第10話 この戦いで私は生き延びる。
「スース―寝息を立てて……。こいつは本当に私を警戒しないんだな」
呆れ半分、感心半分にそうレイラは口にした。
レイラはガルの髪の毛を触る。
髪の毛は魔素を吸収しないため、レイラでも髪の毛だけは直接触れることができた。
当然、皮膚に触れてはいけないため、髪の毛の先の方しか触ることはできないが、それでもレイラにとっては満足だった。
「こうして誰かに触れあうのは、一体いつぶりだろうか」
髪の毛に触っただけで、それを触れあいと呼ぶかどうかはさておき、レイラはいつもガルを見るたびにかつての記憶が蘇っていた。
渾沌の魔素に支配される以前の記憶。
レイラが『リーバス』の名に悩まされていた時代のものだ。
かつて、彼らはその膨大な魔素量で強大な魔法を用い、人々の厄災を尽く解決してきた英傑の末裔として崇められていた存在だった。
しかし、その魔素許容量が膨大過ぎるが故に、そして何よりリーバスたちの出生が恐怖を生み、そうして『人外』と見なされるに至ったのだ。
髪の毛が黒いことも理由の一つかもしれない。魔素を彷彿とさせる黒の髪を持つ彼らを認める人間はいなかった。
その頃からリーバスは身を寄せ合って生きてきたのだ。
そのためか、ガルから『リーバス』だと聞いて以降、自然とレイラの方もガルには気を許せてしまっていた。
「私はお前を傷つけたくなくて、あの質問をしたんだよ、ガル」
気付けばそうレイラは言葉にしていた。
ガルを悩ませる原因となった質問。
その質問でレイラがガルに聞きたかったのは、唯一つ。
『誰かの人生を奪ってでも、自分が生きていく覚悟があるのか』
ただ、それだけだった。
「わかっているよ。ガルの答えは。お前が自分の欲のために相手を傷つけることはしない……いや、できないはずだから。それがお前の優しさだ。でも、だからこそ私は怖いんだ」
撫でるのをやめて、弱く言葉を吐いた。
「お前がショックを受けることは目に見えているから……」
ただ、とレイラは自身の意見を否定する。
自分の身は自分のものだ。だから、ガル自身が覚悟を決めるべきで、それをレイラが悩むのは筋が違う。
「とりあえず、魔物の退治が済んだらだな」
レイラはそういって、ガルを厚手の布ごと床に寝かせると、眠りに就いた。
*
「いよいよ見えてきますよ」
「あぁ、警戒しろよ。魔獣が近くに潜んでいてもおかしくないからな」
「……はい」
ガルたちがいるのは、泉から二百メートル程離れた位置にある、その付近で最も高い丘の上だった。辺り一面緑の木々が生えているのが眼下に確認できる。
その中に、少し白っぽい色が混ざって少し開けた場所を確認する。
それが巨大な魔鉱石が中央にある泉だ。
「ありました。でも、魔物がどこにいるのかはまだわかりませんね」
「あぁ、そうだな……いや、まて。あのホワイトロードが途中で切れている部分がある。泉の西側から北側に移動しているんだ」
「じゃあ、自分たちは東側の方から回りますか?」
「その方が魔獣との遭遇は避けられるだろうからな」
それは、昨日の作戦でも言っていたことだった。
魔獣は人間を襲うときは機敏だが、それ以外は周りをうろうろすることが多く、その場を離れて移動することはあまりない。
そのため、魔獣と魔物の両方の相手をすることのないよう、魔物の位置を大まかにこの丘から確認し、その後、魔物への詰め方を考えようというのが昨日レイラが立てた方針だった。
「覚悟はいいか?」
「大丈夫ですよ」
「決まってなくても行かなきゃいけないがな。アレを二週間放置しただけでも、あの泉がなければこの辺り一帯は真っ白になっていただろうから」
「じゃあ、覚悟の有無なんて聞く必要なかったじゃないですか」
「そうだな」と言いながら、レイラが口角を上げる。
その様々な感情が詰め込まれていそうな笑みに、ガルも笑って答えた。
「先輩は僕の不安を気にする必要はないですから」
「わかった」
その言葉を契機にして、レイラは丘を駆け降りる。木々で身を隠しながら、泉の方を警戒しながら進んでいく。
近くに高濃度の魔素を確認することは、それ則ち付近に魔物がいることの証明に他ならない。
――と。
「あそこだ」
案外とすんなり魔物は見つかった。
先日見たとき同様、暗闇を身にまとっているような黒黒しさは健在。しかし、先日見た時よりは確実にその大きさが小さくなっている。
「先輩が言っていた通り、弱体化しているみたいですね」
「あぁ」
これならば、とガルは思った。
前回は遠目の確認だったため、正確にどの程度の大きさだったかは把握しきれなかったが、それでも顕著にわかるほど奴は収縮していた。
高さは二メートル弱程だが、体が細長いためあまり迫力はない。ガルでも一蹴りくらわせてやれば倒せそうな程弱弱しい。
「相手が弱っているからと言って、気は抜くなよ」
「わかってますよ」
