第83話 響華の消滅
「私、アドミニストレータを、倒したんだ……!」
疲れ切った様子で響華が膝をつく。
「響華!」
「藤島さん!」
「響華っち!」
「藤島!」
そこへ芽生、雪乃、遥、碧が駆け寄り、声をかける。
「みんな、本当にありがとう!」
目に涙を浮かべる響華。四人は優しく微笑んで、響華の体をぎゅっと抱きしめた。
後ろでは、真鶴艦長とシュウ副長がハイタッチを交わしたり、ひかりがぴょんぴょんと飛び跳ねたり、各々がそれぞれの表現で喜びに浸っていた。
そんな中、陽菜がぽつりと呟く。
「これで許されるとは思ってない。だけど、少しは罪を償えたかな?」
過去に魔法犯罪を犯し、響華と遥に迷惑をかけてしまった陽菜は、未だにそのことを引きずっていた。するとその時、陽菜の右肩を誰かが叩いた。
「誰?」
驚いて右を見る陽菜。そこには守屋刑事の姿があった。
「私のこと、覚えてる?」
問いかける守屋刑事に、陽菜はこくりと頷く。
「はい、もちろんです。任意同行を求められて、パトカーに乗った時のことは、多分一生忘れないと思います」
「それもそうね。で、あなたは何でそんな暗い顔してるの?」
守屋刑事が首を傾げる。
「私がここへ来たのは罪滅ぼしの為。喜んじゃいけない立場なので……」
俯いて答える陽菜に、守屋刑事はこう告げた。
「あなたはもう十分に罪を償った。世界を救った時に喜ばないで、いつ喜ぶの?」
「すみません、ありがとうございます……」
陽菜の目から涙が零れる。
守屋刑事はそっと陽菜の体を抱き寄せ、頭をぽんぽんと撫でた。
長官と木下副長官がホッとした表情を浮かべ、顔を見合わせる。その瞬間、木下副長官のスマホが鳴った。
「はい、木下ですが?」
木下副長官が電話に出る。
『由依ちゃんのお母さんですね? 早く病院まで来てください。とにかく急いで』
電話の相手は、どうやら病院の医師のようだ。その声には焦りの色が滲んでいる。
「先生、由依がどうかしたんですか?」
木下副長官が何事かと問いかける。医師は少し間を置いてから、こう答えた。
『由依ちゃんの命は、もう持たないかもしれません』
「そ、そんな……! 嘘、ですよね……?」
あまりのショックに、スマホを落とす木下副長官。
『とにかく、早く病院に来てください。由依ちゃんも最後にお母さんの顔を見たいと思います』
地面に転がるスマホから、医師の声が聞こえる。
「由依、由依……」
木下副長官は両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
「ねえ? 木下副長官、どうかしたのかな?」
四人と抱き合っていた響華が、木下副長官の様子にふと気が付く。
「ん? あ、ホントだ。何かあったっぽいね」
響華の言葉に、遥も後ろを振り向く。
「ちょっと聞いてくるわね」
芽生がそう言って、長官の方へと向かう。
「どうしたんでしょう。心配ですね……」
雪乃が呟くと、碧も首を縦に振る。
「ああ。何かショッキングな出来事があったみたいだな」
芽生が長官と話をして、小走りで戻ってくる。
「長官、何だって?」
響華が問いかけると、芽生は深刻な表情をして答えた。
「木下副長官の娘さん、ずっと患っていた病気が急変して危篤状態らしいわ。医者曰くいつ死んでもおかしくないって」
「そんな! そしたら早く病院に行かないと!」
響華は声を上げ、急いで木下副長官の元へ駆け寄る。
木下副長官は両手で顔を覆ったまま、道路にしゃがみこんでいる。響華は木下副長官の前に立ち、話しかける。
「木下副長官、早く娘さんのところに行きましょう」
その言葉に、木下副長官は目をこすってからゆっくりと顔を上げる。
