7自己紹介
「ちょ、ちょっとまって」
愛理はこの声をどこかで聞いたことがあるような気がした。少年は声変りを終えていない、子供特有のソプラノの声。とても耳に心地よく、聞いているだけで癒される。そんな声の持ち主が早々いるはずがない。こんなにも印象が残る声を誰だったか忘れるはずがないと。愛理は必死に声の主を思い出そうと必死に考える。
『僕のことを思い出そうとしているんだね』
愛理が必死に自分のことを思い出そうとしているのがわかったのか、しばらく声の主は自己紹介をするのをやめた。沈黙が続くが、どうしても思い出すことができない。
思い出せない悔しさに、愛理はつい、物にあたってしまった。どうにも口の先まで出かかっているのに、わからないもどかしさ。
「なんでおもいだせない、の」
八つ当たりとばかりに、ちょうど今日家の鍵を開けるためにランドセルから取り出した鍵をベッドに投げつけた。そこには、塩の入ったケースがついていた。
投げた瞬間に、記憶が走馬灯のように流れ出す。前にもこんな風に鍵をなげた。どうして忘れていたのだろうか。
「この声は、まさ、か。あの天使なの?」
『ご名答。まあ、僕は天使ではないけど、どうやら思い出したみたいだね』
ぼんと音がして、部屋が白い煙に包まれる。こほこほと咳をして、目をこすっていると、目の前に現れたのは。
「やっぱりそうだ。あの時の」
目の前には、事件の時に突然あらわれ、突然消えた謎の少年がいた。少年は宙に浮いていて、ぷかぷかと愛理のコロコロ変わる表情を見て、楽しんでいた。
『ようやく思い出したみたいだね。僕が自己紹介する前に思い出すなんて、えらいね。ということで、改めまして、僕の名前は白亜」
「は、く、あ」
『そう、白亜。簡単に言うと、僕は君たちと違う存在だ。なんていうか、君たちの言葉で言うと、妖精とか、神様とかいう存在になるのかな。とにかく、人間ではない存在だ』
白亜と名乗る少年は、愛理が思い出してくれたのがよほどうれしいのか。部屋の中をぐるぐると宙に浮かんで旋回している。
『ちなみに、僕が何の妖精だか、わかるかな。それがわかれば、おのずと答えは見えてくるけどね。ヒントは僕の白いこの姿!』
「白亜の正体……。白い……。白いと言えば雪?」
『雪の妖精とか、可愛いけど違うかな。ヒントは、愛理が毎日持ち歩いている、あれだよ。ほら、あの時もあれが役に立ったでしょう」
白亜にヒントを出されて、愛理は反射で答えていた。自分が毎日持ち歩いている、白いものと言えば、一つしかない。
「お母さんから持たされている、清めの塩」
『ご名答。僕はいうなれば塩の妖精なのだ。厳密には違うけど、まあ、そんなような存在かな』
「塩か……。そうか、だからあの時、でも、塩なんてどこにでもあるでしょう。家のキッチンには絶対あるし、そんなありふれた妖精ということは、白亜以外にも同様の妖精はいるの?」
『無理だね。キッチンの塩とか汚いもの。不浄な場所にはいないの。僕が姿を保っていられるのは、この清められた塩のおかげだよ』
ベッドに放り投げた塩が入ったケースを持ち上げる白亜。ぶらぶらと目の前で揺らしているさまは、ただの少年にしか見えないが、宙に浮いている。
「お母さんが清めた塩だったからということ?」
『君のお母さんは、塩を清める力、浄化する力は持っているみたいだね』
「愛理。ごはんだから、準備を手伝って」
「ハーイ」
『時間切れだね。そうそう、あの事件のことだけど、愛理はいろいろ大変みたいだね。忠告ついでに言っておくと、あの事件みたいなことは、また起こるかもしれない。気になるなら、自分で調べた方がいい。でも、ただやみくもに調べるのは時間の無駄だから、教えてくれそうな人を紹介するね。そこからたどると、あの事件の謎も解けるかもしれないよ。それは……』
徐々に姿が薄れていく白亜が最後にいい残した言葉は最後まで聞くことができなかった。
「愛理!早く降りてきなさい。ごはんいらないの?」
母親の怒ったような声が一階のリビングから聞こえてきた。その声にかき消されて、白亜の言葉が途中で聞こえなくなってしまった。そして、白亜はそのまま部屋からいなくなってしまった。愛理は仕方なく、誰もいなくなった部屋の電気を消して、一階のリビングに向かうのだった。
部屋には、白いキラキラとした粒が散乱していた。