「作戦通り、私から詰める。ガルはその間に奴の後ろへ回れ。詰めるタイミングは自分で決めていい。私が詰めたらお前は引け」
「はい!」
「よし、行くぞ!」
言葉と同時にダッシュをかけて、一瞬で魔物の近くまで寄ってしまうレイラ。
その素早い動きにガルは感心してしまう。
「(やっぱり、先輩はあの動きを狙ってできるんだな……)」
あの動きとは、先日レイラが魔獣を倒した動きのことだ。
レイラに魔獣の倒し方を教わっているときに、度々ダッシュのことも聞いていたのだが、言葉で聞いても理解は追いつかなかった。
「いけないいけない。今はそんな無駄な思考に費やしてる暇はないんだから」
気を緩めるな、とガルは自分に言い聞かせる。
弱ったとはいえ、相手は魔物。近づけば、大量の魔素が奴の体の中でうごめいているのを肌で感じる。
奴から漏れる強烈な濃さの魔素は、触れたら一瞬で意識が吹っ飛ぶ程のものだ。猛毒なんていうレベルじゃない。本当に一瞬で魔獣化してしまうのだ。
レイラは魔物から伸びるひだを鮮やかにかわしながら、魔物の体を魔鉱石の切っ先で切り裂いていく。そのたび、魔物の体がビクンと震えていることから、効果も申し分ないのだろうということが理解できた。
レイラが攻め込んでいる間に、ガルは予定通り魔物の後ろに回り込む。
「行きます!」
掛け声とともに、今度はガルが魔物に切りかかる。
昨日の作戦時、レイラから『魔物を切っても空を切っている感覚しかない』と言われていたが、まさにその通りだった。
それは、魔鉱石で素振りをしている感覚に近かった。
何かに触れている感覚すらしない。ドス黒く、吐き気の催されそうな程の魔素を発している癖に、本当に実体はないようだった。
ガルが攻めている間、レイラは一度引いて魔物から距離を置く。
ガルは男であるため、魔物の持つ魔素のうち、渾沌の魔素に関しては耐性があるがレイラは違う。
魔物の近くに居続ければ、それだけで魔獣化してしまう恐れだってある。魔鉱石を持っているから大丈夫……と思いたいが。
引いている間に、別の魔鉱石に持ち替えると、再度レイラは魔物に襲い掛かった。
「ガル、交代だ。引いている間、何かしらの魔法を使って体内魔素を減らしておけ」
レイラの言葉に「はい」とガルは素直に返事をする。
魔素の濃い場所で数分動き回っていたのだ。
ガルにも、かなりの魔素を吸い込んだ自覚があった。
魔法は人それぞれ得意な種類、つまるところ『適性』がある。
ガルの適性は『植草』。
言葉通り、草やツタを生やすことだ。植物の成長を早めることもできる。
女性から追われている間、周囲に溶け込むようなツタ植物を生やし、それで身を隠すことも多かった。それ以外の用途ではあまり使ってこなかったため、他にどういった使い方ができるのか把握しきれていないが。
「少し試してみるか……」
魔法の使い方は簡単だ。
ただイメージすればいい。どこから生えてきて、どの程度の規模の草で、どんな種類の植物なのかを具体的にイメージするだけだ。
ついガルは腕に力を込めてしまうが、それは別にしなくていいとレイラに指摘された。
「そういえば、先輩が何かしら詠唱した方が、そのイメージが魔法として変換されやすいって言ってたっけ」
生やす植物は何にしようかと思考を巡らす。
ここは水辺。水辺の植物は背丈が大きくなるが、ここらはそれ以上に背丈の高い木々が周りをかこっているため、芝生のような草が地面を覆っている。
ならば、とガルは「べニ・アシバ」と唱えてグッと右腕に力を入れる。
すると。
近くから、少し暗い緑色をした芝生がもこもこと生えてきた。
「本当だ。本当に詠唱した方がイメージが楽だ……」
疑っていた訳じゃないが、然程変わらないだろうなんて考えていたガルは、詠唱するだけで魔法が使いやすくなるとは想像もつかなかったのだ。
と、大量の魔素を消費したからか、ドッと疲れがくる。
その疲れを誤魔化すように一度目を閉じてから、目を開けた――
――ところ……。
「あれ、何でこんなに……」
泉のほとりに立つ魔物までは距離にして三十メートルはあるというのに、奴の足元には先程ガルが生やした芝生と同様の色をした芝生が見えた。
「そんなに魔素を使ったつもりはなかったんだけどな……。これは僕が詠唱をしたからなんだろうか」
そう不思議に思いつつも、今はまだ魔物との戦闘の最中。
魔物に物理攻撃は効かないため、結局魔鉱石での退治しかない訳で魔法のことを考えるのは時間の無駄なのだ。
「先輩、代わります」
そう言って、ガルは戦闘に戻るのだった。
いよいよ魔法が出てきます。
魔法を使った戦いがメインとなるのは、第2章からですが、少しは第1章でも出すかな……。
まぁ、今回は魔法がどんな感じで使うかの紹介です。第2章の伏線になっている部分もあります。
もう少し早めに更新するつもりだったのですが、更新が遅れまして申し訳ありません。