35 同じ穴の狢
基本的にカスタムマッチでは全員が一度はブリーフィングルームに帰還するが、私、永遠、ポンタラさん以外のメンバーは即座に部屋から出て行った。
連戦したいと思えるような試合内容ではなかっただろうから、当然である。
敗北したポンタラさんだったが、特に落ち込んだ様子も無くブリーフィングルームで私たちに話しかけてきた。
『オリーブってやつの動きが典型的なBタイプだからもしかしてと思ったけど、よく考えれば戦士使ってるふぁんとむがお前だよねって』
本アカは巨乳金髪ポニテアバターの彼だったが、二つ目のアカウントのアバターは短めのツインテが付属した活発そうな金髪ロリだった。
地声のまま喋るポンタラさんを見て永遠は一歩後ろに下がった。VRネカマは異質で一般人には衝撃が強いのである。
地面にあぐらをかいて雑談モードに入ったポンタラさんを私は見下ろす。
彼は私の隣で佇んでいる永遠を見て、
『そっちの子は?』
『ポンタラさんの目から見て動きどうでした?』
『いいんじゃないの初心者にしては。もしかして例の弟子? いやワンチャン彼女とか?』
『いや2人目の弟子』
『お前の周り新規参入多いな……』
どっこいしょとポンタラさんは立ち上がって、謝罪のために両手を合わせた。
ところどころの動きからから加齢臭がするのはご愛敬である。
『いやーさっきはメンゴメンゴ。こいつと間違えて二回くらい殺しちゃった』
『すごくイライラしましたけど私も殺し返してスカっとできたんで別にいいですよ、ゲームですし』
『ありがてぇありがてぇ』
なんでさっきから二回繰り返すんですか?
単刀直入に聞いてみようとしたが、まあふざけているのだろう。
悲しいかな、私もBタイプである。大体理解できてしまう。
戦闘中ですら真面目にやってないのも感じとれたが、彼は嫌に上機嫌で、
『でもそうか、お前もとうとう複アカVRマンの仲間か。複アカなんて生体認証誤魔化すのにroot取ったり他人の生体情報使って偽装したり海外からアングラツール引っ張ってきたりするだけなのにみんな頭のおかしい人扱いするからやってんの俺だけかと思って寂しかったよ……』
とんだ勘違いである。
『ごめんポンタラさん、俺そんな面倒なことしてない』
『あぁ?』
『手術で体のほとんどのパーツ新しくなったから生体情報変わってるんじゃないの? って思ったから新しくアカウント申請したら通ったのよ。元のアカウントのほうも脳みそだけの情報読ませたら入れたから割と偶然手に入った感じ』
私は素直にそう言った。
がポンタラさんの受け取り方は私の想定とは真逆であった。
彼は眉間にしわを寄せて、ストレートに言った。
『いや手術のほうがめんどくね?』
『そうかなぁ……』
『お前やっぱりその辺の感覚おかしいぞー。お前が育った環境のこと考えるとしゃーない気はするが、そのスペックで現実の空気とか常識とかが分からないとは言わせねーぞ』
『分かってるつもりなんだけどなぁ』
『なんだ。じゃあジョークか。サイボーグジョークなのか』
いつの間にか、上機嫌でふざけた声色は消えていた。
本気で心配するような口調だった。
『バトフロに引きずり込んだ俺たちにも責任はあると思ってるから言うんだぞてめー。彼女さんもそう言ってやってよ。こいつの冗談は時たま笑えん。言うならもっと面白くやれ』
そう言ってポンタラさんはログアウトしていった。
ただの幼なじみでしかない永遠を私の彼女扱いしていったのは、彼なりの嫌がらせだろう。
『なんか言ってたけど、あの人も頭おかしいからあんまり発言真にうけなくてもいいよ』
『……テツってゲームの知り合いにはサイボーグってこと教えてるのね。クラスメートにもほとんど教えてないのに』
永遠はポンタラさんのことなど眼中にすらなく、ただ私のことだけを見ていた。
『ポンタラさんとはもう五年くらいの付き合いだしなぁ』
『そうなの……? でも、ネット上の友達といっても実際に毎日会うわけじゃないでしょう』
