白の仔ら-⑧ 山の供物
「よいしょっと。……もうすこし、なんだけど。あ、ジーク、ありがと」
棚の上に載せた焼き菓子に、マリエラが手を伸ばす。双子が盗み食いしないように高い棚の奥にしまったせいで、台に乗ってもあと少しだけ届かない。
見かねたジークが後ろからマリエラを抱え上げてくれたおかげで、無事にとることができたのだけれど。
「あーーっ!! ジークがマリを抱っこしてるー! シュッテもシュッテもシュッテもシュッテもーー!!」
「あーーっ!! ジークがエラを抱っこしてるー! アウフィもアウフィもアウフィもアウフィもーー!!」
そばで見ていたシュッテとアウフィが、我も我もと大騒ぎだ。あまりに大きな声で騒ぐものだから、通りがかりの人まで何事かと店をのぞいては「おや、まあ」だとか、「まぁ、仲がいいのね」なんて言葉を残しては去っていく。
『木漏れ日』を訪れていたエルメラさんの視線もたいそう生暖かいから、マリエラとジークは大層居心地が悪くなってしまった。
「……ジーク、降ろして」
「……あぁ」
「次、シュッテ! シュッテったらシュッテなの!」
「次、アウフィ! アウフィったらアウフィなの!」
ぎゅー。ヤキモチを焼いたシュッテがジークの右足、アウフィが左足の靴の上に乗っかって、脚にしがみついてきた。
「落ちるなよ」
双子を足の甲に載せたまま、のっしのっしとジークが歩くと、双子は先ほどまでのふくれっ面はどこへやら、きゃっきゃと笑ってご機嫌になる。
「本当に可愛い。うちの子たちが小さい頃を思い出すわ。でも、本当に真っ白なのね」
二人の男の子の母親でもあるエルメラが、仕事中のキリリとした表情とは別人のような穏やかさで双子の様子に目じりを下げている。
『木漏れ日』でお茶を飲んでいる様子からは想像もつかないけれど、エルメラは迷宮都市を代表するAランク冒険者、『雷帝』エルシーその人だ。今のひっつめ髪もカッチリとした服装も“静電気対策”だというから、『雷帝』の能力は日常生活にかなり影響するのだろう。その血を受け継いだ幼い子供の養育は、それはもう大変に違いない。
シュッテとアウフィのわんぱくぶりに、マリエラは戦々恐々なのだけれど、エルメラからしてみれば微笑ましいレベルでしかない。
「本当にいい子たちね」
どこが。
マリエラの無言の問いをスルーして、エルメラが話を続ける。
「お父様のお話を思い出すわ。お父様は、迷宮都市の北の山々に住む山岳民族と友好関係を結んだおかげで商いに成功して、シール商会を立ち上げたんです」
お茶をゆっくり楽しみながらエルメラが語ったシール商会立ち上げにまつわる話は、とても不思議なものだった。
***
迷宮都市の北部には険しい山脈地帯が広がっている。そこに住むドワーフ領は有名だけれど、その手前の山々には山岳民族の集落がいくつか点在しているらしい。
魔の森ほどではないにしろ、植生の豊かな比較的標高の低い山にはニードルエイプのような魔物が生息している。魔物の生息地を避けて高山に住む山岳民族は、いくつかの集落に別れてヤグーを飼い、聖樹の生える場所を転々としながら暮らしているのだそうだ。
冬の厳しい時期には、雪の浅い南の方へ、春になればヤグーの餌場になる草場を北へと移動していく生活様式だ。
彼らの住居は山岳地帯に点在する聖樹の周囲で、魔獣を寄せ付けないわずかな土地は彼らにとって生命線だから、もともとよそ者に対して排他的ではあった。それが絶対的になったのが200年前の魔の森の氾濫だったという。
「魔の森の氾濫から逃げた人の多くが、山へと逃げたそうです。閉鎖的な山岳民族も、最初はエンダルジア王国からの避難民に手を差し伸べたといいます」
排他的であってもエンダルジア王国と多少の交流のあった山岳民族は、未曽有の危機に最初は友好的に手を差し伸べたのだろう。
現在の迷宮都市で、牛馬よりもヤグーが多く飼育されている現状は、彼ら山岳民族が迷宮都市の復興に協力してくれた証でもある。
