金貨がざくざく入ったら(4章後編)
「お口の中で鶏肉がほろほろ崩れるトマト煮込み」
ちらり。
「とろっとろのやわふわに煮込んだオークの煮豚!」
ちらちらり、じー。
「でっかいお肉ごろんごろんのビーフシチュー!!」
じいいいぃっ。
この場合、どういうリアクションを取るべきか。
ジークの方をちらちらと伺いながら煮込み料理を連呼していたマリエラだったが、最後はジークをガン見しながらシャウトしてきた。
人並み以上のモテ期を経験済みのジークにも、想定不能な肉アピールだ。あまりにも前例がなさすぎる。
「…………おいしそうだな、マリエラ」
「!! だよね! ジークも食べたいよね!」
ぱあっと顔を輝かせるマリエラ。悪くない感触だ。
第一答は何とか合格。この調子で、この難解な問答を正解に導かねばなるまい。
「特に、オ……ビーフシチューなんていいな」
「うんうんうん。食べたいよね。作るのにすーっごく時間がかかるけど、いろいろアレンジがきくからいーっぱい作ると便利だと思うんだ!」
マリエラのことだからオーク肉かと思ったが、ビーフシチューが正解らしい。想定不能な言動の割に表情が読みやすくて助かった。
作るのに「すーっごく」時間がかかり、「いーっぱい」作りたいらしいが、いったい何を望んでいるのだろうか。
「ミノ肉? ミノタウルスを迷宮で倒し……」「ミノ肉は市場で切り売りしてくれるんだよ!」
「付け合わせの魔物野菜……」「魔物野菜でも普通のお野菜でもおいしく作れそうだねぇ!」
「……赤ワインか!?」「赤ワインならジークの棚に入ってるでしょ!」
材料の調達依頼かと思いつくまま材料を述べてみるが、すべて食い気味に否定されてしまう。というか、マリエラはジーク秘蔵の赤ワインをシチューにぶち込むつもりなのか。黒鉄輸送隊から回してもらった結構高いやつなのに。
(なんなんだ……、俺は何を試されている……!!? ビーフシチューの材料なんてこれ以上知らないぞ……)
混乱しているジークは秘蔵のワインの危機にも気付かず、マリエラなぞなぞに頭を悩ませる。ビーフシチュー、煮込み料理。その共通点、連想するものは何なのか。
「………………鍋?」
「そうなの! 寸胴鍋があると便利だと思うのよ!」
え? 買えば?
口から出かかった言葉をジークは飲み込む。相手は金貨に目がくらみ「スライム全種そろえちゃおっかな」なんて言い出したマリエラなのだ。
あの時は、生き物の世話は大変だからと説得し必要な溶解液だけ購入させたが、あの時と全く同じ表情で金貨袋を握りしめ、ずんどうな少女が「すんどうなべ」とつぶやいている。
「今日は早めに店を閉めて、一緒に買いに行くか」
「うん!」
気を引き締めていかねばなるまい。
ジークはマリエラから金貨袋をそっと取り上げ、早めの店じまいにかかるのだった。
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「すいませーん、寸胴鍋が欲しいんですけどー」
マリエラの呼びかけに、「いいのがあるぜ」と野太い声が返事する。
マリエラとジークがやってきたのはドワーフ街にある金物屋。鍋やフライパンといった調理器具を専門に扱う店だ。
「お嬢ちゃんが使うのか? だったら胴径はこいつだな。待ってろ、すぐに底を抜いて着られるように改造してやるからよ」
「いや、料理に使うんで。底抜いたらシチュー作れないし」
「じゃぁせめてミスリルコーティングを……」
「魔法を防ぐんでしたっけ? 炎を防いで、熱を通さなくするんですよね。煮えない鍋とかいりませんから。防具じゃなくて、普通の! 鍋が! 欲しいんです」
「なん……だと」
マリエラの体形にシンデレラフィットしそうな鍋を掴んで固まるドワーフ店主。今回は寸胴鍋を鎧に改造するつもりらしい。この店では毎度おなじみの光景だ。
この店主、調理器具を作らせたなら迷宮都市随一なのだが、本人は武器や防具を作りたいらしく、客が来るたびヘルメット代わりになる小鍋とか、盾代わりになる鍋の蓋とか、こん棒代わりのフライパンをお勧めしてきて、マリエラも実はいくつか持っている。