『毎日戦ってるけど実際にあったことあるのは一回だけだな。あと友達ではないかな。なんとなく連んでるだけ』
『そんな……っ。それだけの人に、テツは自分の秘密教えてるの……? 今の学校じゃ、ほとんど誰にも教えてないじゃない……!』
なぜか永遠は声を震わせながら、何らかの感情を含ませてそう言った。
彼女が何を感じたのか、分からない。適当に言った。
『現実と違って、ゲームじゃそんなにサイボーグ珍しくないし、現実と違って、みんな笑って受け入れてくれるしなー』
『……っ』
向こう側にあるVR機器のマイクは、確かに永遠が息を呑む音を拾った。
だがそれだけだ、機材は大まかな音や表情は拾うだけだ。
永遠が何を考え、何を感じているのか理解することができない。
そして、私はずけずけと彼女の内側に踏み込みに行けるほど大胆でも、勇者でもなかった。
彼女とは切っても切れない縁がある。
いざとなったらうやむやになってしまうような朧々とした因縁ではなく、場合によっては血縁関係よりも強固な繋がりだ。
うかつに変化させていい間柄ではない。私が無言で永遠の反応を待っていると、
『……ぐすっ……あれっ……? ちょっと……なんで、わたし、泣いて――』
息を詰まらせ、鼻を鳴らしながら、
途切れ途切れに永遠は戸惑いの言葉を口にした。
泣いているのは分かった。だが何が原因かはさっぱり理解不能だった。
『待って待って永遠ちゃん。急にどうしたの? もしかしてポンタラさんが泣くほど気持ち悪かったとか……!? だったら俺が悪かったから――』
『……今日は、ここまでに、しましょうか。』
喉奥に涙を飲み込んで、永遠がゆっくりと宣言した。
『謝って済む、問題じゃ、ないけど……ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい。テツ。じゃあ、また、月曜日。学校でね』
ブリーフィングルームから永遠のアバターが消え、気がつけば私は果てしない白の中で一人になっていた。
別れの挨拶の前に、なぜか向けられた謝罪の言葉。
前後の文脈に一切の繋がりは無く、不自然に浮いた一言に、私の心は妙にざわつき始めてしまって、
『なんで謝ったんだよ……』
たった一人だけの仮想空間に、私の声だけが消えていった。
○
永遠と一緒にポンタラさんの初心者狩りに遭遇し、一悶着あった日曜日。
その夜、【大赤字】の身内部屋が一つしか立たず、私は輪に入れなかったので、同じくあぶれている人を誘ってグループマッチに出かけていた。
グループマッチとはレーティングマッチの1区分だ。
誘った6人以下のメンバーと毎回同じチームで試合に出撃することができるため、カスタムマッチ以外で一人で遊ぶ以外の楽しさが欲しい時にたまに使うモードである。
今回は大人数で出撃することが目的ではないので、一人お誘いに引っかかったら即出撃を私は繰り返していた。
4時から6時までが【那由他】さんと。
6時半から8時までが【ネコパンチ】さんと。
8時から現在進行形で【ノララ】さんと遊んでいて現在時刻11時だ。
戦闘が僅差での勝利に決着し、二人そろって息を吐き出す。
ギルドへと帰還し、再び出撃を行うまでの時間、隣で首をゴキゴキならしている銀髪ツインテロリがぼそっと核心を突くようなことを言った。
「こうやってグルマに誘って戦うってことは昼間になんか嫌ことあったんか?」
ノララさんは、雑談している最中でも見透かしたように心の奥底に眠っているものを突き止めてくることがあった。
今の言葉もそれだ。
私が現実逃避にこうして誰かと言葉を交わしながら、戦いに没頭しようとしているのに気がついたようだ。
驚きはした。が、動揺はしなかった。
「そんでもう忘れられた?」
「びみょう……全然戦い足りない……」
言いながら私はNPCを使って出撃メニューを開いていると、ノララさんが幼女アバターの小さな手が私の腰をつかみ、小さなつま先がかかとを蹴りつける。
普通に痛い。