そのまま山岳民族の暮らしに溶け込んで、一員となった者も多くいた。魔の森の氾濫の魔物の恐怖は鮮烈で、貧しくとも聖樹に守られる暮らしに安らぎを感じたのだろう。
しかし、人が集えばその分問題も多くなる。ましてや、異なる生活圏、異なる文化で暮らしてきたのだ。それに加えて、山岳民族の暮らしは、もともと貧しく厳しいものだ。
王国での豊かな暮らしに慣れ切り、変化に対応できない人々が次第に過剰な要求をし始めたのは想像に難くない。絶縁に至る経緯は伝わっていないけれど、エルメラの父が生まれた頃には、山岳民族は外部との交流を全く断ってしまっていたという。
「父ガロルドは外の世界への憧れが強い人でして、迷宮での薬草採取を生業とするおじいちゃま……ガロルドの父親とは折り合いが悪かったんです。
ある日、家にあった貴重な薬草を鞄に詰めこんで、家を飛び出したんだそうです」
思春期によくある家出と言えば可愛いが、ガロルドは家にいたヤグーに乗って、めぼしい金目の薬草をありったけ鞄に詰め込んで、迷宮都市を後にしたらしい。目指すは大都会、帝都。
「家出すると、みんな都会に行くんだね」
マリエラがちらりとジークを見ると、ジークは双子を連れて裏へと消えてしまった。若気の至りをつつかれるのは嫌なようだ。兎にも角にも、若者が都会を目指して家を出るのは昔も今も変わらないらしい。
ガロルドが山を目指した理由は単純で、ヤグーではさすがに魔の森は抜けられないというそれだけだ。行き当たりばったりで山岳経由の道なんて調べてさえいない。
盗んだヤグーで走り出す、道順も解らぬままというやつだ。15歳だったかどうかは知らないが。
「案の定、道に迷ってしまって途方に暮れていた時に、不思議な双子に出会ったんだそうです」
単身で家を飛び出すくらいだし、『雷帝』エルシーの父親だ。当然ガロルドも腕に覚えがあったのだが、双子の訪れに気付くことはできなかったという。
気が付けば、道を探すガロルドの後ろに、真っ白な二人の少女が立っていたのだ。
「おじさん、村がたいへんなの」
「おじさん、助けてあげてなの」
「おじさんじゃねーわ。俺はガロルドってんだ。まぁ、いいぜ、カワイ子ちゃんの頼みは断らねぇ主義だ。案内しな」
年のころは十代半ばというところか。シュッテとアウフィよりだいぶお姉さんな双子だったらしい。
いきなり現れた少女たちを不審に思わない訳ではなかったが、どのみち道に迷っていたのだ。これ以上悪いようにはならないだろうと、ガロルドが双子に案内を頼むと、二人の少女はヤグーに乗って何とか進めるような険しい岩場を軽々と飛び越え、山岳民族の住む集落へとガロルドを案内した。
その集落に立ち込めていたのは、濃密な死の気配だった。
つつましい家々の中には村人が横たわり、何日も世話をされていないのだろう、繋がれたままのヤグーはやせ細り、細い鳴き声を上げていた。
はやり病だ。
この病は知っている。村人の症状を見るに、迷宮都市でも猛威を振るったものと同じ病だ。そしてこの病の特効薬の作り方をガロルドは知っていた。彼の父が開発した薬で、迷宮都市で流行った折には有り余るパワーが枯れ果てるまで作らされたものだからだ。
あれほど嫌がり逃げ出したというのに、父に叩き込まれた知識と持ち出した薬草で、村人たちは一命をとりとめた。
「そん時初めて、くそ親父、やるなってちーっとだけ思った。ちーっとだけな」
とは、後日ガロルドが語った話だ。
「貧しい土地で生きていくために、山岳民族はいくつかの集落に分散して暮らしていて、その全てがはやり病にかかっていたそうで、ついでだからとお父様はすべての集落を回って治療していったそうです。で、全ての集落で治療を終える頃には、山岳民族とすっかり仲良くなったらしくて、それからも定期的に彼らに必要な薬や日用品を運ぶようになったのだそうですわ」
