第3話 この世の成り立ちは複雑なのだ。
この世界は『魔素』と呼ばれる微粒子で満ちていた。
魔素は酸素や窒素などと一緒に空気を構成し、呼吸で身体に取り込まれる。
人々はその取り込んだ魔素を使って魔法を使い、体内で害悪となる魔素を分解するのだ。
「普段使用している魔素についての大まかな知識はこんなものだ。ちゃんと理解したか?」
「はい、先生」
「先生って……なんだか聞いてて気持ちが悪いな」
その言葉にガルは戸惑う。
「でも、僕はあなたを何と呼べばいいのかがわからないんです」
「なら、先輩でいいじゃないか」
「先生って呼ぶのとニュアンスはあまり変わらないと思うのですが……」
「先生よりかはずっといい」
バシッとそう断言されてしまうと、それ以上反論することもできなかった。
「わかりました、先輩。授業の続きをお願いします」
「……………………」
「まだ何かありますか?」
先輩呼びに改めても、まだ不服そうな顔を浮かべているレイラに向かってガルは問いかけた。
「あの……何でしょうか?」
「その口調も……な。もっとこうフランクな言い方でもいいんじゃないか?」
「いえ、それは嫌です」
ガルにとっては安全どころか、ガルに不足していた生活の術や知識まで教えてくれるというのだ。恩師たるレイラに向かって、『フランクな言い方』なんてものはできる訳がなかった。
「……そうか。なら、このまま授業を再開するが」
そう言いつつも、レイラは綺麗な眉間にしわを寄せたままだった。
レイラはガルの目の前で空中に色のついた文字を書いていく。
空中にカラフルな文字だけ浮いている光景が、緑豊かなこの土地にマッチしていて実に映える。
「で、さっきの話の続きだが、この世に魔素は多数存在するが、その中でも人間に影響を及ぼす魔素が、普段利用している魔素以外にも四種類存在する」
知っているか、と尋ねるレイラにガルが返す答えは当然、ノー。
想定内だと頷くレイラは丸太の椅子に腰かけると、ゆっくりと説明を付言していく。
「この世には、禁忌の四大魔素というものが存在する。一つは饕餮。全てを喰らう魔素と言われている。次に窮奇と檮杌だが、この二つは私もよく知らない」
「先生でも知らないことが……」
「当然だろう。私の知識は自力で覚えたものに過ぎない。ただ、物覚えには自信があるんだ。十年経った今でも、こうして教えられるぐらい詳細に文書の内容を覚えているよ」
「十年前……?」
「そうだ。十年前はこんな荒れ果てた世界じゃなかった。土壌や河川が魔素に侵されているような世界ではなかったんだ。それはお前の記憶にも残っているだろうが」
「もしかして、僕のこの前世の記憶って……」
「人間が文明を築き上げ、魔法と科学を有益に利用できていた時代のものだろうな」
レイラは当時を思い返して、少し笑うも、ガルには伝わらない。
「まぁ、その頃の話は今度だ」
「そうですね。四大魔素の残り一つがわからないままですから」
「言っても、お前はもう既に知っているんだけどな」
そう言われてもガルはピンとこなかった。はてなマークを頭上に掲げて、わかりやすく首を傾げる。
「お前の安全を脅かしている元凶こそ、十年前封印を解かれて世に解き放たれた四大魔素の一つ。渾沌の魔素だよ」
「……え…っと」
「四大魔素の説明から入ろうか。人体への有害性故に、古代魔法で封印された四つの魔素を禁忌の四大魔素とそう呼ぶんだ」
と、そこでガルが「あの…」と話を遮るように口を挟んだ。
「それって普通の魔素とは違うのですか?」
「あぁ、もちろん。普通の魔素も渾沌の魔素も、人体に害を及ぼす事は変わらない。異なる部分は二つ」
ガルはゴクンと音を鳴らして、唾を飲み込んだ。無意識に緊張してしまっている証拠だった。
「一つは、『渾沌の魔素が通常魔法に使用できない』ということだ」
「それは……何か困るのですか?」
魔素が人体に害を及ぼす事はガルも知っている。だからこそ、日々何かしらで魔法を使用し、体内にある魔素を除去するのだ。けれども、具体的に魔素が身体に何をするのか知らなかった。
「魔獣を見た事はあるな?アレは魔素を吸い込みすぎた動物が変化したものなんだ」
「それは人間も……ですか?」
「当然、例外じゃない。人間だろうと何だろうと、動物は魔獣になり、植物は魔枯れする。魔獣は大抵肉食動物に変化し、魔枯れした植物は基本的に葉や幹が脱色して生長が止まる」
「渾沌の魔素が通常魔法に利用できないとなると……」
「渾沌の魔素ゆえの使い方をするしかない」
「……それが」
『洗脳』なのだと、言われる前にガルは理解した。
「そして、この世の秩序を乱すことになった一番の理由が、渾沌の魔素は女性しか体内に取り込めないことにある。それが異なる部分の二つ目だ」
だからこそ、男性が女性に支配される世界が構築されたのだ。
女性が男性を思うがままに操る世界の完成。その原因を知れたことに、何故だかガルは安心を覚えていた。
「女相手には『洗脳』は使えないんだ。取り込んだ渾沌の魔素の量にかなりの差があれば、また違うだろうが、そんな一歩間違えば魔獣化するような行為は基本しないだろうからな。それゆえに、男だけが標的にされる訳だ」
「それで男だとわかった瞬間、女性は追いかけてくるんですね……」
「渾沌の魔素は呼気と一緒に人体を出入りする。生活しているだけで、大量の魔素を摂取してしまうんだ。けれども、『洗脳』できる男の数には限りがあるからな」
「だから、取り合うように血走った目で僕のことを……」
「彼女らも生きるのに、必死だったんだろう」
そう言われて複雑な感情を覚えてしまうガルに、レイラが「気にするな」と口にする。
空中に浮かべていた文字を右手で払うように消し去ると、レイラは外へ出て行ってしまった。
ガルはそれを慌てて追いかける。大きな疑問を抱きながら。
「先輩も……渾沌の魔素に侵される女性なのでは……?」
「あぁ、そうだな」
「でも、先輩は十年も生き延びているって……。もしかして、先輩がこの場所を他人に知られたくない理由と関係しますか?」
「やはり、お前は勘がいいな」
感心する様に少し無表情を崩すレイラ。
レイラはこの場所を『私にとって無くてはならない場所』と言った。つまり、レイラが生き延びるためにはこの場所が必要不可欠な訳で、それが渾沌の魔素の人体への影響を緩和するのに一役買うのだろうと、ガルは推測したのだ。
「まぁ、私が男を洗脳しないで済んでいるのは、この場所だけが理由じゃないけどな」
「それはどういう……」
「昨日も言ったろう?私も転生者だと」
度々口にされるそのワードに、ガルはまだ話に続きがあるのだと理解した。