「なーなー、ちょいちょい負けが続いてきたしそろそろ頭痛ぇから辞めていい?」
「まだ三時間しかやってないよ」
「VRゲームって普通は三時間やったらギブアップだからな? 俺の体質とこのゲームだから六時間くらいはギリギリできるけど俺明日仕事あるしそろそろ寝たいんだが」
「ちょっと夜更かししてもいいんじゃない?」
「12時には寝ないと職場で死ぬが。俺まだ風呂入ってないし」
私は何も考えずに言った。
「俺は今風呂に入りながらゲームやってるが」
「……前に俺もプロトの真似して風呂入りながらVRゲームをやってみようと挑戦してみたことがあったけど、結局は溺れかけた上に機材水没させただけだったな」
「ノララさんはそろそろサイボーグになるかなってずっと期待してたけど、結局手術しないの?」
「そろそろってなんだ。生身に執着は無いけど、金がないから無理」
「金があれば手術する?」
「その前に仕事辞めるかな……」
ノララさんがおふざけ一切無しにぼやいた。いつものふざけムードでもなく何か悪いことを考えているような口調でも無かった。切実な願いのようだ。
ノララさんは私の出撃準備を妨害しながら話を続けた。
「てかさ、大体のプロゲーマーどもはローン組んで手術してるんだよ。それか契約したスポンサーに出資して貰うかとかな」
「そうなの?」
「おかげでゲームのためにサイボーグになったやつらは大変らしいぞ。成果でなきゃ借金返せないし、メンテナンスとかで定期的にウン千万単位で大金飛んでいくし。契約守れなかったらサイボーグ兵士として海外の紛争地帯に送られるって与太話なんかも最近聞くぞ」
「んなアホな」
「まあ海外行きってのは普通はあり得ないだろうけど、中枢神経系になにかされてたら外部から操るとかできるだろうし、サイボーグの体の使い道なんといっぱいあるだろうし、普通に企業の奴隷ルートじゃねぇの」
彼の語りには妙な信憑性がありそうな気がしたが、根本的にどうでもいい話題だってので、その知識は私の耳には入ったがすぐさま逆側から抜けていった。
私はカジュアルに遊べればそれでいいのだ。ゲームを飯の種にしているプロゲーマー共とは根本的に考え方が違うのである。
「そんで俺がやりたいながらVRは今の手術じゃできない。……っていうかお前が使ってるタイプの代理電脳って人体改造には規制されてて普通じゃ使えないし、八年前に出てたお前のサイボーグ化とリハビリについて調べてみたけど再現性ねーじゃねーか。お前一人しか前例のない実験みたいか手術なんてブラックジャックにでも頼まなけりゃ受けられんわ」
「そのうちパーツの高性能で時代が追いつくと思うけどなぁ」
「現状お前は特異体だよ。そんで、どこともしがらみのない野良サイボーグゲーマーときた」
「いやいや、これがあるんですよ。しがらみ」
ノララさんの認識のミスを指摘しようとしたところ、突然着信音が辺りに鳴り響いた。
【着信 マツリカ】
通知を見れば弟子からである。
ボイスチャットにもこの音は流れていたようで、ノララさんはかわいらしいアバターでこちらを見上げてくる。
「この時間にお前にボイチャ申請って珍しいな」
私は弟子からのボイスチャットに応じながら、同時にノララさんとの会話もつづけようとする。
くるりと踵を返す。
「ちょっ、ちょっと待って。すぐ終わらせるから。まだ戦い足りないの俺。もっと遊ぼうよ」
「ちなみに誰からの電話?」
「例の弟子」
「おい、すぐ終わらそうとするなよ構ってやれよ」
「戦い足りないのにぃ……」
「知るか。チャンスだから俺抜けるぞ。じゃあな」
そう言って彼はログアウトしていった。
○
なんとタイミングの悪いことか。
ネトゲでの身内の遊びはだいたい明確な区切りが存在しないのが大きな特色だ。相手が遊び続ければ、そのままダラダラと遊び続けて気がつけば深夜、というのも珍しくない。