「こうなったのは、全部私のせいです。由依だって、きっと私の顔なんか見たくないはずです……」
「そんなことない! 由依ちゃんは、ずっとあなたのことを待ってます」
響華の強い言葉に、木下副長官がハッとした表情を見せる。
「由依、私……」
呟く木下副長官に、響華が右手を差し伸べる。
「掴まってください。転移する魔力、もう残ってないですよね?」
響華が優しく微笑むと、木下副長官は響華の右手を掴んだ。
響華は木下副長官を立ち上がらせ、魔法を唱える。
「魔法目録十五条、転移」
響華と木下副長官の体が光に包まれ、その場からいなくなる。
長官と芽生、雪乃、遥、碧は、心配そうに二人のことを見つめていた。
世田谷、東京魔法医療研究センター。
響華と木下副長官が転移してくる。
「病室はどっちですか?」
響華の問いかけに、木下副長官が指をさして答える。
「あっちの病棟です」
「急ぎましょう。由依ちゃんが待ってます」
響華の言葉に、木下副長官はこくりと頷いた。
駆け足で病室の前までたどり着くと、木下副長官はコンコンとノックしてから扉を開ける。
「由依、遅くなってごめんね!」
急いでベッドに駆け寄る木下副長官。その時、ベッドの隣に立つ医師が暗い顔をして告げた。
「由依ちゃんは、つい先ほど息を引き取りました」
「えっ……?」
木下副長官が医師の顔を見る。
「最期まで、ずっと言ってましたよ。『お母さんはすごいの。魔法災害のために、今も一生懸命お仕事頑張ってるの』って。本当は、寂しかったはずなのに」
医師がベッドに視線を向ける。
「由依……」
木下副長官は目を潤ませながらベッドを見る。
由依の顔には白い布が被せられている。木下副長官はそれを右手で取り、左手で由依の頬を触った。
「……まだ、温かい。由依、本当に、死んでしまったの……?」
ほのかに残る体温を感じて、木下副長官の目から涙が溢れる。
病室の端でその様子を見ていた響華は、ベッドのそばに歩み寄って木下副長官に声をかけた。
「由依ちゃんと、もう一度お話したいですか?」
「そんなこと、出来るんですか……?」
涙を拭って、首を傾げる木下副長官。響華は得意げに笑って返す。
「私は魔法神ですよ? それくらい簡単です。もちろん由依ちゃんの気持ち次第ではありますけど」
木下副長官は少し考えてから、響華の手を握った。
「響華さん、お願いします。由依に、もう一度会わせて下さい」
響華は首を縦に振り、手を握り返した。
「分かりました。それじゃあ、由依ちゃんのところに行ってきますね」
響華は木下副長官の手を離し、魔法を唱える。
「魔法目録十一条二項、心理接続……」
目を閉じ、神経を集中させる。しばらくすると、響華は全身の力が抜けたように床に座り込んだ。医師と木下副長官は顔を見合わせ、じっと様子を見つめていた。
響華が目を開くと、そこは霧に包まれたような真っ白な空間だった。
「由依ちゃんは、えっと……」
周りを見回すと、少女の人影が浮かんでいるのが見えた。
「あっ、いたいた」
響華は泳ぐように移動し、由依の前で止まる。由依は目を閉じたままで、目の前の存在に気が付いていない。響華は体を揺さぶって話しかける。
「由依ちゃん、起きて」
しかし、由依は微動だにしない。響華はもう一度体を揺さぶる。
「由依ちゃ〜ん、朝だよ〜」
すると、由依が唸り声を発した。
「うぅ、ん……」
「由依ちゃん、由依ちゃん!」
響華が肩をトンと叩く。
「おはよう、お母さん……」
由依は目をこすってこちらをぼーっと眺めている。
「お母さんじゃないよ。私、エミュレータって言うの。あなたは木下由依ちゃん、だよね?」
響華が微笑みかけると、由依は目をぱちくりさせて言う。
「そうだけど、何でエミュレータさんは由依の名前を知ってるの?」
