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1時間を売りませんか

 朱鷺愛理ときあいりは、年の割に達観している節がある小学生だった。周りの小学生と遊んでいても、いつも何か物足りなさを感じていた。それが何なのかわからず、もやもやとした毎日を送っていた。


 そんなある日の休日、テレビを見ていたら、衝撃的なニュースが取り上げられていた。


「現在、若者たちの間で急増している『時間売買』についてです」


「ああ、『時間売買』か。ずいぶん、時間の売り買いが世間に広まってきたな」


 父親もテレビが置いてあるリビングにいたようだ。テレビに釘付けになっている愛理に、父親は苦笑する。


「一番若い年齢で、小学生だということです。小学生の子供が時間を売っているという衝撃の事実について、我々はその実態に迫りたいと思います」



「バチン」


 興味津々に、自分と同じくらいの年齢の子供が時間を売っている現状を見ようと、テレビに身を乗り出していた愛理だったが、不意にテレビ画面が真っ暗になった。


「お父さん!」


「こんなものを見ていないで、ワビーの散歩でもしてきなさい。外はいい天気だ。ついでに桜の花でも見てきなさい。きれいな桜がちょうど見ごろだ」


 父親はリビングから愛理を追い出し、玄関先まで連れていく。愛理は、無理やり靴を履かされ、ワビーの散歩に必要な道具を持たされ、あっという間に玄関の外に放り出されてしまった。


「行ってらっしゃい」


 父親が玄関で手を振り、ガシャンと玄関のドアが閉じられる。さらには、ガチャンという鍵のかかる音が聞こえた。


「ワンワン!」


「はいはい。少し静かにして。今日は私が急きょ、ワビーの散歩当番になったみたいだから」


 家の前の庭で寝ころんでいた愛犬ワビーが、愛理に気付くと勢いよく近づいてきた。ワビーは、朱鷺家で飼っている柴犬だ。可愛らしい一途な瞳で、愛理を見上げている。今か今かと散歩を楽しみにしていたようだ。


 愛理はため息をつくと、ワビーの首の鎖を散歩用のリードに替えて、ワビーを散歩させる準備をしていく。待ちきれないワビーは尻尾を全開に振って、喜びを表現している。


「さあ、仕方ないけど、散歩に行くか。行くよ、ワビー」


「ワン!」


 こうして、愛理とワビーは散歩に出かけるのだった。




 ワビーとの散歩は、家の近くの公園を一周することが多い。ワビーは勝手知ったる顔で、愛理の前をどんどん歩いていく。ワビーに引っ張られるように、愛理も公園に向かって歩き出す。公園の並木道には、父親の言う通り、桜が満開に咲いていて、美しい景色を作っていた。しかし、愛理は桜の花の美しさにはあまり興味がないようだった。


「ワビーはいいよね。何も考えずに、毎日ただエサを食べて、散歩して、寝て起きての繰り返し。悩みとかなさそうだもの。ああ、でも毎日そんなことの繰り返しだと退屈を感じることもあるのかな」


 愛理は、前方を歩くワビーに話しかける。もちろんワビーに人間の言葉がわかるはずがない。それでも、愛理はこうして、散歩中にワビーに話しかけることがあった。



「そんなに退屈な人生なら、誰かにその時間を売ってみてはいかがでしょうか?」


 ワビーに話しかけてはいるが、実質的に独り言をつぶやいていた愛理は、それが誰かに聞かれているとは思っていなかった。自分の独り言に反応があったことに驚いて、慌てて返事のした方向を確認する。そこには、一人の男が立っていた。



「ああ、すいません。つい、あなたの話を聞いてしまいました。若いのに、そこまで人生を退屈している人はあまり見かけないので、つい興味深くて」


 悪びれる様子はなく、堂々と愛理の独り言を聞いてしまったと告白する男に、愛理は一歩離れて警戒する。男は全身黒づくめで、いかにも不審者ですという格好をしていた。黒い帽子にサングラス、黒いマスク、黒いロングコートを羽織っていて、見た目がすでに不審者だった。愛理が怪しむのも無理はないだろう。ワビーも飼い主と同様に、男のことを警戒していた。尻尾を逆立てて、低いうなり声をあげて男を睨んでいる。


 その様子を見て、自分が愛理たちに警戒されていると気づいた男は、困ったように苦笑する。


「これは失礼。警戒させてしまいましたね。今日は、少々面倒くさいお客さんと会うことになっていまして、このような格好をすることになってしまいました。怪しい者ではありません。それで、先ほどの話ですけど、あなたの時間を他人に売るつもりはありませんか?」



「時間を売る……」


 愛理は男の言葉を反芻する。そして、どこかで同じような話を聞いたと頭の片隅で考える。愛理の考えている様子に、男は提案が受け入れられたのだと勘違いしたようだ。


「悩んでいるということは、少しは私の話に興味を持っていただけたようですね。もう少し、あなたとはお話をしたいところですが、いかんせん、私のこの服装は目立ちますからね」


 男はコートのポケットから名刺のようなものを取り出して、愛理に手渡した。つい、反射で受け取ってしまった愛理は、そこに書かれた見慣れぬ職業に首をかしげる。


「そこに書かれている職業が私の仕事となります。以後、お見知りおきを。連絡先も記載してありますので、もっと詳しく話を聞きたい場合はご連絡ください。連絡お待ちしていますよ」


「ええと……」


 愛理が何かを言う前に、男は手を振ってこの場を去っていく。



「なんだったの、あの男。不審者かもしれないと、警察に連絡しようと思ったけど、去っていったわね」


「でも、あの子に何か渡していたわよ。もしかして、あの年で援交とか」


「いやな世の中ねえ」



 はっと愛理はあたりを見回すと、数人の女性が愛理を見て、ひそひそと何か話していた。どうやら、愛理と男の話している様子は、周りに見られていたようだ。


「あ、あのひとは、わたしの、昔の担任、です」


 怪しい関係だと誤解されたくなかった愛理は、とっさに苦し紛れの言い訳を大声で叫んだ。大声に驚いた女性たちは、気まずそうにその場を離れていった。



「はあ。今日はなんだか災難ばかりね」


「ワン!」


 愛理は、そのまま散歩を続ける気もなく、もと来た道を引き返した。ワビーは不満そうにいつもの散歩コースを歩こうとリードを引っ張っていたが、愛理はそれを無視し、家に帰ることにした。



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