だから素早く再戦に再戦を重ね続ければ終わりの見えない戦いの連続というものが意図的に作れる。性格の悪いことで有名なノララさんなんかは意外にも楽しい空気を壊したくないという願望が強いのか、彼から終わりを切り出すことはまずない。
だが終わりのきっかけがあれば彼は意外にもあっけなく場所から消えてしまう。今回のようにだ。
『はいもしもしプロトです』
最悪弟子でも誘って戦うかと思って通話に出る。
小学生か中学生かは知らないけど、夜更かししてもらおうと思ったが、聞こえてきた声によってそのもくろみは容易く砕かれてしまった。
『……うっ……ぐすっ……』
すすり泣く声。
正直に言えば、ハズレを引いたと思ってしまった。
昼間に永遠を泣かせてしまって、
そのことが今も頭をぐるぐるぐるぐる回っているというのに、
今、心のケアが欲しいのは私だというのに、
必死に現実から逃げていると言うに、
他人に構っている暇なんてあるわけ無いのに。
何も言えず無言で待機していると、マツリカが言った。
『突然電話してすみません、ししょぅ……ちょっと、声聞きたくて……』
だが、何かの助けを求めて私に泣きついてきた弟子の声を聞いて、自分勝手な考えはすべて吹き飛んだ。
『マツリカさんどうしたの!?』
『今からししょうに会いたいです……』
『わかった。とりあえずVRチャットで話しようか』
『ありがとうございます……ぐすっ……』
私は急いでVRチャットを起動し、ルームを開設してマツリカさんに招待を飛ばした。
普段ならばVRチャットをやりながらBCDオンラインでレーティングマッチに出てたりするのだが、今日は私もBCDオンラインからログアウトすることにした。
ほどなくしていつもの映画館に、いつものアバターのマツリカさんがログインしてくる。
彼女の表情はすでに沈んでいた。
涙をぼろぼろと落としながら、ぐすぐすと、やがて大きな声を出して彼女は泣きだしてしまった。
不安を覚えた私が彼女に駆け寄ると、ふいに抱きつかれ、ソファーに押し倒された。
美少女変身願望丸出しなおっさんである【大赤字】メンバーとは違い、ほどほどに現実味のある外見なマツリカさんとの接触は心臓に悪い。
「どうしたんだ、何か辛いことでもあったのか?」
「ごめんなさいししょう……わたし、……わたし……うええぇぇ……ごめんなさいいぃ……」
嗚咽が漏れ出しマツリカはひたすらに謝罪を続ける。
話が進まない……! と一瞬ムラっとした途端、彼女は流れるように本題に入った。
「もうゲームできなくなっちゃうかもしれません……!」
「えまじ?」
「おかあさんにゲームやりすぎで、がっこうのせいせき心配されちゃって」
oh……。
それはいつかはくると思っていた、密かに恐れていた事態であった。
初心者がトップに追いつきたいのであれば、相当の努力と時間が必要になる。
そしてこれはゲームだ。
本人の意気と根性がいくら気高くとも、所詮は遊びである。
ゲームはその過程でプレイヤー達に多くの物を残さない、潰しの効かない趣味だ。
遊びに本気を出したところで、時間を浪費するなと親に言われるのがオチだ。私も何年か前まではそうだった。
私は試しに言ってみた。
「教育ママなのか」
「……たぶん、そうかもしれません……」
ドンピシャだった。
まあ大体分かる。
男子でも全員が全員ゲームに熱中する訳でもない中、特定の人種がゲームにとらわれるのにはある程度理由がある。
同じ穴のムジナだ。共通点は何個かあると踏んでいた。いくつかのマツリカさんの言動から生まれや育ちを推論すれば、あとは確率の問題である。
「すこし、お話してもいいですか」
マツリカさんが真っ赤に充血した眼で、私の目をのぞき込む。
私は無言で頷いた。
「私、この春から父の転勤で転校することになって、……いままでは、塾とかピアノとか習い事とかいっぱいあったんですけど、転校をきっかけに一旦全部止めることになって、……お母さんに、一度だけ習い事も塾もない生活をやってみたいって言ったんです」
「そうか……。今までずっと頑張ってきたんだな……」