「お母さんから聞いたんだ。お母さん、由依ちゃんに会いたいって言ってるよ」
響華の言葉に、由依の顔がほころぶ。
「本当に? 良かった、由依のこと嫌いになってなかったんだ……」
「うん、お母さんはずっと由依ちゃんのこと気にしてたんだよ」
すると、由依が響華の顔を見て口を開いた。
「でも、由依死んじゃったんだよ? 由依もお母さんに会いたいけど、もう会えないの」
響華は由依の頭を撫でながら、真っ直ぐに目を見つめる。
「大丈夫。私の力があれば、由依ちゃんは生き返れる。でもね、それには一つ大きな決断をしてもらわなきゃいけないんだ」
「大きな、決断?」
「そう。由依ちゃんの魂を魔法結晶に変えて、体と切り離さないといけない。そしたら由依ちゃんは、魔法結晶が割れたら死んじゃう体になるの。その代わり、体にダメージを受けてもすぐに治るけどね。由依ちゃんは、そこまでしてもお母さんに会いたい?」
由依は「う〜ん」と考えてから、こう答えた。
「お母さんに会えるなら、お母さんが喜んでくれるなら、由依は何だってする!」
真剣な眼差しに、響華は笑顔を見せた。
「かっこいいね、由依ちゃんは。じゃあ、魂を結晶化するね」
響華は由依の胸に手を当て、魔法を唱える。
「魔法目録百二条、結晶変換」
すると、由依の体の中から魔法結晶が浮き出てきた。
「これは大事な由依ちゃんの魂だから、絶対に肌身離しちゃダメだよ」
響華が魔法結晶を手渡す。
「分かった! ずっと持ち歩くし、割らないように気をつける!」
由依はそれをぎゅっと握りしめ、大きく頷いた。
「それじゃあ由依ちゃん、私はもう行かなくちゃだから、またね」
「うん! エミュレータさん、またね!」
響華が手を振ると、由依も笑顔で手を振り返した。
「お母さん……」
由依が目を覚まし、ぽつりと呟く。
木下副長官は由依の体を抱きしめ、涙声で話しかける。
「由依! こんな母親で、ごめんなさい……」
「えっ、どうしてお母さんが謝るの? 由依、別に怒ってないよ?」
不思議そうに問いかける由依。
「私がちゃんとしてれば、この病院が停電になることも無かったの。本当にごめんね、由依……」
木下副長官は申し訳なさそうに言う。
「いいよ。お母さんも、由依のために頑張ってたんでしょ? だったら、由依はお母さんのことを責めたりしないよ」
由依も木下副長官の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「由依、由依……!」
木下副長官は大粒の涙を流して、名前を呼び続けていた。
医師がふと窓の外を見ると、いつの間にか霧が晴れていて、赤い夕焼け空が広がっていた。
「あの現象、終息したみたいですね……」
医師の呟きに、木下副長官も外を見る。
「これも全部、響華さんのおかげです」
木下副長官は床に座っている響華へと視線を移す。しかし。
「あれ?」
木下副長官が声を上げる。
「そういえば、あの子いませんね?」
医師は病室を見回し、廊下も確認するが、響華の姿はどこにも見当たらなかった。
その時、由依がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、さっきエミュレータさんって人に会ったんだけど、それってお母さんの知り合い?」
「エミュレータ? 響華さんのことね。ええ、そうよ」
木下副長官が首を縦に振ると、由依はこう続けた。
「エミュレータさん、『私はもう行かなくちゃ』って言ってたよ。どこに行ったのか、お母さん知ってる?」
それを聞いた木下副長官は、顔色を変えて空を見上げる。
「まさか響華さん、神界に……?」
「しんかい……?」
由依は首を傾げ、綺麗な夕焼け空に目をやった。




