第76話 神界との融合
翌日、二〇二一年三月二十日。魔法災害隊東京本庁舎。
響華が窓から空を見上げると、神界との境界はすぐ近くまで迫っていた。
「かなり近づいてきたね……」
響華が呟く。
「神界と融合するのは時間の問題って感じだね。ネットにもこんな動画上がってるよ」
遥がそう言ってスマホを見せる。響華が画面を覗き込むと、スカイツリーの天辺が神界との境界に飲み込まれる瞬間の映像が映し出されていた。
「つまり、神界はもう六百三十四メートルまで迫ってるってこと?」
「そういうことになるね」
響華の言葉に、遥はこくりと頷いた。
インターネットテレビ《SGチャンネル》、臨時ニュース。
『三十分ほど前から、首都圏で地上波のテレビ番組が視聴出来なくなっています。電波を送信するスカイツリーのゲイン塔が神界に飲み込まれたことが理由と考えられます。首都圏にお住いの方は、SGチャンネルやニュースサイトを通じて情報収集を行なってください』
警視庁魔法犯罪対策室。
「神界に干渉出来ない、その反対の現象が起きたってことかしら?」
守屋刑事の問いかけに、国元が首を縦に振る。
「そのようですね。電波は境界に遮られ地上には届かなくなっている。全てが神界に飲み込まれれば回復するかもしれませんが」
「その時は外は地獄絵図になっていそうだけど」
守屋刑事が言うと、国元は苦笑いを浮かべ肩を竦めた。
「そうだ、守屋さん。外出禁止令が発令されるのは何時ですか?」
ふと思い出した様子で聞く国元。
「確か午後五時だったと思うけど、それがどうかしたの?」
答えつつ首を傾げる守屋刑事に、国元はこう返した。
「僕が本庁舎に戻らなきゃいけないタイムリミットですよ」
「ああ、なるほど」
守屋刑事は納得した表情をした。国元は公安の人間だが、表向きは魔災隊の職員なので一般人と同様に振舞わなければならない。外出禁止令も例外ではなかった。
「響華さん達、様子はどう?」
守屋刑事が質問を投げかける。
「最初はどうしていいか分からないって感じでしたけど、今は目標も明確になってかなり気合い入ってますよ」
国元の答えに、守屋刑事はふふっと笑う。
「良かった。響華さん達はいつも通りね」
「ええ。だから僕たちも頑張らないと」
国元と守屋刑事は頷きあい、お互いの健闘を祈った。
午後五時。
防災無線から一斉に『ピンポンパンポーン』と音が鳴り響く。
『こちらは、東京都です。只今を持って、都内全域に、外出禁止令が、発令されました』
防災無線特有の間延びした声が街中に流れる。
「そろそろここも神界の中に入る。屋内とはいえ警戒を怠るな」
碧の言葉に、響華たちは首を縦に振る。
司令室や食堂のある魔災隊東京本庁舎二十三階は、すでに神界に飲み込まれかけている。ここからは何が起こるか誰にも予測できない。とはいえ、すでに飲み込まれた階に異常は見られないので、過度に心配する必要は無さそうだ。
「神界との境界よ」
窓のそばにいた芽生が声を上げる。
「三、二、一。飲み込まれたわ」
全員が窓の外を見る。
「ここが、神界……」
「まるで真っ白な霧がかかっているみたいですね……」
響華と雪乃がその光景に目を見張る。
真っ白な空間にぼんやりとしたビルの黒い影が浮かび上がっていて、それは幻想的とさえ思えるものだった。
「なんかロンドンみたいだね」
呑気に言う遥。
「おい、気を抜くな滝川。霧の都とは訳が違うんだぞ?」
それを碧が注意すると、雪乃が「あの……」と何か言いたげに口を開いた。
「雪乃ちゃん、どうかしたの?」
響華が問いかける。
「えっと、いや、その……。ある意味合っているかもしれません。霧の都……」
「え?」
雪乃の思わぬ発言に、響華たちは同時に首を傾げた。
「ロンドンが霧の都と呼ばれた理由、それはスモッグなんです。産業革命と石炭利用で大気が汚染され、有害物質がロンドンを覆いました。多くの市民が健康被害を受け、入院者は十五万人にも上ったそうです。そして今、東京は魔法物質で満ちている神界に飲み込まれました。魔法物質は魔法災害の元ですから、多くの市民に被害が及ぶという点では似た状況と言えるかもしれません」
雪乃の説明に、碧は感心した様子で言う。
「そうだったのか。私はてっきり自然の霧のことだと思っていたが、勘違いだったんだな」
「はい。でも、冬のロンドンに霧が発生しやすいというのは本当ですよ」
雪乃はそう返して微笑む。
「そんなつもりでロンドンみたいって言ったんじゃなかったんだけど、変な方向に話が転がっちゃったな……」
この話のきっかけを作った遥は、呟いて苦笑いを浮かべた。