ミスリルコーティングなど、安価な鉄器に魔法防御を付与できるかなり高度な技術ではあるが、火炎防御の鍋なんて煮えない代物、鍋の意味がないじゃないか。
そんなに武器防具が作りたいなら、そちらの職人になればいいのだが、彼の才能はなぜか調理器具限定で武器や防具は三流品しか作れないらしい。ちなみに鍋を改造して鎧にしても普通の鎧以下の性能らしく、日々客たちに魔改造を断られてはしぶしぶ調理器具を売っている。
「普通の寸胴鍋なら、あっちの隅に転がってる。勝手に見てけ」
調理器具を買いに来たと分かるや、途端にやる気のなくなる店主。積まれた鍋を顎で示し、ぶっきらぼうに客を突き放す様子は、頑固な職人然とした苦み走ったかっこよさを醸し出しているのだが、騙されてはいけない。彼は拗ねているだけなのだ。
「わー、いろんなサイズがあるー。
アプリオレの灰汁抜きにはこのサイズ、煮込み用にはこっち、……作り置きするならもう少し大きいこっちでもいいかな」
ご機嫌で寸胴鍋を選ぶマリエラと、隙なくあたりを警戒するジーク。
今のところは順調だ。危険はないし、マリエラの選ぶ鍋だって常識の範囲内だ。「選べないから全部買う」などと言い出さない限り、鍋くらい2個でも3個でも買えばいい。
拗ねてそっぽを向いたドワーフ店主が、離れて置かれた鍋にちらちら視線を送っているのが気になるが、幸いマリエラは気付いていない。
「これと、これかな。あ、底まで届く柄の長いお玉も欲しいかも」
選んだ鍋をジークに預け、マリエラはふいに方向転換をする。
「……あれ、このお鍋」
(いかん、マリエラ! その鍋は……)
「その鍋はな!」
ジークが阻止するより早くマリエラが地雷を踏み抜き、爆発的な速度で復活した店主が鍋のそばまで駆けてきた。
「その鍋はなんと! 入れたものを腐らせる、腐食の呪いの鍋なんじゃ!!!」
「マリエラ、会計済ませて帰ろうか」
「そうだね、ジーク」
寸胴鍋に張られた値札を確認し、代金を取り出すジーク。値引き交渉などしない。さっさと『木漏れ日』に帰りたい。
「まぁまぁ、まてまて。でかい鍋は持ちにくいだろ。包んでやるからほらほらほら」
マリエラの選んだ鍋となぜか呪いの鍋を持ち、素早く会計台へ移動する店主。ジークが代金を取り出している僅かな時間の出来事だ。この動き、ただ者ではない。こういう人物がそこここにいるのだから、迷宮都市は侮れない。
「この鍋はなー、元は呪いの剣だったんだ!」
「ヘー」
「倒した相手、動物でも魔物でも死肉を腐らせる呪いでな」
「ハァ」
なんて迷惑な呪いだ。肉を腐らせるなど、素材も食料も調達できないではないか。ごくごく一部の対人戦を生業とする後ろ暗い職種の人には利用価値があるかもしれないが、彼らだって毒やら麻痺の呪いの方が使い勝手がいいだろう。
「まぁ、大して強い呪いでもねぇし値段もつかねぇ。溶かせば呪いも消えちまうから、鉄屑になるのが落ちなんだがな」
「ホー」
近くの小物を物色しながら生返事を返すマリエラをしり目に、ゆっくり鍋を梱包しながら店主は話を続ける。緩衝材を挟みつつ、大鍋の中に小鍋を入れて丁寧に梱包していく。
マリエラの興味のなさに安心したジークは、近くの棚に並んだ切れ味のよさそうな包丁を眺める。なかなかの業ものだ。
「だがしかし! その呪いを活かしたままで! 鍋にすることに成功したんだ!」
「フーン」
呪いの転移。ミスリルコーティングよりすごい技術なのだろうが、このドワーフに限ってはどうせ調理器具限定だ。
「まぁ、呪いの効果はだいぶん薄れちまったんだが、すげぇんだぜ、この鍋に入れるとどんな料理も一晩もすりゃあ腐っちまってカビッカビだ!」
あぁ、やはり。見た目は普通の鍋なのに、中身を腐らせるとは鍋の風上にも置けないやつだ。
「それ、鍋の意味ないですよね。何に使うんですか」
「………………罠、とかかな!?」
鍋じゃないじゃん。
視線で語るマリエラに、店主は寸胴鍋の包みを押し付ける。
「値切りもしねぇで寸胴鍋を二つも買ってくれたんだ。こいつはおまけしておくぜ!」
「いらん!」
ジークが断りを入れた時にはすでに遅く、呪いの鍋は入れ子状に梱包された寸胴鍋の一番奥に仕込まれて、マリエラの腕の中だった。
