5謎の少年
「ああん。なんだ、まだガキがいたのか。そうか、この女、お前の姉妹か。顔がよく似ているもんなあ。これは好都合だ。オレはどうせ、これから警察に捕まる運命だ。ちょうどいい、警察が捕まる前にこの女を殺しておくことにしよう。そして、それを見たお前の絶望顔も拝むとしようか」
自分は強いと言っていた口で、警察に捕まると弱気なことを口にする男。矛盾した男の言葉だったが、愛理はそのことよりも、妹を殺すという男の言葉に動揺する。このままだと妹が男に殺されてしまう。
「まって、な、なにも、いもうとを、ころ、さない、で……」
「不審者はどこだ!」
「ここです。四年二組の教室です」
男と愛理が話している間に、複数人の足音が廊下の方から近づいてきた。教室から逃げ出したクラスメイトが、先生に助けを呼びに行ったのだろう。しかし、愛理は安心できなかった。男はいまだにナイフを美夏に近づけたままだ。いつ、喉元を切りつけて殺してもおかしくない。依然として、教室内には緊迫した状況が続いていた。
「もう、きたか。おれもここまでということか」
廊下から聞こえる足音に男は捕まると確信したのだろう。男が動き出す前に、愛理はとっさにある行動をとった。無意識に身体が動いていた。
「これでも、くらえ」
愛理は、手に持っていた清めの塩が入ったケースを男に投げつけた。ただの布製の塩の入ったケース、男にダメージを与えるようなものではない。
『よく頑張った。後は僕が何とかしよう』
男に投げつけられた清めの塩が入った布製のケースは、弧を描きながら男のもとに飛んでいく。しかし、男にあたることはなかった。
「ポンッ」
男の顔面目掛けて投げられたはずのものは、男の目の前で突如、音を立てて消えてしまった。その場で煙が上がり、教室中に白い煙は広がっていく。愛理は思わず目をつむってしまう。
『もう、目を開けても大丈夫だよ』
時間にして十秒ほどが経ち、愛理は煙が収まったかと思い、恐る恐る目を開くと、そこには今まで教室にいなかった、一人の少年がいた。男と愛理の間、ちょうど塩の入ったケースが消えた場所に少年は立っているかのように見えた。
「なっ!」
謎の少年の登場に愛理は驚くが、それ以上に驚いたのは、その少年が教室の床に足をつけず、宙に浮いていることだった。少年の容姿は、天使のように清らかだった。白髪の短髪はキラキラと輝いている。瞳は真っ赤な紅の色、白い肌は抜けるように白く、シミ一つなく白さが際立っているが、青白いという印象ではない。
『さて、そこの君、どうやら君が今ナイフを突きつけている少女は、そこの女の子の大事な妹らしい。おとなしくこちらに引き渡してくれるかな?』
少年は声変りを終えていない、子供特有のソプラノの声で男に話しかける。とても耳に心地よく、聞いているだけで癒される。そんな声だったが、男に話しかける内容を聞き、愛理は現実に引き戻される。
「お、おまえは、いったい……」
『君ごとき低俗な人間に名乗る名前はない。言うことが聞けないのなら、聞かせるだけだ』
少年が男に近づき、そっと男の額に手を触れる。手を触れるだけの行為だけでも、少年が行うだけでどこか神々しい儀式のようにも見える。人々に祝福を与える天使のようなふるまいに見えてくる。
『眠れ。お前の時間は、僕が責任をもって預かってやる』
小さくつぶやかれた声が愛理にまで届くことはなかった。男はそのまま眠るように意識を失った。妹の美夏は、目の前の少年に目を奪われて動くことができない。
男が意識を失ったことで、男の身体が自分を支える力を失い、その場に倒れこむ。男にナイフを突きつけられ、男の腕の中にいた美夏の身体は、少年によって支えられ、不審者の男とともに倒れることはなかった。
『君も少し眠れ。大丈夫、目が覚めたら、いつも通りの日常が待っている。ただし、後遺症は残るかもしれないね』
少年は、美夏にも不審者の男にしたように額に手を触れる。美夏も男と同じように眠るように意識を失ってしまった。美夏を男の隣にそっと寝かせ、少年は愛理のいる方向に視線を移す。
『それで、愛理は、僕の大事な本体を投げつけてくれたわけだけど、どう責任を取ってくれるのかな?」
二人の意識を奪った少年は、今度は愛理に話しかける。愛理は、身体の震えが止まっていることに気が付いた。男がいたときは、震えが止まらなかったのに、今は見事までに身体の震えが止まっていた。突然現れた少年に男と妹が眠らされているという、混乱した状況であるにも関わらず、愛理は安堵していた。
「あなたはいったい……」
愛理の問いかけに、少年はあいまいに微笑むだけだった。
『タイムリミットだ。僕が止められる時間はせいぜい五分が限度』
「たいむ、りみっと……」
『ああ、気にしなくていいよ。僕はこれでおさらばするけど。大丈夫。今回の事件はすでに解決している。妹は無事だし、問題はない。いや、妹の方に問題があるか』
じゃあね、愛理も疲れているだろうから、今日はこのまま少し休みなよ。
少年が近づいてきて、愛理の額に触れた気がした。愛理はそこで意識を失ってしまった。
「大丈夫か!」
「教室に人が三人倒れているぞ」
愛理たちを助けに来た先生数人と警察が見たのは、教室に倒れている三人だった。
「これは一体……」
愛理と男の間には、白い粉のようなものが散乱していた。