適当に話を合わせ、声をかけるとマツリカは感極まったように私の腹に顔をぐりぐりと押しつけてくる。
行き場の失った私の両手は自動的に彼女の背中側に回ったので、泥酔し吐き気を訴える飯屋さんを介抱する要領で優しく背中を撫でた。
並列的な思考は得意だ。
考える。ゲームやりたいなぁと思いながら必死に考える。
ゲームとマツリカさんの、どちらが大切なのかと問われれば両方大切なのだと答えるしかないので、私はゲームとマツリカさんを両方大切にすべく、どちらにも真摯に向き合うことにした。
禁断症状と闘いながら、彼女の立場について考察してみる。
(親からすれば、教育熱心に育てた娘が少し目を離した隙にゲーム三昧か……。引退して欲しい時期もあったけど、今は楽しく遊ばせる方針に転換した後だしなぁ……。どうするか……俺が指示するのも違うよなぁ……)
そもそも私は人に指示するの好きじゃない。それは正しい答えを出せている自信がないのと、他人を気遣えるほど器用な性分じゃないことに起因する。
何も知らない俺が口出して大当たりを引けるかどうか考えれば、大分怪しい。
無駄骨どころか大火傷を負ってもおかしくないようにも思える。
ゲームでもそうだ。私は誰かに指示をするのではなく、その人自身の状況判断で自発的な行動に移るようを促すようにしていることが多い。
そして大抵、それである程度の結果は出るものだ。
正しい正しくないはこの際どうでもいい。
というか多分それが正しくなるし、納得のいく答えになるだろう。
「俺って人生経験あんまり足りてないほうだけど、よかったら力になるよ」
「……?」
胸元に顔を埋めていたマツリカが、その首を上げて私の瞳を見つめた。
「事故ってサイボーグになる過程で4年入院してたから、みんなほど学校のことはいまいち分からないんだ。小一から小五まで、ずっと病院のベットの上だったから。……そんな俺だけど、大切な弟子のことだから」
「……わがまま言っても、いいんですか……?」
弟子が湿った声を出す。
うかつだった。予防線を張ろうとして、ついつい言う予定ではないことを口走ってしまった。
もう取り返しは付かない。さほど重要な告白ではなかったかのような空気を醸し出して、私はマツリカが口を開くのを待った。
「ゲームも続けたいし、ちゃんとお母さんのことも安心させたいです。でも、両立なんて目指せるか不安です……私、いままではお母さんとかお父さんに言われたことやってるだけで、自分で何かやるなんてやったことなくて、なにやっても中途半端で」
「やったことの無いことにチャレンジするんだもんな。不安な気持ちはよく分かるよ」
私は無責任なことを言ってみた。
思い返せば結果が伴わないだけで、努力自体はしっかりと行っている。
【A】タイプのまま【C】レートまで上り詰めてるために行った努力は、並大抵のものでは無いだろう。
あと一歩が足りないのだ。あと一歩を詰めることができれば、彼女の今までの努力が華々しく咲き誇る日がやってくるはずだ。
「でも、やるしかないんですよね……」
言いながら、彼女は私の服の胸あたりを掴んだ。
私は少しだけ考え、とりあえず安請け合いをすることに決めてから、言葉を口にする。
「俺はマツリカさんのリアルは知らないし、実際に会って助けてあげることもできない。だけど、マツリカさんが辛かったり苦しかったりしたとき、受けとめることはできる」
言い訳なんじゃないかと思いつつ、なんとか誤魔化すために私は弟子を抱く腕に柔らかく力を入れた。
さらにイメージの増強によって、包容力を増すべく、泥酔しきった飯屋さんをマツリカさんの姿に重ねる。この子は酒臭くない飯屋さん、この子は酒臭くない飯屋さん……そのうちゲロを吐く……。
「大丈夫。俺はマツリカさんが頑張り屋だってことは知ってるから。俺になら言いたいこと、何でも言っていいよ」
「師匠……っ」
弟子が私の呼び名を口走る。
そして、マツリカはぽつぽつと、胸の内にためていた物を吐き出し始めたのだった。