山脈経由で帝都まで荷を運ぶヤグー隊商は魔の森の氾濫後、重要な交易手段として発達してきたけれど、その荷に占める水や食料の割合は大きい。
山岳民族の集落を転々とするガロルドのルートは、日数こそかかるものの途中で補給が可能で水や食料に割く割合が低い分、効率が良かった。また、山岳民族の集落で仕入れた迷宮でも取れない珍しい素材やそれを使った工芸品で他のヤグー隊商と差別化が図れたから、結果的にガロルドの隊商の利益率は高く、堅実に財を増やすことができたのだという。
「この白い双子の話がきっかけになって、白い対の生き物が幸運の象徴として商人たちの間で語られるようになったそうです」
なるほど、とエルメラさんの話に納得しかけたマリエラだったが。
「あのー、白い双子はどうなったんですか?」
肝心の双子情報が途中から消えているじゃないか。
「それが、お父様を最初の集落に案内するまでは確かにいたらしいんですが、気が付いた時にはいなくなっていたそうなんです。“えらい美人だったのに残念だ”なんてお父様は笑ってらっしゃるんですけど。集落の人に聞いてもそんな双子はいないという話で。ただ……」
「ただ?」
『木漏れ日』の店内に、ほかに客がいないことを確認し、声を潜めてエルメラは続ける。
「これは、ココだけの話ですよ? 山岳民族の集落には、白い対の獣が時折訪れるのだそうです。魔の森の方からやってきて、集落の聖樹の木陰で一休みして、山の奥深くへ去っていくそうなの。山岳民族はその獣を山の供物と呼んで、決して手は出さないのだとか」
「山の……供物」
なんだか生贄みたいで不穏な呼び方だな、とマリエラは思う。
もっとも供物という言葉には、血なまぐさくない意味合いもあったと思うのだけれど。
山を目指して風の通り道を進む白い獣たち。シュッテとアウフィも山へ向かうと言っていた。関係がないと考える方が不自然だ。こんな話をしたということは、エルメラもうすうす気が付いているのだろう。
「お父様に話を聞けたらいいのですが今も放浪癖は健在でして、帝都の店をお母さまに丸投げして行方不明なんです。まったく、いい年してどこをほっつき歩いているのやら」
ちなみに、エルメラさんには二人のお兄さんがいて、長男ガンドルフが迷宮都市のシール商会を継ぎ、次男エンドルクはヤグー隊商を営んでいるそうだ。
「それで、エルメラさんが商人ギルド薬草部門長って、すごい一族ですね」
エリート一家でびっくりしてしまう。
「いいえ。兄たちはどちらもいい加減で……。お父様もですけれども、母や義姉がしっかりしているから持っているようなものなんですよ」
感心しきりのマリエラと対照的に、エルメラさんはとても渋い表情で、きゅっと眼鏡を上げている。キリッとした表情をしているが、薬草部門長がこんな昼間っから『木漏れ日』でお茶をしていていいのだろうか。
そういえば、薬草部門にも緩いようでしっかりした人がいたはずだ。
噂をすればなんとやら。マリエラが心で思っただけだというのに、『木漏れ日』の扉が開いて、薬草部門の副部門長、リエンドロが現れた。
「あー、エルメラさーん。またこんなところでー。やらかし部門長の尻ぬぐいで大変なんですから、そろそろ戻ってくださいよー。刈り取りすぎた薬草の植栽計画に、不当廉価での買い取りの穴埋め計画に、地下大水道の清掃計画に、あぁ、あと、やらかし部門長が予算でもやらかしてたのが見つかったんで、一斉点検はいるらしいですよー」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~」
やらかし部門長とは、先日エルメラさんが『木漏れ日』でクダを撒いていた建材部門長のことだろう。やらかすだけやらかして、その尻ぬぐいはやっぱりエルメラさんに回ってくるらしい。
先ほどまでのキリッとした表情はどこへやら。
薬草部門の裏ボス、リエンドロさんに見つかったエルメラさんは、情けない声を上げながら、商人ギルドへと連行されていった。