その時、芽生が二回手を叩いた。
「ほらあなた達? 異国の地に思いを馳せてないで、まずは目の前の状況把握でしょ?」
「あっ、そうだった! 早く司令室に戻らないと」
響華がハッとした表情をして声を上げる。
「すまない、話が脱線してしまった」
碧も慌てて謝罪の言葉を口にする。
響華たちは窓から離れ、司令室へと戻った。
司令室では、長官と木下副長官が情報が表示されたモニターを眺めていた。
「長官、どんな状況ですか?」
響華が問いかけると、長官はこちらに顔を向けて答える。
「今のところは異常なしだけど、魔法物質の濃度がかなり上がってる。神界が地上に到達したら一気に魔法災害が起こる可能性は否定できないかも」
「では、私たちは一階で待機していた方が良いのでは?」
碧が聞くと、長官は少考してから首を縦に振った。
「……そうだね。君たちにあまり負担はかけたくないけど、アマテラスが見つかるまでの間、お願いするよ」
「分かりました。霞ヶ関の辺りは私たちに任せてください」
響華が力強く頷く。
五人が一階へ向かおうと踵を返す。すると木下副長官が声をかけた。
「待って下さい。やはりあなた達にはアマテラス討伐のための体力を残しておいて頂きたいので、エントランス警備担当の隊員を連れて行って下さい」
芽生は木下副長官の方を振り返り一言。
「じゃあ、そうさせてもらうわ」
響華たちが司令室を後にする。
それを見届けた長官が木下副長官に話しかける。
「響華さんたちはそんな簡単に力尽きないと思うんだけど?」
「一応です。常に不測の事態に備えておくべきなので」
木下副長官はそう返し、再びモニターに視線を移す。
「もう、本当は心配な癖に」
長官は木下副長官の横顔を見て、ふふっと笑った。
本庁舎一階、エントランス。
響華たちがエレベーターを降りると、エントランス警備担当の隊員二人が駆け寄ってきた。まずは右側の隊員が挨拶する。
「たった今、副長官より話を伺いました。日本の英雄である皆さんとご一緒出来ること、光栄に思います!」
続いて左側の隊員が深々とお辞儀をする。
「あ、あのっ、足を引っ張らないように、頑張りますっ」
「よろしくね!」
響華は二人に笑顔を見せると、右側の隊員の顔を見て「あっ!」と声を上げた。
「どうしたの、響華?」
芽生が不思議そうに首を傾げる。するとその隊員は嬉しそうな表情をしてこう言った。
「藤島隊員、私のこと覚えていて下さったんですか!? 私、目黒管轄の結城です! 以前、目黒で銀行強盗に人質に取られてしまって……。その時助けてくれたのが、藤島隊員だったんです。社会のお荷物のような私を覚えていて下さるなんて、本当に光栄です!」
その言葉を聞いた響華は、結城隊員の肩に右手を置いて話しかける。
「ねえ結城さん。前もそんなこと言ってた気がするけど、結城さんは社会のお荷物なんかじゃないよ。もっと自分のこと大切にしなきゃ」
「藤島隊員……! あなたは聖女様ですか? それとも女神様ですか?」
結城隊員が両手を広げて跪く。
「いやぁ、そんな……!」
えへへと照れた様子で頭を掻く響華。
「全く、お前はどうしてすぐ調子に乗るんだ」
碧は呆れた顔をして大きくため息をついた。
「で、あなたは? 初めましてだよね?」
遥が左側の隊員に声をかける。
「あっ、えーっと、その……」
しかし、その隊員はもじもじして目を合わせてくれない。
どうしたものかと困っていると、雪乃が左手の袖を引っ張ってきた。
「ん、どしたのユッキー?」
遥が聞くと、雪乃は耳元に顔を近づけ囁くように言った。
「多分この子、初めましてじゃないと思いますよ? 確かスカイツリーの魔法結晶カプセルの時の……」
遥は再び隊員の顔を見る。
「あっ! あ〜!」
どうやらこの隊員を思い出したらしい。
「はいっ、あの……」
隊員の顔が少し明るくなる。
「ごめん、初めましてじゃないよね! で、名前なんだっけ?」
あまりの失礼な発言に、芽生が思い切り右足の脛に蹴りを入れる。
「遥、いくらなんでもそれは酷すぎるわよ」
「痛てっ!」
遥は後ろによろめいて、蹴られた箇所を両手でさする。
「ごめんなさいね。あなた、川辺さんで良かったかしら?」
芽生が問いかけると、川辺隊員はこくこくと頷いた。
「結城さん、川辺さん、一緒に頑張ろうね!」
響華が微笑みかけて言う。
「はい!」
「はいっ……!」
結城隊員と川辺隊員は大きく首を縦に振った。
エントランスの外を見ると、神界との境界は地上のすぐそばまで迫っていた。響華たちは気を引き締めて、その瞬間を待ち構えた。




