白の仔ら-⑪ まぼろしの
「うっわ、珍しい! オヤジ茸じゃない。どうしたの、コレ」
リンクスが持ち込んだ、超が付くレア茸にマリエラが声を上げる。
オヤジ茸。
つぶらな瞳とあご髭に見える底辺の毛状菌糸が特徴的な魔物茸だ。名前の由来は、この外見ゆえに他あるまい。
この茸、魔物らしく人を見ると眉を吊り上げ威嚇するのだが、あまりに瞳が愛らしいため、全くちっとも怖くない。どんな声で鳴くのだろうと興味をそそられるビジュアルなのに、髭はあるのに口はなく、目ヂカラだけで痛くもかゆくもない攻撃をしてくる大層無害な茸である。
だがしかし、激レアなのには訳がある。
弱さにおいて比肩する茸のないこのオヤジ茸、周りの植生を元気づける作用があるのだ。
迷宮第5階層『眠りの森』の巨木や大量の茸は、迷宮だからというだけでなく、このオヤジ茸の影響だと言われるほどだ。
そして、素材として用いれば、水を極上の酒に変える奇跡の茸と囁かれている。ただし、あくまで囁かれているだけだ。
最弱にして森にとって最重要なオヤジ茸。
どこかの錬金術師を思わせなくもない位置づけのこの茸は、森に守られ隠されて、めったに見つけることはできないレア素材だ。今回は、茸の増殖を気にしたガーク爺が見つけて採取し、たまたま買い付けに来ていたリンクスがマリエラのところへ持ち込んだらしい。
「ガーク爺はさ、この茸は水を酒に変えたりしないって言うんだ。これって、オヤジ茸で間違いないよな?」
人間という生き物は、往々にして真実よりも自らの信じたいことを信じるものだ。
水が酒になるなんてただの伝説だと言われても、リンクスは納得しがたかったのだろう。意外とピュアな所がある。酒は飲むのに心は少年のままなのか。
だがしかし、お子様な言動のマリエラは、こういうところは現実的だ。少年の夢を理解しないと言い換えてもいい。
「うん。間違いなくオヤジ茸だね。でも、ガーク爺言う通り、水をお酒に変えたりしないよ。この茸はね、他の茸の効能をすっごく引き上げてくれるんだよ。使い方によっては危ない茸なんだけど、よくガーク爺が売ってくれたね?」
「あー……。まじかー」
バッサリ切り捨てる回答にリンクスはガッカリしたようだけれど、ガーク爺に加えてマリエラにまで否定され、ようやく受け入れてくれたらしい。
ちなみにこのオヤジ茸、マリエラに譲渡することを条件にタダで譲ってくれたらしい。
「まぁ、嬢ちゃんなら悪用はせんだろ。珍しいもんなのは間違いないしな。捨てるよりマシだ、持ってってやれ」
とのことらしい。随分と信用されたものだと嬉しくなってしまう。
「オヤジ茸はね、水をお酒にするんじゃなくて、茸の薬効をすごーく高めるんだよ。
迷宮の茸にはたいてい毒があってね。市場に出回ってる食用キノコも、実はすっごく弱い毒性があるんだよ……」
マリエラも御用達の『眠りの森』では、毒茸や魔物茸、素材になる茸だけでなく、市場に出回っている食用キノコもたくさん採れる。迷宮都市の茸はほとんどここが産地だ。
保存用に乾燥させた食用茸を厨房のテーブルに並べながら、マリエラが話を続ける。
「例えばコレ。焦がすと軽い興奮作用がでるの。程度は紅茶2~3杯分くらいで、ちょっと元気が出るくらい。
こっちは、爽快感っていうのかな、一度乾燥させてからオークとかの脂で加熱すれば、お酒をちょっと飲んだみたいな感じになって、リラックスできる。これは、すごく軽い麻酔作用。お酒と一緒の場合だけだけど、怪我の痛みを和らげてくれるの」
「どれもいい効果じゃねーの?」
毒だと言っていた割に、マリエラの上げた効果はどれも有用なものに思える。程度も食事の延長程度で効きすぎるようにも思えない。
「そこに、このオヤジ茸の登場です。ジーク、半分をみじん切りにして、お鍋に入れてくれる?」
「分かった」
まるで出汁でも取るように、刻んだオヤジ茸を鍋に入れ、水からゆっくり加熱していく。
同時に先ほど説明した茸をある物は炙って焦がし、ある物はオークの脂で揚げ、あるものは砕いて料理酒であえた後、煮立ったオヤジ茸の鍋に放り込んでいく。
