間たる所以であって、だからこそ卑劣な殺し屋や無慈悲な諜報員は、本人ではなくその大切な者を傷つける。
包帯で顔を隠した愛娘を見た時、これはむくいなのだと思ったよ。罪があるのも、罰を受けるのも私であるべきなのに、そうはならないことを身をもって知るとはな……」
マルローはニーレンバーグの経歴をうっすらとだけ知っている。彼が言わんとすることは、おそらくかつてニーレンバーグがその手で行ってきたことなのだろう。だからこそ運命は、彼ではなく、幼く愛しい娘のシェリーを選んだのだと、ニーレンバーグはそう理解しているのだ。
重い。重すぎる。ニーレンバーグの過去も、この場の雰囲気も。
これが、シラフの人間のテンションか。
ニーレンバーグの前に琥珀色の飲み物が注がれたグラスが置かれているが、これは確かアイスティーのはずなのだが。
(そんなに堅苦しく考えず、気軽にポーションを使ってください!)
そう叫んでしまいたい。何しろ眉間にしわを寄せるニーレンバーグの後ろから、「ぷりーん」「ぷりぷりー」「ぷるっぷるー」なんて声が聞こえてくるのだ。苦悩するニーレンバーグの少し後ろで、「プリンぷるぷる」などと言っている錬金術師が、上級ポーションの10本や100本、ちゃっちゃと作ってくれるだろうに。
「あー……と、そういえばご存じですか? ディックが次の『海に浮かぶ柱』の討伐に参加するのですが、魚人のポリモーフ薬を30本使用するらしいですね」
マリエラたちとは守秘契約があるから言えないが、マルローは聡明なニーレンバーグなら気が付きそうな話題を振ってみる。
「あぁ。ポリモーフ薬自体がレアなものだ。しかも都合よく魚人のものが30本も手に入るとは。錬金術師がいる帝都ならばまだしも、この迷宮都市でだ」
「えぇ、本当に。注文しなければ手に入らないポーションが、手に入るとは!」
「何が言いたい? ……まさか!?」
(そうです。そのまさかが貴方の後ろでプリンを食べているのです)
言いたい。ものすごく言いたい。だが、マルローにできるのは意味深げに頷いて見せることだけだ。
ちなみにニーレンバーグの背後の錬金術師一行は、プリンを食べ終わってしまって、乗っていたサクランボの柄を口の中で結ぼうと3人そろってもごもごしている。
「どうやるの、ジーク?」「べぇー」「べぇー」
等と騒いでいるから、ジークが結んでみせたのを見て、チャレンジしているらしい。
静かでいいが平和すぎる。
「……それが真実だとすれば、アグウィナス家が今まで納めてきたポーションの質や種類のばらつきも納得がいくものではあるが。だが、本当に。まさか、そんな奇跡が……」
ニーレンバーグの脳裏に、マルロー達が持ち込んだ最初の60本のポーションがよぎる。
あのポーションを使った時から違和感はあった。まるで作ったばかりのような効き目の高さは、長く保存されていた物とは思えなかった。そして、レオンハルトの石化を解いた上級特化型の解呪ポーションやリジェネ薬。長く苦戦を強いられたキングバジリスクを討伐せしめた大量の聖水。
ニーレンバーグは、まるで奇跡的な存在が降臨した瞬間に立ち会ったような心地がしていた。
「わ、できた! 見て見て、結べた! すごいー、奇跡ー!」
「きせきー」「きせきー」
ニーレンバーグの後ろでは平凡な少女たちが、サクランボの柄が結べた程度のことで、奇跡だと大はしゃぎしている。
「フッ。奇跡か……」
ニヒルな笑いを浮かべるニーレンバーグ。
(ニーレンバーグ先生、マリエラさんたちを笑ってますけど、その人こそが貴方の言う奇跡なんですよ!)
言いたい。めっちゃ言いたい。というか、もう少しで吹き出してしまいそうだ。
けれど、ここまで真実に踏み込まれた以上、制約のあるマルローはもはやウンともスンとも応えられない。
「今後の対応などもありますし、一度ウェイスハルト様とご相談されてはいかがでしょうか」
こう言ってはぐらかすのが精いっぱいだったが、ニーレンバーグが意図を理解してくれたおかげで、マルローは何とか笑いをこらえることができた。
「邪魔をしたな」
目の前に置かれた琥珀色の酒――、ではなくアイスティーをぐっと飲み干すと、ニーレンバーグは『ヤグーの跳ね橋亭』を後にした。
扉をくぐる彼の後ろから、「きせき」「きせき」と笑いさざめく少女たちの声が彼の背を押していた。
これは、ジャック・ニーレンバーグの愛娘、シェリーが奇跡の薬によって笑顔を取り戻す、ほんの少し前の話だ。