(……しまった。包丁に目を向けた隙に)
ゆっくりと梱包していたと思ったら、ジークの視線がそれた隙に怒涛の高速梱包だ。
迷宮都市の客相手に迷惑アイテム押し付け技術を磨いてきたのだろう。やはり、迷宮都市は侮れない。
「ジーク、帰ろう」
「そうだな。鍋、持つよ」
「毎度あり!」
ご機嫌な店主に見送られ、マリエラとジークは店を出る。
(もっと強くならねば……)
金物屋の店主相手に己の未熟さを痛感させられたジークの足取りは重く、対するマリエラは、なぜかご機嫌な様子で足取り軽く歩いている。
「すまない、マリエラ。変な鍋を押し付けられて」
「ん? あの鍋、たぶんだけど、すごく便利なアイテムだよ? だって、カビが生えるんだよ」
「カビ?」
カビというのは生き物だ。つまりあの鍋の呪いは、腐敗ではないのでは。
マリエラの読み通り、呪いの鍋で一晩おけば中身は腐ってカビてしまうが、パンの種を入れて数分置けばパンパンに膨らんでいるし、じっくり寝かせる煮込み料理もこの鍋に入れると数刻で出来上がった。
「なんだか呪いっぽくない感じがしたし、中に入れたものの醗酵とかを早めてくれるんだろうねぇ。ナイフとか入れても錆さびにならないのが不思議だね」
調理器具限定で発揮されるドワーフ親父の能力、恐るべし。
念のため、解呪のポーションを使ってみたが機能に変化はなかったから、この鍋はもはや呪いのアイテムではない。時間管理は必須だけれど、便利な時短アイテムだ。
「むふふ、寸胴鍋で作ったビーフシチュー、おいしーい。堕落の味!」
「堕落の味?」
そう言えばマリエラは、ただ鍋を買うだけなのにずいぶんとジークの様子をうかがっていた。
「えぇっとね、錬金術師たるもの、鍋に頼ってはいけないんだよ」
「?」
「煮込み料理を《錬成空間》で作ってこそ一人前だから」
「……それは、師匠が?」
「うん。寝てる時も《錬成空間》を維持できなくてどうするって言ってた。せっかくシチューを作りかけたのに、寝てる間に《錬成空間》解けちゃって、朝起きたら床に散らばってたのは悲しかったなぁ……」
それは絶対違うと思う。そもそも《錬成空間》で料理を作るなんて聞いたことがない。錬金術スキル自体は平凡な物なのだ。そんな芸当が当たり前にできるなら、野営専用の料理人だとか、《錬成空間》を用いた工業生産の生産施設だとかで、錬金術師は大活躍しているだろう。
「……そうか」
「そうなの。でも、お鍋便利だから、買っちゃった」
ジークの「そうか」に理解を得られたと思ったマリエラは、鍋を眺めてテヘッと笑う。もっともジークの「そうか」の意味は異なる。
(そうか、マリエラもとてつもない修行をして来たんだな)
金物屋の主人に出し抜かれ、マリエラの厳しい修行を垣間見たジークは己の未熟をかみしめる。
(もっと精進しなければ……!!)
決意を新たにするジークをよそに、マリエラはご機嫌で新しい鍋を磨いていた。
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さらに、後日。
「うっめー! このビーフシチューうまいな! マリエラお替りある!?」
「台所のお鍋にちょっとだけ残ってたかな?」
マリエラのシチューを平らげたリンクスは、勝手知ったる『木漏れ日』の台所にお替りをよそいに行く。
「うわ、ほんとにちょっとだなー。ん? こっちの鍋は……。こっちにもちょっとだけ残ってるじゃん。もーらいっと」
寸胴鍋に残ったシチューだけでは足りないと、小鍋にわずかに残ったシチューまでよそうリンクス。その鍋が何なのか、残ったシチューが少し黒ずんでいることにも、料理をしないリンクスは気が付かない。
味がおかしい気もしたが、旺盛な食欲ですべて平らげ、ご機嫌で仕事に戻っていく。
「あれ……、なんか腹の調子が……」
『木漏れ日』で昼食をとった数時間後、リンクスは『鍋の呪い』に襲われて、たまたま仕事で顔を合わせていたジャック・ニーレンバーグの魔の診察を受ける羽目になった。
このたった一度だけ、呪いの鍋は作り手の思惑通り『罠』の仕事をしたのだが、そのことを知る由もない金物屋の親父は、今日もしぶしぶ立派な鍋をこしらえている。