「なんか不味そうなスープだな……」
「失敗料理みたいだね。でもこれで完成~。浮いた油は捨てて茸を漉せば、はいっ、リンクスの言ってた極上のお酒の出来上がりだよ」
興奮作用に麻酔作用、爽快感を通り越した酩酊感に幻覚。
速攻で酔っ払いを製造する泥酔茸汁の完成だ。
《命の雫》なし、配合だって超いい加減でもできてしまうところが、タチが悪い。
「ウィスキーとかみたいに、水で割って飲んだ方がいいかも。お酒ほど体に悪くはないらしいんだけど。どんなだったか、後で教えてね」
お試しすることが前提なのか、マリエラは携帯用の蒸留酒容器に茸汁を入れて、リンクスに渡す。
「分かった。試してみる」
リンクスはスキットルを受け取ると、マリエラに聞こえない小さな声で「エド兄辺りで」と付け加えた。
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「だはははは!」
「ナニコレ、スゲー。ウメー! ヤベー、マジ、ヤッベー!!」
『ヤグーの跳ね橋亭』にディック隊長とエドガンの笑い声が響き渡る。
エドガンに至っては、先ほどから頭の悪そうな単語しか発しておらず、笑い転げながら口からジョッキから酒だか何だか分からない液体をビチャビチャこぼして、ものすごく楽しそうだ。
これが酒のせいならいつものことであるのだが、少量の茸汁の水割りでこのありさまだから、茸汁の危険度が知れようというものだ。
この、エドガンたちの惨状と、茸汁の危険性はリンクスの口からマリエラに伝えられたはずなのに。
「かーんせー! 茸汁、幻覚MAX!」
マリエラは茸汁の効果を聞いたその日の夜に、錬金術のスキルを駆使して数倍濃い茸汁を錬成していた。しかも、幻覚作用のあるものらしい。
「これだけ濃いいとね、匂いだけでも危ないから」
そんなことを言いながら、茸汁の上にオリーブオイルを注いでいる。油膜で表面を覆うことで、茸汁の変質や揮発を防ぐのだそうだ。匂いだけでもヤバイとか、どれだけ危険物なのか。
「その特濃茸汁はどうするんだ?」
「ん? 材料だよ。前言ってた『風見鶏のポーション』の。
船乗り御用達の、風の流れが視えるっていうマイナーポーションだよ。
ほら、シュッテとアウフィにあった場所で、『風切り穂草』採取したでしょ。あれから作れるの。
幻覚を見せる素材なら他のものでもいいんだけど、この幻覚茸汁なら効果の高いポーションが作れそう」
いい素材が手に入ったと、茸汁を手にほくそ笑むマリエラ。
対するジークはしばらく考えた後、浮かんだ疑問を口にした。
「ポーションは造られた地脈から離れたら、効果を失うんだよな?」
「うん。船乗りがお守り代わりに持つポーションだからね、効果が飛ばないように専用の保管庫に入れるんだろうけど、常飲するものじゃないし、飲む時まで《命の雫》の効果が続いてるかはわかんないよね」
傷を癒すポーションのように生活に根付き、製法が研鑽されてきたメジャーポーションと違って、用途や地域が限定されるマイナーポーションは眉唾なものも多い。
それでも、錬金術の《ライブラリ》にレシピが乗っているのだから相応の効果はあるのだろうが、地脈が変われば効果を失うポーションと大海原を渡る船乗りはどうにも組み合わせが悪い。
「……《命の雫》を使わない幻覚茸汁が原料の一つ……」
ポーションの効果があるかどうかが怪しい液体。それは、つまり。
「これを飲んで助かったっていう船乗りの人は、本当に風を見たのか、ただの幻覚だったのか怪しいよね。まぁ、マイナーポーションなんて、こんなものだよ。
いつもなら作らないけど、一番珍しい材料の風切り穂草があるからね、本当に風が見えるのか、それともただの幻覚なのか試そうね」
あははと笑うマリエラ。その回答は『風見鶏のポーション』の幻覚作用を肯定したも同然だ。
「分かった。試してみよう」
ジークは“今日はここまで”と茸汁の瓶を取り上げると、マリエラに聞こえない小さな声で「リンクス辺りで」と付け加えた。